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手は口ほどに #18:銭湯でつくる、誰もが一緒にいられる場所

  • 2026.3.13
桶を磨く様子

まだ客のいない銭湯の浴場は、音が少ない。床に残った水をデッキブラシで流すと、天井に反響する。蛇口をひねる金属音、桶を重ねる音。店主の大久保勝仁さんが丁寧に汚れを落としたケロリンの桶を重ねて、洗い場に黄色い山をつくる。

銭湯という家業を引き継ぐとは考えていなかった。「おばあちゃんが、電気湯をもう閉めると言い出して。それはもったいないと思って」。大学院で建築や都市開発を学び、その後はNGOや国連関係機関の仕事に就いた。「やっていたのは、居場所づくり」。アジアのスラム街に赴き、住民も学生も入り交じる場をつくり、人々の声を聞いた。

ただ、現場で聞いた話も、国連にレポートするときには統計の数字となる。「データになった瞬間にそぎ落とされる声、言葉にならない沈黙や感情。それが見えなくなってしまう」。声を反映した改善を、大きな組織で実現するには時間もかかる。話を聞いた人たちのリアルな声にどれだけ応えられるのか、それを考えるようになった。

どこの国でも、都市には人が集える場所が少ない。正確に言えば、「仲良くならないと入れない場所が多すぎる」。ノリが合わないと、何か違いがあると、はじかれて居場所を失う。銭湯は、遠くも近くもない距離感でいられる場所だ。洗い場で交わされる、取り留めのない話。「会話があっても、リズムの交換のようなもの。話を聞いてないこともあるし、会話が続かなくてもいい」。それでも、人は裸で、並んで湯につかる。

大久保さんが銭湯を引き継いで、若い客も増えてきた。サウナ目当てで来る人もいれば、初めての銭湯に緊張した様子の人もいる。マナーを知らない人も多い。カランの使い方、声のボリューム。「ヤンキーの若者も、おじいちゃんにひと声叱られて、学んでいたりする」。いまは、誰かが誰かに教える、学ぶ環境も失われてきた。「電車の中で人にぶつかっても、声をかけないのが普通になってしまった。小さい時から、親に知らない人には話しかけるなと教えられていますから」。都市に生まれ育つと、知らない人と知り合う場所すら見つけられない。「銭湯なら、知らない人とでも対話ができる。人それぞれ、ただ違うだけ。湯につかりながら、それがわかる」

電気湯の店前に立つ大久保勝仁さん
銭湯〈電気湯〉は、毎日15時から24時まで休まず営業。「いい湯あり〼(ます)」。日曜日には、8時から12時の朝風呂も開ける。
靴箱
大きい人は上のほう、小さい人や子供は下のほう。ユニバーサルデザインなんて言葉がなかったころから、銭湯は開かれた場所だ。
番台前のスペース
マンガ、絵本、将棋、駄菓子、瓶の牛乳。番台前のスペースは広くはないが、ずっといたくなる雰囲気が漂う。
番台に座る大久保勝仁さん
大人550円、小学生200円、未就学児100円。番台に座った大久保さんと常連さんの会話が、リズミカルにはずむ。
マッサージチェア
決まって体重計に乗り、マッサージチェアに座って涼む。脱衣場での湯上がりのルーティンは、昔から変わっていない。
洗い場を掃除する様子
「最近は本屋にかかりきりで……」と言いながら、スタッフとともに洗い場の掃除。富士山の絵が見下ろす洗い場に、シャカシャカと音が響く。
背中に「番頭」と書かれたTシャツを着た大久保勝仁さん
開店の準備をする大久保さんのTシャツの背に「番頭」の文字。「国連の仕事をしていたくらいなので、公共のための、という気持ちが強い」
黄色い桶
黄色い桶が、銭湯というパブリックなスペースの象徴のように見える。「意外と汚れているので、開店前に毎日磨いています」
kamos 店内
「自分が若いころにハマった哲学者や建築家の本を置いています」。銭湯の近くにつくった本屋は、誰もが自分に向き合う場所にしたい。

いっぽうで、銭湯だけでは足りないとも感じる。「身体的な条件だったり、LGBTQだったり。どうしても銭湯に入れない人もいる。リズム感のある軽い会話が苦手な人もいるでしょう」。違いを抱えたまま、黙ったまま、いられる場所があったらいいと思って、近所に書店をつくった。「銭湯は会話、本屋は対話。椅子に座って本を開き、言葉を交わさなくてもいい」。下町の商店街にある銭湯と本屋。ハレとケの両方の場所を、大久保さんは行き来する。

書店の名前は〈kamos (カモス)〉。「魚屋さんだった小さな場所ですが、若いころに自分が学んだ哲学や人文、芸術などの本を並べています」。大久保さんと共同代表の柳下藍さんの二人がつくったタブロイドペーパーに、「醸す(かもす)で解す(ほぐす)」と題された原稿が載っている。「大きな物語に依拠せず、自分自身の言葉として解きほぐし、編み直していくことは容易ではない」。この本屋が、誰かの言葉に耳を傾けられるようになる一助になればと思う。

kamos 外観
銭湯から歩いて4~5分。本屋の場所は、元は魚屋だったところだ。「いい本あり〼」。選書のサブスクリプションも行っている。
柳下藍さん
本屋〈kamos〉の共同代表である柳下藍さん。パートナーの大久保さんと共に、居場所づくりに取り組む。
商店街
本屋があるのは、昔からの小さな商店街。ゆっくりとした時間が流れる町に、ご近所さんの自転車が行き交っている。
蛇口
サウナも併設されているが、それを売りにはしていない。「毎日お風呂に入るおじいちゃんや、おばあちゃんの居場所でもあるので」
湯加減を確認する大久保勝仁さん
「湯加減は、温度計よりも湯につけた指先のほうが頼りになる」。銭湯を引き継いだときに、前の担当者から教えてもらったという。
掃除用具
掃除をする間も、スタッフとの会話を欠かさない。「居場所づくりを目指すフィーリングの共有、めちゃくちゃ重視しています」
大久保勝仁さん
「定休の土曜日には近所の薬師湯さんで風呂につかり、1週間分の悩みを報告します」。そこは、大久保さんにとっての居場所かもしれない。

湯を張るときは、湯船の縁にしゃがみ込み、手を沈める。暑すぎないか、ぬるくないか。温度計を見る前に、指が先に判断する。「今日はこれくらいですかね。温度計に頼らないのは、前の担当者から引き継いだやり方。同じ温度でも、季節によって、時間によって、感じ方が違う」。湯の表情や微妙な温度差は、自分の手で確かめる。

銭湯の経営は、昨年ようやく黒字になった。つらいこと、嬉しいことを尋ねてみた。「そのどちらも、年末年始です」。土曜が定休だが、年末年始は休まない。そして、普段は日曜だけ営業する朝風呂に加えて1月2日の朝も開ける。「下町のこの辺りは家に風呂がない人もいるので、正月に銭湯が閉まっていたら寂しいじゃないですか」。元日の湯に入る最後のお客さんが帰った後に、銭湯を片付け終わるのは夜中2時ごろ。早朝4時には朝風呂の準備が始まるから、寝る暇がない。「つらそうなのを見かねた常連さんが、正月に働きすぎじゃない、休みなよと声をかけてくれるのが嬉しい」

そこには、「良質な孤独」がある。ひと言だけのやり取り、さっと会話を切り上げる所作。その積み重ねが、解(ほぐ)される空気を醸(かも)す。大久保さんは、それを「共在(きょうざい)」と呼んでいる。「銭湯は、徹底的にいい銭湯でありたい」。町にかろうじて残る、誰もが受け入れられるこの居場所を、次の世代に渡していく。

profile

大久保勝仁さん

大久保勝仁(銭湯〈電気湯〉店主)

おおくぼ・かつひと/1993年生まれ。33歳。国連機関やNGOでアジア地域のスラム街にインフラを提供する仕事をしていたが、2019年に東京都墨田区曳舟で大正11年の創業から100年以上続く銭湯〈電気湯〉を引き継ぐ。名前の由来は、「当時では珍しく電気で湯を沸かしていたからという説と、健康にいいと思われていた電気風呂がかつてあったという説がある」。学生時代から一貫して、「居場所づくり」に取り組んできた。銭湯であれば、「京都の鴨川の河原のように、適度な距離感で共に過ごせる場所がつくれるかもしれない」と考えている。2025年には銭湯の近所に本屋〈kamos〉をオープンして、また新しい場所づくりに挑む。

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