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たった14歳で初代グランプリに輝いた「国宝級美少女」蜷川実花ら巨匠を“トリコ”にした毒ある女優とは

  • 2026.6.19
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2023年10月、第36回東京国際映画祭レッドカーペットに登場した玉城ティナ(C)SANKEI

玉城ティナを「国宝級の美しさ」と言うのは、たぶん簡単です。でも、その言い方だと、いちばん大事なところがこぼれ落ちてしまう気がする。

「きれい」は、見る人の側で完結してしまう言葉です。受け取って、感心して、それで終わる。けれど彼女の顔は、そこで止まらなかった。撮る人を本気にさせ、主要な役へ呼び寄せ続けてきた。見られて終わるのではなく、人を動かしてきた顔。今回は、起用と評価という確かな足あとから、玉城ティナを読み解いてみます。

見られる側から始まった

玉城ティナは、見られることのいちばん前から出発した人です。2012年、まだ14歳のとき、「ミスiD2013」の初代グランプリに選ばれている。そこから『ViVi』の専属モデルになり、2014年には史上最年少タイの記録で単独表紙を飾りました。

ここで一度、立ち止まってみたい。単独表紙というのは、その一枚で雑誌を売る、という任され方です。誌面の顔を、十代の半ばで一人で背負わされた。見られることの重さを、いちばん若い時期にまるごと引き受けていたことになる。

女優の仕事も、その『ViVi』在籍中の2014年から並行して始まっている。表紙を任される側にいながら、同じ時期に、演じる側へも足を踏み出していった。被写体としての完成された静けさと、役を生きるための動きを、彼女は別物として切り替えたのではなく、最初から重ねて持っていた。後年、撮る人たちが彼女に惹かれていく素地は、たぶんこの入り口の二重性にある。

監督が熱望する存在

撮る人を本気にさせた、はっきりした例がある。2019年に公開された映画『Diner ダイナー』。蜷川実花監督の作品で、玉城が演じたのは、藤原竜也演じる店主のもとで働く少女・オオバカナコです。この映画のヒロインでした。蜷川監督は、この役を玉城に決めた経緯を、自分からプロデューサー側に働きかけて彼女を据えたことを明かしています。

ここで効いてくるのが、蜷川実花という人が「撮る側」の専門家だということです。色と被写体で世界をつくる写真家であり、映像作家。誰よりも顔を見慣れた人が、自分から動いてまで「この人で」と望んだ。きれいな顔を選ぶことなら、その立場の人は日常的にやっているはずです。それでもわざわざ働きかけたのは、きっと表面の美しさではなく、自分の画づくりの中心に置ける顔だったということ。

主役級で撮ると決めるのは、時間もお金も人も動かす重い判断です。その判断を、撮る目の確かな人ほど軽くは下さない。その人を能動的に動かしてしまうこと。それが、玉城ティナの美しさの確かさを、いちばん具体的に示しています。

呼ばれる役が重なっていく

井口昇監督・押見修造原作の映画『惡の華』(2019年)では、クラスをかき乱す少女・仲村佐和を演じている。完成した映画では、その演技が原作者の押見からも高く評価されました。さらに白石晃士監督とは、『貞子vs伽椰子』(2016年)のほか、『地獄少女』(2019年)でもタッグを組み主演を任されています。

並べてみると、選ばれている役が興味深い。クラスをかき乱す少女、人を地獄へ送る少女。きれいに飾るための顔ではなく、見る人の心をざわつかせる役どころが続いています。整った顔に、得体の知れなさを同居させられる。撮る側はそこを見ていたのではないか、と思えてくる。

しかも白石監督は、一度組んだうえで、その後の作品でもキャスティングしている。一度きりの起用なら巡り合わせで説明がつく。けれど同じ作り手が役を変えて呼び戻すのは、現場で確かめた手応えがあったということ。玉城ティナの佇まいが画づくりの確かな手がかりになっている、静かな証拠なのです。

評価が後ろから裏打ちする

ただ監督に気に入られるだけではありません。その結果は賞でも評価を受けています。2019年、玉城は第44回報知映画賞の新人賞を受けました。対象になったのは、まさに『Diner ダイナー』と『惡の華』。撮る人に望まれて起用され、できあがった芝居が賞という形で認められる。起用と評価が、同じ年にそろって返ってきたのです。

この同時性に、意味があります。望まれて呼ばれることと、芝居が認められることは、本来べつの話です。撮る前の期待と、撮り終えたあとの評価。その二つが同じ年に、しかも二作で重なった。期待だけが先走った起用でも、評価だけがあとから付いた幸運でもない。キャスティングの根拠と、応えた結果が、ちゃんとつながっていた。美しさが見た目だけの話で終わらない、というのは、こういう形で証明されるのだと思います。

看板を任される顔へ

起用される場の大きさも、上がっていきます。2024年、テレビ東京系の開局60周年を記念した連続ドラマ『君が獣になる前に』。玉城が演じた希堂琴音は、北山宏光演じる主人公の幼なじみで、若手の人気女優という役どころのヒロインです。放送局が節目の年に立てるドラマで、その相手役を担う。開局60周年という枠は、局がいちばん見られたい年に出す看板です。そこへヒロインとして呼ばれるのは、映画で積んだ起用の確かさが、テレビという別の畑でも信用に変わっていた、ということ。託される場が一段、広がりました。

直近の確かな仕事も、その延長にあります。2025年に公開された映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』。荒木飛呂彦の人気シリーズを実写化した一本で、玉城が演じたマリアは、ヴェネツィアの仮面職人です。

顔を作り、人にかぶせる職人。見られることを誰より長く生きてきた人が、見られるための顔をこしらえる役に呼ばれる。その巡り合わせは、どこか彼女のキャリアそのものを映しているようにも見えます。被写体として顔を差し出すところから始まった人が、いまは顔そのものを扱う役を生きている。出発点が、役のなかで反転して返ってきたような一本です。

撮る目の確かな人に望まれ、ざわつく役を重ね、賞で評価され、節目のドラマの看板を任される。並べてみると、玉城ティナの歩みは「求められ続けてきた歩み」そのものでした。見られて終わる顔ではなく、人を動かしてきた顔。その顔を、次にどんな作り手が、どんなふうに撮るのか。いまからとても見てみたいのです。


※記事は執筆時点の情報です

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