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笑い飯・哲夫のお笑い×仏教×教養小説『頭を木魚に』。身代わり出頭を命じられた不遇すぎるタクシー運転手から生き方を考える【書評】

  • 2026.5.18
頭を木魚に 笑い飯・哲夫 / 主婦の友社
頭を木魚に 笑い飯・哲夫 / 主婦の友社

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私たちの日常は、イライラやモヤモヤであふれている。急いでいる時に限って前の人が自動改札で引っかかったり、退勤時間ギリギリに仕事を頼まれたり、知人の自慢話にモヤッとしたり。些細なことでイラッとして、そんな自分にまた落ち込む。こうした負のループに陥りがちな人も、少なくないのではないだろうか。

仏教マニアとして知られる笑い飯・哲夫さんの小説『頭を木魚に』(主婦の友社)は、そんな生きづらさをどう乗り越えればいいのか、軽やかに説いてくれる一冊だ。主人公の長谷部利一は、どこまでも不遇な中年男性。数年前まで写真週刊誌の記者だったが、不倫疑惑を報じた芸能人から訴訟を起こされて会社を辞めるはめに。人に干渉しない仕事を求め、現在はタクシー運転手をしている。

だが、運転手人生もうまくはいかない。出産間近の妊婦とその夫を乗せたところ、運転の荒さにクレームを入れられ内勤に。今度は乗客の忘れ物を管理し、取りに来た持ち主に返却する役割を与えられることになる。しかし、ここでも酔った相手に胸ぐらをつかまれたり、本来の持ち主ではない人に忘れ物を引き渡してしまったりとトラブル続き。それでも妻と息子のために、不器用ながらも懸命に働いていた。

そんなある日、長谷部は上司からスピード違反をしたドライバーの代わりに、警察に出頭するよう命じられる。出世と引き換えとはいえ、無実の罪を背負っていいのか。そうまでして、この会社にしがみつくべきなのか。逡巡しながらもフルスロットルで破滅へと突き進んでいくさまに、ページをめくる手が止まらなくなってしまう。

この小説には、もうひとりの視点人物がいる。それが長谷部の息子だ。1章ごとに長谷部と息子の視点が切り替わり、転がり落ちていく長谷部と父の故郷を訪れた息子の物語が交互に語られていく。長谷部が生まれ育ったのは、岐阜県山県市。この地には、明智光秀にまつわる伝承が残っている。本能寺の変で織田信長を倒した光秀は、豊臣秀吉との山崎の戦いで討たれたとされている。だが、殺されたのは実は影武者で、光秀は現在の山県市中洞へ落ち延びたという説だ。父もまた、影武者として罪を背負ったのか。やがて息子は、曾祖父を知る人物にたどりつく。

終盤で語られるのは、私たちはどう生きるべきかという問いに対し、哲夫さんが出したひとつの答えだ。仏教に根差したその考え方は、一朝一夕で身につくものではない。それでも執着をなくし、心穏やかに日々を過ごすヒントがここにある。こうした“説教”を、笑いにくるんで伝えるのも著者ならでは。「巻き寿司田かんぴょう抜き太郎」なる謎の人物が登場するくだりでは声を出して笑い、ラストの突拍子もない展開では脱力しながらもじんわり感動してしまった。笑いと仏教とビルドゥングスロマンを掛け合わせて生きる道を照らしてくれる、まさに哲夫さんにしか書けない快作だ。

文=野本由起

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