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40年前、テレビから流れたオシャレな“魔法のカウント”の正体 胸がキュンとする爽やかな名曲の記憶

  • 2026.6.2

1986年の5月。まだ本格的な夏の気配は遠く、日差しが強くなり始める季節。午後の木漏れ日が揺れる坂道を歩くとき、通り抜ける微風の心地よさに、誰もが新しい季節の訪れを予感していた。

そんな初夏のきらめきと、少しだけ不器用で切ない恋の始まりを、水彩画のような淡い色彩で描き出した名曲がある。ヘッドフォンから流れるのは、どこまでも優しく、洗練された都会的なリゾートの空気。テレビから流れるきらびやかな映像とともに、当時の若者たちの憧れを乗せて響いていた瑞々しいメロディ。

菊池桃子『夏色片想い』(作詞:有川正沙子/作曲:林哲司)ーー1986年5月14日発売

発表した8枚目のシングルは、アイドルのポップスという枠組みを超え、当時のシティポップにおける最先端の美学を凝縮した、完成度の高い芸術品であった。

ささやきがくすぐる贅沢な歌声

1980年代半ば、日本の音楽シーンは劇的な進化を遂げていた。テレビやビデオデッキの普及に伴い、音楽は聴くものから、映像とともに見るもの、そして個人の生活空間を彩るものへと変化していく。

本人出演の日立ビデオ「マスタックスHiFi」のテレビCMイメージソングとしてこの楽曲を導入した試みは、まさに時代の先端を走る選択であった。ブラウン管の向こう側に映し出す、圧倒的な透明感を持つ歌い手の佇まい。背景に流れる洗練されたサウンドは、リビングルームを一瞬にして都会的なリゾートへと変える不思議な引力を持っていた。

菊池桃子の最大の魅力は、声を大きく張り上げて感情を爆発させるのではなく、耳元でそっと囁くように優しく歌い上げる唯一無二のボーカルスタイルにある。この「ささやき」の美学は、当時の過剰なまでにドラマティックで情念的な歌謡曲への鮮やかなアンチテーゼでもあった。

声を張り上げないからこそ、逆に聴き手はスピーカーに耳を傾け、歌声の繊細なニュアンスを丁寧に受け止めようとする。芯のある響きを持つ歌声は、聴き手の心にそっと寄り添い、個人的な記憶の風景へと誘う力を持っていた

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菊池桃子-1984年8月撮影(C)SANKEI

巨匠がもたらす異国への上品な憧れ

この独自の美しい世界を完璧に構築したのが、作編曲を手がけた林哲司である。林哲司は当時のニューミュージック、そして現代のシティポップへと繋がる洗練されたリゾートサウンドの第一人者だ。

イントロの滑らかなシンセサイザーの音色、心地よく弾むようなベースライン、精度高く配置されたパーカッション、優雅なストリングスが描く美しい曲線。すべての音響要素が完璧なバランスで調和し、初夏の爽やかな風と、胸の奥で静かに揺れ動く恋のときめきを立体的に表現している。音の配置そのもので都会的な知性を醸し出す手法は、まさに巨匠の職人技といえる。

さらに、有川正沙子による歌詞が、楽曲に文学的な深みと上品な余白を与えている。有川正沙子が紡いだ言葉は、直接的な愛の告白や過剰な感情の表出を避けている。代わりに描くのは、木漏れ日や微風、夕焼けといった日常の風景と、その中で静かに変化していく繊細な心理描写だ。

サビに登場する「un deux trois(アン・ドゥ・トロワ)」や「Avec Toi(アベック・トワ)」など、フランス語の言葉を効果的に織り交ぜながら、恋のときめきを心地よいリズムやメロディに例える視点は、当時の若者たちが抱いていた上品で少し背伸びをしたい異国への憧れとも見事に共鳴していた。

激しい恋ではなく、静かに見つめ合うような距離感の描写こそが、この楽曲の持つ気品を担保している。

少女の初々しさを包み込む時代の記憶

1986年当時、彼女はアイドルとしての絶頂期にありながら、同時に表現者としてのステップを確実に登っていた。デビュー当時の初々しい少女の姿から、徐々に都会的な洗練を身にまとい、大人の女性へと変化していく過渡期。その瑞々しさと成熟の絶妙なバランスを、この楽曲のボーカルは見事に捉えている。

「un deux trois」というカウントとともに展開する軽やかなサビの旋律は、独自のウィスパーボイスと奇跡的な調和を見せ、聴き手の胸を心地よく弾ませる。言葉の一つ一つが粒立ち、聴き手の内面に深く染み渡っていく心地よさは、彼女にしか表現できない唯一無二の領域であった。

楽曲全体を包み込むのは、どこかノスタルジックでありながら、今聴いても全く古びることのないハイファイな質感だ。林哲司による妥協なきサウンドデザインは、当時のオーディオ機器の進化とともに、よりクリアで立体的な音響空間を提示した。部屋のスピーカーから、あるいはカセットテープを通じて街角から流れるその音は、1986年という時代の洗練された記憶そのものであった。

初夏の風が運ぶ永遠の恋のリズム

音楽の聴き方がどれほど変化し、技術がどれほど進歩しても、この楽曲が放つ独自の美学を失うことはない。初夏の爽やかな光、坂道を吹き抜ける微風、引いては寄せる波のようなリズム。すべての要素が、あの洗練されたサウンドの中に当時の鮮やかさのまま息づいている。耳を澄ませば、あの頃のきらめきが、静かに鳴り響いている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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