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朝ドラ『風、薫る』半年後に驚き!バーンズ先生が突然ペラペラと話し始めて……金曜回終盤に視聴者騒然

  • 2026.5.11

朝ドラ『風、薫る』半年後に驚き!バーンズ先生が突然ペラペラと話し始めて……金曜回終盤に視聴者騒然

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。近代看護界の先駆者となった2人の女性を主役とする物語。「風、薫る」のレビューで、より深く、朝ドラの世界へ! ※ネタバレにご注意ください

とどめを指すかのようにバーンズが命じたのは……

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)を原案とし、激動の明治時代を駆け抜けた二人のナースを、見上愛・上坂樹里のダブル主人公として描くNHK連続テレビ小説『風、薫る』の第6週「天泣の教室」が放送された。

前週にトレインドナースを目指し、「梅岡女学校 付属看護婦養成所」の第1期生となった、りん(見上愛)と直美(上坂樹里)。父が旧幕府の奥医師であり、兄と弟も医師であるという多江(生田絵梨花)をはじめ、しのぶ(木越明)、トメ(原嶋凛)など学友も登場、きわめつけは前週ラストに登場した、ナイチンゲールに教育を受けたという外国人教師・バーンズ(エマ・ハワード)の存在である。

そもそも第6週のサブタイトルにある〝天泣〟とはあまり聞きなれない言葉であるが、何を意味するのか。

天泣(てんきゅう)とは、空に雲が無いにもかかわらず雨が降る現象を指す。いわゆる「天気雨」や「狐の嫁入り」と同義の表現で、それを「天が泣く」と表現したものだ。言ってみれば、予想していないのに訪れる悪天ということになり、心がざわつく。

さて、「看護」とは何か。まだまだ幕府体制の名残りも色濃く残る作中の日本の社会では、看護は〝職業〟ですらなく、かつ、身分の低い者が行うものという感覚であることがこれまでにも描かれてきた。だからこそ彼女たちが道を切り開いていく意義がある。とはいえ、看護をはじめとした、人が生きていくための助けとなる「エッセンシャルワーカー」の地位は令和の日本社会においても決して高いものではないという悲しい現実がある。本作を通じて、そこについてもあらためて考えていくきっかけになることをこれからの展開にも期待したいところだ。

さて、バーンズが命じたのは、シーツ交換、校内の清掃、換気、そしてエプロン作りといったものだった。いわゆる座学、ましてや実習などはなかなか行われない。りんたち生徒には、「看護を学びにきたのに」というとまどいと不満がつのる。看護とは何か。それは自分自身で考えろとバーンズは言う。

そして、とどめを指すかのようにバーンズが命じたのは、日本髪をやめろということだった。油で固めることでケアする性質を持つ日本髪は、洗髪も月に1回程度であり、何よりも清潔さが求められる看護の世界においては適したものではない。バーンズはそれを「不潔だから」と言い切る。しかし、当時の女性にとって日本髪は、男性の髷と同じで大きなアイデンティティであっただろう。入学前に自らの意志で髪を切った直美が驚きの目で見られていたことからもそれは明らかだ。

「ここで教えることは もうありません」!?

ある意味自身が黒船そのもののように、旧来の価値観を置き換えていくバーンズ。そんななかでも医系の家族がいる多江は特に疑問が大きくなるばかりだ。しかしそんな疑問をぶつければ、返ってきたのはこんな一言だった。
「A nurse is not a doctor. We do not treat(看護婦は医者ではありません。治療はしません)」

バーンズが彼女たちにまず身につけてもらいたいことは看護の知識よりも、なによりも清潔・衛生であることを心がけること、そのためにも「観察」するということに気を配ること。それが患者のためになることにつながっていく。バーンズに怯えながら足音を気にするうち、遠くの音まで聞こえるようになったというトメの変化などは、どこかバトル漫画やカンフー映画などで師匠にやらされていた雑用が実は修行につながっていた演出のようでもあり、気づかぬうちの成長を感じさせてくれるものだった。

しかし、まだまだ一歩を踏み出したばかりである。コロリ(コレラ)患者の着替えを想定した実習を行なっていたときのこと。

患者役のトメに対し、りんは顔を近づけ、背中をさするなど、ついつい親身になって対応してしまう。バーンズはそれを厳しく指摘する。「看護婦を見たことがない」と、当然のことを口して反論するりんだが、これもまた、感染症に対する意識が大きく変化した、コロナ禍を通過した現在の我々の目には、適した行動でないことはよく分かる。看護師や医師は感染するわけにはいかない存在なのである。そのように現代の視点を持つからこそ楽しめる大前提を理解させる演出が各所に散りばめられているのは印象に残る。

その後、清潔と衛生を徹底し、患者役への距離感などの対応を適切なものにしたことで、バーンズは言った。
「Now that's nursing(今のそれこそが看護です)」

目の前の一人、家族だけを救うのでなく、多くの人々を救う存在、それこそがナースなのである。冷たく突き放すようでありながら、看護の本質は伝えてくれていた。

驚いたのは、りんたちが学び始めて半年ほどたったときに、バーンズがペラペラと日本語を話し始めたことだ。日本行きが決まったときから勉強をしていたといい、本当は日本語が理解できたが、それもまた、バーンズの言葉に真剣に耳を傾け、全力で理解していくという「観察」のためでもあったわけだ。

「私は天狗ですから、幻を見せたのかもしれません」
彼女たちの日本語での会話もすべて理解していたのだ。完全にバーンズの手のひらで転がされていたようである。これこそ予期しない雨、「天泣」である。

そして、このとき、「ここで教えることは もうありません」と言われ、プレゼントとして看護制服を受け取り、彼女たちがあまりにもあっさりと卒業してしまったことにも驚いた。いよいよ本格的に看護を学び始めるのかと思いきや、ここもまた、やはり高速の展開で、職業としての看護師への道にいきなり踏み出すこととなっていく。金曜放送回の終盤は、その週のメインのエピソードを着地させるというよりも驚きのなかたたまれることが多い気がするのもこの作品の面白いところだ。

さてりんや直美は実際の患者にどう接していくのか。次週もまた、意外であり高速である展開が待ち受けているだろうか。

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