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「先生、妻を疑っているんですか?」不可解な眠りの原因は?法医学が暴いたコーヒーの秘密

  • 2026.3.31

「先生、妻を疑っているんですか?」不可解な眠りの原因は?法医学が暴いたコーヒーの秘密

1万体以上の検死・解剖に立ち会ってきた法医学医が見てきた、事件現場の“人間の物語”。一見すると不可解な死も、わずかな手がかりをたどることで、事件の真相が浮かび上がってきます。ノンフィクションでありながら、まるでミステリーのように読み進められる世界。『死体は語りだす』フィリップ・ボクソ著(三笠書房刊)から、一部抜粋してお届けします。第5回は、毒を盛る?女たち——。

「先生、妻を疑っているんですか?」

数年前、私をテレビで見たという男性——ここではフランツと呼ぶことにしよう——が、専門家である私の意見を求めたい、と連絡してきた。そして、この連絡を受けた私の秘書が面談の日時を勝手に決めてしまった。

私は困ったことになった、と思った。私が法医学医として誰かに会うのは司直の要請があった場合のみであり、フランツの場合はこれに該当しないからだ。本人にこのことを説明しなくては、と思っていたが、フランツの相談事は私の想定外だった。

「先生にご相談したいと思ったのは、自分はテレビを観ながら寝てしまうからなんです」

私は、こんな素っ頓狂な人物の面談の要請に応じた秘書を心の中で呪いながら、「そうですか、私も同じですよ」と答えた。

するとフランツは私の話を遮り、「いえ、先生は誤解しております。毎晩ではないのです。でも寝込んでしまうと、出勤する時間だから、と妻に起こされるまで泥のように眠り、その後も1日中、気分がすぐれないのです」と述べた。

私はフランツの話に興味をそそられ、姿勢を正した。

彼は素っ頓狂どころか、極めてまともな人物だった。彼は妻のアントワネットと生まれたばかりの子どもとともに、ごくごく普通の新築住宅で暮らしていた。

「そのような症状が出るのはあなただけですか?奥様も同じような症状に苦しんでいますか?」
「いいえ、私だけです」
「そうした症状が出るのは夜だけで、昼間には起きないのですね?」
「おっしゃる通りです」
「吐き気、頭痛、失神、耳鳴り、胃痛といったほかの症状はありませんか?」

ありとあらゆる症状の有無を確認したところ、深い眠り以外には何の症状も存在しないことが分かった。これは、私が知っている毒物のいずれにも該当しない……。

そのとき、問題解決の鍵となる考えが閃いた。

「普段、奥様とあなたは同じものを召し上がっていますか?」
「はい、そうです」

「あなただけが摂取して、奥様が摂取しないものはありますか?」

少し考えたのち、フランツは「あります。コーヒーです。私がテレビを観ているあいだに、妻が私のためにコーヒーを淹れてくれます」と答えた。

これは重要な手がかりだ!

「奥様は、あなたが私に会いに来ることを知っていますか?」
「いいえ、妻には知らせたくなかったのです。バカじゃないか、と思われるのが嫌で」

私は、自分も最初はあなたがバカじゃないかと思いましたよ、と言いたいのをグッと堪えた。

「なぜ、かかりつけの医師に相談しなかったのですか?」
「かかりつけの先生はいないので」

私はフランツに、採血や採尿に使う小さな容器を七つ渡し、毎晩、奥さんに渡されたコーヒーを飲む前に、少量をサンプルとして採取するよう求めた。それぞれの容器には曜日を記したラベルが貼ってあるので、何曜日のコーヒーかが分かるようになっている。眠り込んでしまった曜日のラベルには、バツ印を入れてもらうことにした。
「先生、妻が私に毒を盛っている、とお考えですか?」

「今のところ、何の先入観も抱いていません。何が起こっているのか理解しようと努めているだけです」と私が答えたのは、フランツが挙動不審になり、妻がこれに気づくことを恐れたからだ。実のところ、私は妻が元凶だろう、と疑っていた。彼女がどのような手法を用いているかはまだ分からなかったが。


翌週、フランツは、テレビを観ながら寝てしまうソファの下に隠しておいたコーヒーサンプルの容器をすべて携え、いくらか焦れた様子でやって来た。私の忠告に従い、妻にはまだ何も打ち明けずにいた。私はサンプルの検査を毒物学研究所に託した。それから1週間後(そのあいだにもフランツは2回、テレビの前で眠り込んだ)、検査結果が届いた。

私はフランツに来てもらい、一般人には何が何だか分からない単語が並んでいる検査結果を説明した。フランツがバツ印を入れた容器——彼が眠り込んだ日のもの——のサンプルからは、催眠作用のあるジアゼパムが大量に検出された。最初の面談での私からの質問で薄々察してはいたものの、フランツが受けたショックは大きかった。

フランツの被害届を受理した警察は、すぐさま彼の自宅を訪れた。妻のアントワネットはあっさりと自供した。信じられないような話だった。

彼女は数か月前に出産したばかりで、我が子のそばを離れることは望まなかった。しかし、彼女には愛人がいて、逢瀬を楽しみたかった。そこで、フランツが意識を失って眠っているときに、家に愛人を連れ込むことにしたという。

ショックに耐えたフランツは、自分が赤子の父親であるか調べることにした。

彼の懸念は図星であった。
DNA検査の結果、彼が父親でないことが明らかになったのだ。

これまで生きてきた世界が瓦解したフランツは、新たな人生へと踏み出したようだ。

著者 Profile

フィリップ・ボクソ(Philippe Boxho)
法医学医。作家。
1965年生まれ。ベルギーを代表する法医学医であり、同分野の第一人者。リエージュ大学法医学教授、および同大学法医学研究所所長を務める。そのキャリアにおいて6000体を超える検案、4000体以上の司法解剖を執刀。膨大な専門知識を有する医学の権威として、重罪裁判所での証言回数は300回以上に及ぶ。医学・学術界への貢献に加え、作家としてもフランスやベルギーで絶大な人気を誇り、本書を含め、著作は世界で累計160万部を売り上げる。「死」や「法医学」という厳粛な現実を、人々の知的好奇心を揺さぶる一級の物語へと昇華させるその筆致は、多くの読者を魅了してやまない。

※この記事は『死体は語りだす』フィリップ・ボクソ著、神田順子訳(三笠書房刊)の内容を、ウェブ記事用に再編集したものです。

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