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101歳まで現役を貫いた薬剤師が語る「クレームの裏側」…混雑に怒った70代男性が明かした"悲しい事情"とは

  • 2026.3.25

2025年に101歳でこの世を去るまで、生涯現役の薬剤師として働き続けた比留間榮子さん。地域の人たちに寄り添い、自身も多くの人に愛されてきた。そんな比留間さんも、ときにはクレームにぶつかることがあった――。

※本稿は、比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

薬局で薬を購入する高齢男性
※写真はイメージです
まずは自分に気を配る

自分の価値観や正しさを振りかざして説教をしてしまうのは、誰にでも起こりがちなことです。けれども、そこをぐっと抑えることが大切だと思います。

心の中でまず、「あなたはあなたで大丈夫」と伝えるようにすると、不思議と、言葉は多くなくてもよくなります。

自分の心と相手の心の距離を適切に保ちながら、互いを尊重して見つめていきたいものです。人との距離を詰めすぎてしまい、誰かの心配ばかりして自分のことが後回しになってしまうのだとしたら、それは、本当に相手のことを思っているのではないかもしれません。

「こうしてくれたらいいのに」という、相手への期待はないでしょうか。

相手を心配し、気にかけることで、自分の居場所を相手の中に確保したいという思いがあるのかもしれません。

本当は自分が自分にしてあげたいことを、人に助言したり手伝ったりすることで棚上げしていると、心とからだが徐々に疲れてきます。

だから、人のことを気にかける前に、自分のことを気にかける。

いつでも、まずは自分に気を配る。

自分が元気で、安定して、心が豊かなら、自然と相手に声をかけたくなるものです。そのときの声かけは、相手への期待のない、まっすぐな本物のやさしさにあふれているように思います。

「心配してくれてありがとう」

ひと昔前の話です。七十代半ばくらいの男性のお客様が、処方箋を出されて「あとで取りに来るから」と外出されました。ところが、戻ってこられたときには店内が大変に混み合っていて、すぐに薬をお渡しできず、そのことに腹を立てて帰られてしまいました。

お店を閉めてから、私は改めて謝罪をするために、その方のご自宅へ向かいました。玄関先で「もういいから、わかったから」と言われたものの、なぜかそのままではいけない気がして、閉まりかけたドアに杖を挟み、「いいえ、ちゃんと話を聞いてください」とお伝えしました。

落ち度があったことを謝りながら、「なぜ不快に思われたのかを知りたいのです」と、正直な気持ちを伝えました。

するとその方は、数カ月前に奥様を亡くし、ひとりになった寂しさや生活の大変さから、思わず強い口調になってしまったのだと話してくださったのです。

「心配して、ここまで来てくれてありがとう」

その言葉を聞いたとき、「このままにしてはいけない」と感じた自分の感覚を信じてよかったと、心から思いました。

自分の過ちはすぐにきちんと認めること。そのうえで、恐れずに自分の意見を伝えること。その勇気があれば、どんなときも道は開けると信じています。

目の前の相手にひたむきに、誠実に

クレームを言ってきたり、怒りをあらわにする人の中には、その人の中に、大きな悲しみを抱えている方もいます。やり場のない悲しみや不安が、怒りとなって表に出てしまうことも少なくありません。

「恐れを抱いた心では、なんと小さいことしかできないことでしょう」
「私が成功したのは、決して弁解したり、弁解を受け入れたりしなかったからです」

ナイチンゲールのこの言葉は、今も私の心に残っています。

私は看護師ではありませんが、怒りや深い悲しみを抱えた人と接するとき、腫れ物に触るように距離を取ったり、怖くなって逃げ出したりするのではなく、信念を持って向き合いたいと思っています。弁解や言い訳をせず、目の前の相手に、ひたむきに、誠実に向き合いたい。そんなことを、私は大切にしてきたように思います。

患者の手を握る薬剤師
※写真はイメージです

もちろん、これは薬剤師に限りませんね。あらゆるご職業の方々、そして、仕事を持っていようがいまいが、すべての人に大切なことだと思います。

誰かの怒りに向き合うということは、大変に骨の折れることです。怒りに向き合うというのは、その奥にある思いに、そっと耳を傾けようとする姿勢なのだと思います。

勇気を出して向き合ったときにこそ、相手の中にある本当の声が聞こえてくることがあります。信念ある誠実な言葉は、相手の心を動かします。

心の不調でからだも病んでしまう

毎日お客様とお話しをして、お薬を手渡してきた私が思うこと。それは、「病は気から」という言葉は本当かもしれないな、ということです。

誰の人生にも、落ち込んでしまうような出来事は起こります。心が押しつぶされそうになる瞬間もあります。けれども、その出来事をいつまでも気に病み続けていると、今度は心だけでなく、からだまで病んでしまうことがあります。

多くの人が、自分の過去や今の状態を責めています。

その積み重ねが、不眠になったり、胃腸の調子を崩したりと、病気を呼び込んでいる面もあるのではないでしょうか。

「責める」ことは、毒にしかなりません。

自分を責めることも、誰かを責めることも同じです。

誰かへの怒りを持ち続けていると、なぜか頭痛が起きやすくなったり、胃が痛くなったりすることもあります。

自分を責める言葉は選ばない

自分に対しても、「なんで病気になってしまったんだ」「なんで自分にはできないんだ」と責めても、いいことはひとつもありません。「なんで」という問いは答えにたどりつかない詰問ですから、生まれるのは苦しみだけです。

ご自分を責めるのは、もう終わりにしましょう。これからは、自分をいたわり、ねぎらう言葉を、少しずつ選んでみてください。その積み重ねが、心とからだを回復へと導いてくれるはずです。

自分がやってみたいと思うことは、何歳からでも何でも自由にやってみたいと思いますが、生きていると、どうにもならないことに心を奪われることがあります。

他人の気持ち、過去の出来事、年齢、病気、天災、時代。考えても、願っても、努力しても、自分では動かせないことはたくさんあります。どうしようもないことに力を注ぎ続けると、人は疲れ、執着や怒り、恨みが生まれてしまいます。

どうしようもないことからは「降りる」

私は、「自分でコントロールできること」と「できないこと」を分けて考えるようにしてきました。からだのケア、学ぶこと、働き方、人との接し方、日々の過ごし方。そこには、自分の選択が及びます。自分の力で変えられることには、少し無理をしてでも時間や労力を使い、からだを動かして、勉強し、人に会うことです。

比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)
比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)

一方で、どうにもならないことからは、潔く降りること。

その上で、自分が自分の味方になってあげます。そうでなければ、病や困難に立ち向かう力は生まれてきません。自分に向けて発する言葉を、ぜひ激励の言葉に変えてみてほしいのです。

「ありがとう」「頑張ったね」「えらいね」「大丈夫だよ」「できるよ」

毎日、自分にかけるあたたかい言葉は、必ず自分を強くしてくれます。

私は、足が痛くてつらいとき、そっと足をなでながら、「今日も一日おつかれさん、ありがとう」と伝えています。すると、不思議と足が少し元気になるような気がするのです。「どうしようもないこと」ではなく、「できること」に目を向けます。

比留間 榮子(ひるま・えいこ)
薬剤師
1923年東京生まれ。1944年東京女子薬学専門学校(現明治薬科大学)卒業。薬剤師である父の姿を見て自身も薬剤師になろうと決意し、大正12年に父が創業したヒルマ薬局の2代目として働き始める。父とともに、戦後の混乱の渦中にあった東京の街に薬を届ける。薬剤師歴は80年超、調剤業務をこなしながら服薬指導や健康の相談に乗る姿は、「薬師如来のよう」と評判で、地域の人たちの心のよりどころに。101歳で亡くなるまで店に立ち続けた。

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