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第1回 浅草「神谷バー」と琥珀色の魔酒

  • 2026.4.24

栗下直也の東京酔歩  偉人と歴史の裏路地

神谷バー
神谷バー

20年前の甘ったるい記憶とともに浅草「神谷バー」へ

神谷バーを初めて訪れたのは、20代前半のことだ。記憶はおぼろげで、名物と言われた酒がやたらと甘ったるいくらいの印象しか残っていない。それから20年。年を重ねれば酒の味も変わる。文士たちが愛した酒場の情景を追体験すべく、浅草に久しぶりに向かった。

「新宿のバーに厭気がさし、銀座のバーが余りにパリー的になり過ぎ、そこに来る人々のベレー帽や片仮名まじりの言葉が気障でたまらなくなった時に行く所」—米国の日本学者サイデンステッカーは、浅草へ向かう人々の心理をそう言い表している。

永井荷風にはじまり、高見順、色川武大と名だたる作家たちにとって浅草は山の手の重圧から逃れるための避難場所であった。その玄関口に明治13年(1880年)から鎮座しているのが日本初のバー「神谷バー」である。

神谷バーの歴史と切り離せないのが、明治15年(1882年)に誕生した「電気ブラン(現品名・デンキブラン)」だ。洋酒がまだ高価だった時代に大衆へ安く提供しようと作られた琥珀色の液体は、ブランデーをベースにジン、ワイン、キュラソー、薬草などをブレンドしている。電気がまだ珍しかった文明開化の時代は最先端のものに「電気○○」と名付ける風潮があったのだが、そこからもいかにこの酒が驚きをもって迎えられたかがわかる。

神谷バー看板
神谷バー看板

大正浪漫の面影を遺す、「神谷バー」奇跡の近代建築

東京メトロ銀座線の駅を出て徒歩わずか1分——とネット情報にはあるのだが、そんな近かったっけと半信半疑で地上に出る。10メートルほど歩いて駅前の交差点に立つと、「神谷バー」の看板が目に飛び込んできた。

大正10年(1921年)に改築された鉄筋コンクリート造の近代商業建築は、大正12年(1923年)の関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲という二度の災禍をくぐり抜け、奇跡的に現存している。平成23年(2011年)には国の登録有形文化財にも指定された。外観は大正期らしい明るいタイル張りで、2階には3連アーチ窓が美しく並ぶ。

正漢字を用いたレトロな看板をくぐり抜け、店内へ踏み込む。私が小学生の頃の百貨店のレストランのような懐かしさ——考えてみれば、それよりずっと以前から存在しているのだから当たり前なのだが——そのレトロな雰囲気を保ちつつ、決して古めかしくない。

神谷バーウインドウ
神谷バーウインドウ

平日の午後6時で客の入りは8〜9割。デンキブランとビールを並べて盛り上がる外国人客もいれば、手酌で瓶ビールを楽しむ初老の男性や、一人静かにグラスを傾ける年配男性の姿がある。隅のテーブルでは、雰囲気のある酒の写真を発信しようと訪れたであろう若い世代が笑い合っている。昭和の残香を求める常連客と、レトロな空気に新鮮さを感じる観光客や若者たち—時代を超えてあらゆる人々を包み込む浅草ならではの空気が、この店にはある。

デンキブランのビリリと痺れる刺激と、浅草の流儀とは

店内を見渡した後、入り口のレジで食券を対面で購入する。食券制と聞くと面倒くさい気もしなくもないが、意外にもレジの前に並ぶと一周回って新鮮さもある。何を飲むかは迷う余地などない。注文するのはもちろん「デンキブラン」だ。

現在は2種類あり、30度が400円、40度の「電氣ブラン〈オールド〉」が500円。発売当初の度数は45度とさらに強烈だったというから、その名残を味わうべく強い方を頼む。つまみは定番の「煮込み」(650円)と「かにコロッケ」(1000円)にした。

電気ブラン
電気ブラン

席に着くと運ばれてきたグラスに、なみなみと注がれた琥珀色の液体。そっと口に含む。ほんのりとした甘みが舌の上に広がったかと思うと、すぐさまジンや薬草由来のビリリとした苦みと、強いアルコールの刺激が喉を焼く。まさに「電氣」の名にふさわしい。

……と書いたものの、これはあくまで食レポ用の表現であり、そんな冷静に味わってはいられない。口に入れるやいなや「アルコール強!!!」と思う人が大半のはずだ。口に含むや否や、鼻からデンキブランが飛び出そうなくらいにツンとくるのが現実だ。ただ、甘みがあるので次第に慣れるのが、この酒が度数のわりに飲みやすい理由でもあり、危ない理由でもある。

神谷バーにおける「通」の作法がある。酒なんてものは好きなように飲めばいいと思うのだが、これまた食レポにはつきものなので紹介しておこう。デンキブランをストレートであおり、冷たい生ビールをチェイサーとして飲む——「この無限ループこそが神谷バーの流儀であり、浅草の夜を加速させる」と書くとなんだか格好良いがアルコールをただただ摂取し続けているだけである。

ビールと電気ブラン
ビールと電気ブラン
コロッケ
コロッケ
煮込み
煮込み

つまみの「煮込み」と「かにコロッケ」は、変なアレンジもくせもない、文字通りの昔ながらの「煮込み」と「かにコロッケ」だ。こんなにイメージを裏切らないつまみも今は少ない。気取らない庶民の味がデンキブランの複雑な風味を優しく包み込む。

文士たちが愛した、電気ブラン「本物の大衆性」

なぜ、数多の文豪たちはこれほどまでに電気ブランを愛したのだろうか。

太宰治は「人間失格」の中で、「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し……」と記している。若き日の鬱屈と焦燥を抱えた彼にとって、手っ取り早く強烈に酔いが回り、現実から意識を強制的に切り離してくれるこの酒は、何よりの救済だったのだろう。批評家の小林秀雄も昭和26年(1951年)に雑誌の対談で、「あの『電気ブラン』というやつを私は愛好していたね。あれは安くて、なかなかうまい酒でしたよ」と述懐している。

詩人の萩原朔太郎は浅草で「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男なにを思ふらん」と詠んだ。喧騒の中で、見知らぬ他者の孤独に静かに思いを馳せる—その視線が浅草という場所にはよく似合う。

浅草には金持ちも貧乏人も同じように酔わせてくれる包容力があり、安価な酒を大衆に紛れて気取らずに飲める。だからこそ、文学者たちが人間を観察し、自身の内面と向き合うための格好の場所だったのである。神谷バーと電気ブランは「ハイカラな西洋文化」を「下町の大衆」へと翻訳し提供する装置でもあったのだろう。

プレミアムジャパン

物資が乏しく何もかもが不足した戦後にあっても、神谷バーは安易な妥協を選ばなかった。グラスに注がれる酒の質を落とすことなく守り続けた。その真摯な姿勢があったからこそ、100年以上経った今でもデンキブランは「何か言い難い懐かしさ」とともに私たちの心と体を温め続けている。文士たちが愛した理由は、単に酔えるからというだけでなく、この酒と空間に流れる「誤魔化しのない本物の大衆性」にあったのかもしれない。

閉店は午後8時。「神谷バー」の夜は早い

デンキブランの魔力か、杯を重ねていると、気がつけば頭がぐるぐる回り、足がふらついてくる。琥珀色のグラスの底に、かつてこの席で杯をあおった文士たちの影が揺らぐのを感じる——とちょっと格好いいことをいいたくなるのも酔っている証だろう。そもそも、こういう表現はだいたい書くことがないときに無理やり書く常とう句である。それは書く方も百も承知なわけだから、そんなことを書く時は酔っているのである。酒か自分に。

閉店時間は午後8時(ラストオーダー午後7時半)と早い。ほろ酔い加減で二件目に向かってもまだ夜は長い。浅草は、いつでもそういう街だ。

スカイツリー
スカイツリー

本日のおすすめ
電氣ブラン〈オールド〉(500円)
生ビール小〈435ml〉(750円)
煮込み(650円)
かにコロッケ(1000円)

店舗情報
神谷バー
住所:台東区浅草1丁目1番1号
営業時間:11:00~20:00
定休日:火曜日、毎月2回月曜日
アクセス:東京メトロ銀座線 浅草駅下車 3番出口 徒歩1~2分
都営地下鉄浅草線 浅草駅下車 A5番出口徒歩1~2分
東武スカイツリーライン 浅草駅下車 正面出口 徒歩1~2分

栗下直也 Naoya Kurishita
1980年生まれ、東京都出身。著述業、書評家。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科経営学専攻修了後、専門誌をへて独立。経済記者出身でありながら、なぜか酒がらみの文章が多い。著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)『偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり』(同)、『政治家の酒癖 世界を動かしてきた酒飲みたち』(平凡社新書)、『得する、徳。』(  CEメディアハウス)がある。

※20歳未満の者の飲酒は法律で禁止されています。

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