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“ドラゴン関根”になる可能性があった!? 桂三枝が授けた“ラビット関根”命名の全貌とは

  • 2026.3.27
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2024年撮影:「SUUMO住みたい街ランキング」発表会に出席した関根勤 (C)SANKEI

2026年3月17日に公開された『【日本芸能界の潤滑油】芸能界の全てを知る男、関根勤の伝説すぎる半生【鬼越トマホーク】』では、ゲストに関根勤さんが登場。動画内では桂三枝さんが命名した“ラビット関根”の誕生秘話や、45分間のオーディションでお笑い界のパイオニアとなった衝撃の半生が明かされました。50年以上一線で走り続ける“芸能界の怪物”の原点には、常識を覆す圧倒的な熱量と、時代を動かした数々の偶然が重なり合っていました。笑いの歴史を“塗り替えた”、関根勤さんの知られざる「伝説」に迫ります。

桂三枝が命名した“ラビット関根”、実は12種類の候補があった!

関根勤さんの芸名“ラビット関根”には、あの大スター・桂三枝さんが深く関わっていました。卯年にちなんで「君ちょっと顔も歯もこう2本出てるし。ラビット関根どや」と命名されたというエピソードは、なんともユニークな誕生秘話。

これは三枝さんの愛情たっぷりのネーミングセンスが光る瞬間で、見た目の特徴をユーモアに変えてしまう発想の豊かさが伝わってきます。しかも驚きなのは、その命名ルール。「ラビットでダメやったら次は辰年だからドラゴン関根。それがダメだったらスネーク関根。それで12種やってダメなら諦めなさいと」と、干支12種類を順番に試していく予定だったというから笑えます。

これは単なる冗談ではなく、三枝さんなりの“12回チャンスをあげる”という温かいエールだったのかもしれません。ちなみに関根さん自身は「ドラゴン関根だったら藤波さんがドラゴン藤波で出てんだよ。だから俺がドラゴン関根つったら叩かれるよ。」と笑い飛ばしており、ラビットで正解だったと振り返っています。結果的に“ラビット関根”という名前が関根さんのキャラクターにぴったりはまったのは、運命だったとしかいいようがありません。

オーディション文化の先駆けに

芸名が決まった関根さんが次に挑んだのが、テレビデビューへの道。大学3年生のとき、『ぎんざNOW!』のオーディションで関根さんはとにかくネタを披露し続けました。「止めないからさ、ディレクターが。45分やったの」という言葉が示すように、誰も止めないまま怒涛の45分間を演じ切ったというのだから、そのエネルギーは相当なもの。

これはディレクターが関根さんのネタに引き込まれていた証拠でもあり、素人ながらプロを魅了してしまった瞬間ともいえます。そしてそのオーディションをきっかけに、プロデューサーがルールを変えて勝ち抜き戦を新設。師匠なしでテレビデビューを果たした関根さんは、のちのお笑いオーディション文化の先駆けとなりました。「俺がやっぱりその師匠なしのパイオニアになっちゃった」という言葉には、自分でも予期しなかったほどの影響力を残してきたという、静かな自負が感じられます。

吉本興業がその流れに気付いてNSCを設立したのも、関根さんのデビューから約10年後のこと。今や当たり前となったオーディション文化の源流に関根さんの45分間があったと思うと、あらためてその存在の大きさを感じずにはいられません。

コメント欄では、「師匠なし、アマチュアからの即デビュー以降50年以上レギュラー番組が途切れない芸能界の怪物」「最初から最後までおもしろい。さすがずっと売れてる関根さんなだけあるわ」など、関根さんの衰えないそのおもしろさが絶賛されていました。

笑いへの純粋な情熱が、時代を動かしていた

師匠に弟子入りするのが当然だった時代に、自分の力だけで道を切り開いた関根勤さん。三枝さんから授かった芸名を胸に、45分間のオーディションをやり切った姿には、笑いへの真っすぐな情熱が詰まっています。飾らない語り口のなかにふとのぞく茶目っ気と、長いキャリアを支えてきた芯の強さ。関根さんの魅力は、そのギャップにあるのかもしれません。