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30年前、裏切った側の女が見せた後悔の感情 好きなのに傷つけた大人のラブバラード

  • 2026.7.7
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高橋真梨子-2006年6月撮影(C)SANKEI

「ごめんね…」。たった4文字の謝罪のうしろに、続くはずの言いわけを飲み込ませる余白が、まだ口にしきれていない後ろめたさをそのまま抱え込んでいるように映る。差し出すまでに飲み込んだ息、相手の顔を見られない一瞬。三つの点の中に、その全部が押し込められている。

高橋真梨子『ごめんね…』(作詞:高橋真梨子/作曲:水島康宏)ーー1996年6月21日発売

世のラブソングが「許して」とすがり、「待っていて」と相手の腕に身を投げる中で、この曲だけは反対側から始まる。被害者の悲しみを歌うのではなく、加害者の悔いを歌う、めずらしい立ち位置の一曲だ。

自分の過ちを自分の口で名指す反転

冒頭に置かれるのは、自分が相手を「傷つけた」という言い切りである。第三者が二人を引き裂いたのでも、相手が裏切ったのでもない。好きだった、それなのに、傷つけた。三段の論理が一気に詰めて並べられ、最初の数小節で立ち位置がはっきりする。

サビでは言い訳する前にと、自分の逃げ道を自分の手で塞ぐ。中盤に置かれた「悪ふざけ」で他の人に「身を任せた」夜という重たい告白で、過ちの輪郭はさらに鋭くなる。第三者を主語にした悲恋ではない。自分の側の一夜を、自分の言葉で名指して引き受けている。

立ち位置がひとつ反転しただけで、聴き手の心の置きどころも変わるように感じる。誰かを責めてうっぷんを晴らす歌ではなく、自分の側にも似た夜がなかったかと振り返らせる歌に映る。

書いて歌って頭を下げる三役が同じ一人に重なる

詞は高橋真梨子本人の手による。詞を書いたのも、歌っているのも、詞の中で「ごめんね」と頭を下げているのも、同じ一人の女だ。重たい告白を虚構の物語として遠ざける逃げ道が、はじめから封じられている。聴き手は虚構の人物の悔いに耳を傾けるのではなく、声の主の悔いに立ち会うことになる。署名入りの告解、と呼んでいい。

詞の運び方そのものにも、書き手の覚悟が表れる。情景の遠まわしでぼかさず、直球の動詞で過ちを言い切る。比喩でやわらかく包めば歌い手も少しは楽になる場面で、その逃げ道を選ばない。書く本人にとっていちばん苦しい言葉を、書く本人がいちばん先に置く。

作曲は長年の盟友、水島康宏。編曲は同じくラブソングアレンジャーの名手・十川知司。伴奏は終始ひかえめに保たれ、後悔の言葉を遮る瞬間が来ない。詞の重さを音で覆い隠したり盛り上げたりせず、声がいちばん前にいられる場所を空けてある。書いた本人が歌い、その背中をいちばん近い二人が押す設計になっている。

過ぎたことを引き受ける女として積んできた声

歌い手としての高橋真梨子は、ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとして『ジョニィへの伝言』『五番街のマリーへ』を当てた頃から、すでに「過ぎたことを引き受ける女」の声を持っていた。ジョニィの元を去って行く女、悲しい思いをさせたマリーを想う。物語の中の人物として、別れと未練の輪郭を声で立てる仕事を、20代から続けてきた。

その同じ歌い手が、1984年の『桃色吐息』で大ヒットを掴む。物語の中の人物から離れ、自分の身体ごと官能を歌う立ち位置に踏み出した一曲だった。詞の中の女を演じる仕事と、自分の身体で歌う仕事の両方を積み重ねた歌い手が、本人作詞の『ごめんね…』に辿り着く。

ジョニィの元を去って行く女が背負った重さも、悲しい思いをさせたマリーを想う後悔の念も、桃色吐息で身体ごと官能を引き受けた覚悟も、全部この一曲の声に積まれている。だから薄っぺらく響かない。歌い手としての履歴そのものが、歌を下から支えている。

犯人の悔悟に重なって週ごとに耳へ染みていく

リリース当時、この曲のランキング上の到達は週間最高18位。瞬発で頂上を取るタイプの売れ方ではない。にもかかわらず、累計売上はやがて高橋真梨子のシングルで最高となる60万枚を超える数字まで積み上がっていく。

理由は、日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』の主題歌として、毎週火曜の夜の家庭に届き続けたからだ。事件が解決した直後、犯人の悔悟の表情に重なるように、番組末尾のエンディングでこの曲のイントロが流れ出す。罪を犯した人物がうつむいて立ちつくす画と、自分の側の過ちを引き受けようとする女の声が、テレビの前で重なる。

サスペンスの結末はたいてい後味が苦い。被害者の家族にも犯人の家族にも、戻らない時間が残される。その苦さの上に、自分の側の罪を引き受ける女の声が乗る。週ごとに少しずつ積み上がる伸び方は、初動で弾けるヒット曲とは違う種類の根の張り方を示している。消費される曲ではなく、毎週耳に届いていつのまにか身体に染みていく曲。一週間の終わりを閉じる音として、家庭の耳に組み込まれていった。

許されないことを引き受けたまま頭を下げる

サビの終わりに、「別離(わかれ)のない国へ」というフレーズが置かれている。一見すると、二人で逃げ込みたい理想郷の比喩のように響く。けれども別離のない国も悲しまない国も、現実の地図には存在しない。そんな場所はこの世のどこにもないことを、書いた本人が誰よりよく分かっている。どこにも行き場のない過ちを、それでも声に乗せて差し出すしかない。

「ごめんね…」の先に続く沈黙は、たぶん相手には届かない長さだ。届かないと知りながら、それでも口にする。許してほしいと相手に投げる言葉はたくさんあるが、許されないことを引き受けたまま頭を下げられる女は、案外少ない。

火曜の夜の居間で犯人の悔悟と重なって響いていた一曲は、30年が経ったいま、別の世代の耳にも拾われ始めている。配信の画面で偶然見つけた若い聴き手の中には、ドラマも知らず、ただこの声と詞だけを聴いて立ちすくむ人がいる。届かない場所へ向かって差し出された謝罪が、世代を超えて別の誰かの夜に届く。それでもこの一曲は、まっすぐな立ち姿で、いまも残っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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