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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第57回「サイコロくんと、サイコロちゃん」

  • 2026.3.27

キャバ嬢が言う「私、昼は保母さんなの」と、

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

保母さんが言う「私、夜はキャバ嬢なの」と。

印象がかなり違うのは自分がその人のどこを勝手に切り取って見ているか、ってそれだけ。

その人は不変であること、自分は一部の角度しか見えないこと、忘れたら駄目だ。

ちなみに俺は両方ともグッとくる。

はい、これは数年前の私のツイッターの抜粋。この頃からジェンダーだの職業差別だのそんな言葉はあったが、今ほど過剰ではなかった気がする。もし今この投稿をしたら、どっかしらで火がついてしまいそうなので自制するかもしれないが、この対比が一番明瞭な気がしているのだ。

バンドマンと用務員さんや、格闘家と料理人など、対にした時により真意が伝わりやすいものを探しては見たのだが、これより優秀なものを見つけることが出来なかった。一方が悪の側面を持っている対比であれば、そんなものはゴロゴロと出てくるのだが、どちらも真っ当なポジション同士で比べるのであれば、これがベストかと。

ざっくりと何が言いたいのかというと、人間って自分は多面的感覚で生きているくせして、他人に対しては一面でしか判断しないよなア、とそういうこと。

サイコロくんは自分が六面体であることをちゃんと理解しているのに、サイコロちゃんのことは出目が3しかない子だって思ってたものだから、ある日横を向いたら突然5が出てきたもので死ぬほど驚きましたとさ、みたいな話。

自分ごととなれば、人間なんだしいろんな側面もあればそれこそ日によって違う考えにもなるよ、と承認できるのに、他人様に対してはなかなか寛容でいられないのが不思議なところ。一面だけを見て、それ以外は盲目的でいるもんだから、良い方に転べば、ギャップだ、と言って歓喜し、悪い方に行けば、騙された、とすら言いかねない。

ちなみにだが、なにもこれは達観した私が他人を見るときの心得のようなものをご教示いたします的なことでは断じてなく、私もしっかりサイコロくんだよ、という立場でこれを綴っているのだということをお忘れなく。これまで私も勝手に期待して落胆したり、変に信じ込んで誤解したりを繰り返してきた気がする。しかしこれはやはり6の裏側には1があるという至極当たり前のことが頭からすっかり抜けていた結果であり、自分がその人のことをちゃんと理解しているつもりでいた驕りからくるものに他ならない。まア人によっては6の裏側も6だったり、どの面も2か4で構成されている人もいれば、実は7の面を持っている人もいるので、フォーマットがないということも忘れてはいけない。

すなわち、ろくに知らない人様に対して自分本位に過度な期待をしないでいることは大体において吉。醒めた目で人を見ろ、と言っているわけではなく、諦念とは別の、人ってそういうものだよねという理解の上で人と接するのがよろしいのではないかと。

斯くいう私も、割とバンドマンでいる強調された一面を所持している人間であり、誤解を招きやすい人間である。つんけんしていると思ってたら意外と腰が低いんですね、とか、破天荒だと思ってたら恐ろしく堅実なんですね、だとか。生業と、見た目の印象からこんなことを言われることが多い。しかし、私をよく知る人間からすれば、縦社会を重んじる体育会系の人間であり、そして前例踏襲型のロジカルで臆病な性格の持ち主であると、そんな風に思われているだろう。私自身は、私を構成するその本当の部分をコンプレックスだと感じて生きてきた。なのでそこらをわざわざ柄シャツで梱包して長髪で丁寧にリボンを結んでいるわけだからして、誤解も勘違いも、それで良しと思っているのだが。

片や、活動のスタンスや、歌やライブから聖人君子のように思われることもあるのだが、それも全くそうじゃない。あろうことか歌舞伎町で生まれ育ち、その上でバンドマンという職を選び、おまけに未だ独身でいることから、色々と察してほしい、本当に、色々と察して頂戴よ。

ストイックになれるのは仕事と音楽にまつわることだけ、あとは友達と肉親。それ以外は本当にてんで駄目だから。

だから大目に見てね、とか許容してよ、とかそういうのじゃなくて。だってそもそも「私元来こういう人です」ってな具合。

バンドマンという出目が大変に印象的なサイコロだが、絶望的にドジな面も、女の子見てデレデレする面も、卑屈を消せないでいる面も、色々とあるのよ。

その人の様々な側面をひっくるめて愛するのも良し、とある一面は好きになれないけどそれでも愛するのも良し、だったらば、と愛さないのももちろん良しだ。

自分のことですら、知らぬ一面に驚くことが未だにあるのだ、他人様の全てなど到底理解することは出来るはずがない。だからこそ、出来ることならなるべく鷹揚に、目の前のサイコロに対して慈悲深くあれたら良いな、と私は思う。

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