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【衝撃映画】女子小学生「私、妊娠したかも」体に感じた“異変”→『普通の女の子』の人生を変えた“想定外の現実”

  • 2026.5.8

ドラマや映画の中には、現実では簡単に答えを出せない出来事を、物語の形で突きつけてくる作品があります。今回は、そんな中から“考えさせられる名作”をテーマに5本セレクトしました。本記事ではその第2弾として、映画『コドモのコドモ』(ビターズ・エンド)をご紹介します。

小学5年生の妊娠と出産を、子どもたちの視点から描いた本作の魅力とはーー?

※本記事は、筆者個人の感想をもとに作品選定・制作された記事です 

※一部、ストーリーや役柄に関するネタバレを含みます

あらすじ 

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「第82回キネマ旬報ベスト・テン」授賞式 甘利はるな(C)SANKEI
  • 作品名(配給):映画『コドモのコドモ』(ビターズ・エンド)
  • 公開日:2008年9月27日
  • 出演:甘利はるな(持田春菜 役)、川村悠椰(鶴巻ヒロユキ 役)、麻生久美子(八木先生 役)、宮崎美子(春菜の母 役)、谷村美月(春菜の姉 役)ほか

映画『コドモのコドモ』は、さそうあきらさんの同名漫画を原作に、萩生田宏治監督が映画化した2008年公開の日本映画です。主人公は、活発で負けん気の強い小学5年生の女の子・持田春菜(甘利はるな)です。友達と遊ぶことが日常の中心にある、どこにでもいそうな小学生として描かれています。

物語は、春菜が幼なじみの同級生・ヒロユキ(川村悠椰)と、興味本位で“くっつけっこ”という遊びをしたことから動き出します。その後、春菜は担任の八木先生(麻生久美子)から性教育の授業を受け「私、妊娠したかも」と思い始めました。最初は自分でも信じきれず、誰にどう話せばいいのか分からないまま時間が過ぎていきます。

やがて春菜のお腹は少しずつ大きくなり、体調の変化も現れます。しかし、小学5年生である春菜にとって、大人に妊娠を打ち明けることは簡単ではありません。話しても信じてもらえないのではないか、怒られるのではないかという不安があり、春菜は事実を抱え込んでいきます。そんな春菜の異変に気づいたクラスメイトたちは、大人に知らせるのではなく、自分たちで春菜と赤ちゃんを守ろうとしました。

本作では、春菜は大人に妊娠を隠し通したまま、子どもたちだけの力で出産に向かいます。現実的には危険であり、決して安易にまねできる行動ではありません。それでも作品は子どもたちが学級委員長を中心に力を合わせ、春菜を支えようとする姿を通して、命や教育などについて考えさせる物語になっています。

普通の女の子が小学5年生で妊娠…子どもたちだけで守ろうとした命

本作は子どもが命に関わる現実を抱えてしまったとき、周囲はどう向き合うべきかという問いを浮かび上がらせる作品だといえます。春菜は小学5年生で、社会的には守られる立場にありました。妊娠という出来事が起きた瞬間から、本人も周囲の子どもたちも、大人でも迷うような問題の前に立たされます。

印象的なのは、春菜が妊娠の可能性に気づいた後も、すぐに大人へ助けを求められない点です。担任の八木先生が性教育の授業をしたことで、春菜は自分の体に起きている変化を結びつけます。それでも、春菜は「どう説明すれば信じてもらえるのか」と戸惑い、友人たちの前でだけ不安を見せるようになりました。子どもたちは春菜の体の変化から事態を察し、驚きながらも、彼女を責めるのではなく「自分たちで助けよう」と団結していきます。

ここで重要なのは、特定の人物だけに責任を負わせる描き方をしていないことです。春菜もヒロユキも、性や妊娠について十分に理解していたわけではありません。だからこそ、物語は「知らなかったから仕方ない」で終わらせず、性教育や家庭での対話がなぜ必要なのかを読者や観客に考えさせます。春菜の友人たちが秘密を守ろうとする姿は一見けなげですが、同時に、大人に相談できない環境の危うさも浮かび上がらせています。

出産シーンは、本作を語るうえで欠かせない場面です。春菜が苦しむなかクラスメイトたちは周囲に知られないようにしながら、声をかけたり、そばにいたりして支えます。子どもたちだけで出産を助ける展開にはファンタジー的な色合いがありますが、そこにあるのは、目の前の友達を見捨てたくないという切実な気持ちです。

主演の甘利はるなさんは、シネマカフェのインタビューで、次のように明かしています。

出産シーンが一番思い出に残っています。出産シーンがある映画のビデオを観たり、お母さんに教えてもらったり…。出産シーンを撮影する当日に助産婦さんが来てくれて、『そこはもうちょっと痛い感じだよ』とか、教えてもらったりしたのを覚えています
出典:『『コドモのコドモ』の主演・甘利はるな「“持田春菜”になった甘利はるながいた」』シネマカフェ 2008年9月25日配信

春菜が友人たちに支えられる場面は、演じた甘利さん自身も周囲の大人や共演者に支えられながら作り上げた場面だったといえます。

作品が投げかけているのは、衝撃的な設定そのものではなく、子どもが困ったときに本当に助けを求められる社会になっているのかという問いではないでしょうか。

約400人から選ばれた甘利はるな、出産シーンに挑んだ初主演

甘利はるなさんのお芝居の魅力は、春菜を「特別な悲劇の主人公」ではなく、怖くても前に進もうとする小学5年生の女の子として見せている点です。甘利さんは初オーディションで、約400人の中から選ばれ、映画初出演にして初主演を務めました。演じた春菜と同じ年齢だったこともあり、作り込みすぎない自然な表情が作品の説得力につながっています。

春菜が妊娠に気づいた後も、すぐに大人びた決断をするわけではありません。友達の前では強そうに振る舞いながら、体の変化に戸惑い、どうすればいいのか分からない表情を見せます。

甘利さんは、春菜が不安を言葉にしきれない瞬間を、目線や間の取り方で表現していました。そのため観客は、春菜を遠い存在としてではなく、教室の隣の席にいる子のように感じられます。

映画『コドモのコドモ』は、小学5年生が妊娠と出産に向き合うという、非常にデリケートな題材を扱った作品です。しかし甘利さんのまっすぐなお芝居があることで、物語は単なる衝撃作ではなく、子どもたちの孤立や命をめぐる教育の大切さを考える映画として残っています。

ファンタジーとして受け止める部分と、現実の課題として考える部分の両方があるからこそ、本作は“考えさせられる名作”と呼ぶにふさわしい一作です。鑑賞後には、子どもが本当に困ったとき、大人はどんな言葉をかけられるのかを見つめ直したくなります。


※記事は執筆時点の情報です