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【なすなかにし・中西茂樹】渡辺徹さんの言葉に「新大阪から岐阜羽島まで涙が止まらなかった」。50目前までの人生を振り返る漫画付きエッセイ『いまのところ』発売【インタビュー】

  • 2026.2.18

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ロケ芸人として人気を博すお笑いコンビ・なすなかにしの中西茂樹さんが、雑誌連載をもとにした初の著書『いまのところ』(双葉社)を出版。いとこで相方の那須晃行さんとコンビを結成した背景や、妻でお笑い芸人の梅小鉢・高田紗千子さんとのなれそめなど、本書でほのぼのとエピソードを明かす中西さんの語り口には、そっと背中を押される。本書の執筆を経て、何を思ったのか。インタビューで尋ねた。

■50代目前にして「いろんなことを許せる時期」に

――初の著書『いまのところ』は「お笑い」「ゲーム」「結婚」など、各トピックに沿った思い出を振り返りながら、全編を通すと中西さんの人生が分かる自伝のような印象でした。元々、自身の人生を振り返る書籍への憧れはあったのでしょうか?

中西茂樹(以下、中西):ずっと自分の本を出したいと思っていたんです。絶好のタイミングで出版のお話をいただいて、夢が叶いました。記録に残るといっても、那須くんとの漫才や出演したテレビの映像とも感覚は違いますね。僕自身の生きてきた証を残したいと幼い頃から思っていたし、形になってうれしいです。

――48歳(出版当時)で『いまのところ』と名付けたのは、中西さんの人生そのものを表しているかのようです。

中西:この時点で「いまのところはこういう考え方で生きている」という意味を、タイトルに込めました。いろんな経験をして、いろんな人に出会って、いろんなものにふれていくと、考え方が変わっていくと思うんです。若いうちは「年を取っていけばいくほど、頭がかたくなっていくんやろな」と考えていたけど、それでも変化はしていくものですから。来年になったらまた変わっていくかもしれへんし、人間としてもより素敵になっていく期待を込めて「今はここやぞ」という思いを示しました。

――人生を振り返ると、40代の今はどのような意味を持っていますか?

中西:いろんなことを許せる時期ですかね。若いうちは、ちょっとしたことに腹が立っていたんですよ。「そんなんどうでもええやないか。楽に生きていこう」と考えられるようになったのは、僕にとっての変化ちゃうかなと思います。

――書籍の元になった雑誌『EX大衆』(双葉社)の連載「こじらせて、毎日青春」は、そんな人生のルーツをたどるきっかけにもなったと思います。

中西:まわりに支えられている人生やなと、再認識できました。文字にしてみると、分かるんです。例えば、那須くんが脳梗塞で倒れて、ピンで活動しなければならなかった時期に「まわりの芸人さんやスタッフさんに助けられたな」とか。人生は自分だけで成り立たへんし「恩返していかなあかん」と、感じました。

――著書の帯を書かれた、妻でお笑い芸人の梅小鉢・高田紗千子さんにも、日常で支えられる場面があるのではないでしょうか?

中西:めちゃくちゃありますよ。いつも、僕のやりたいことを優先してくれるんです。「おもちゃが欲しい」と言っても「そんなもんいらんやろ」ではなく「買ったらええやん」と答えてくれますし、僕の背中を押してくれる人ですね。

妻でお笑い芸人である梅小鉢・高田紗千子のエピソード
妻でお笑い芸人である梅小鉢・高田紗千子のエピソード

■故・渡辺徹がプロとしての姿勢を教えてくれた

――なすなかにしの成り立ちも振り返っていて、中西さんと那須さんはいとこのお笑いコンビなんですよね。本書では、那須さんと「大人になっても一緒に遊ぶ」という思いが表れていますが、活躍する今もその思いは変わっていませんか?

中西:変わっていませんね。仕事ではありますけど、コンビでのロケへ向かうために自宅を出るときも遊び感覚ですから。いろんな場所に行かせてもらえるし、子どもの時は実家の近所で遊んでいたのが、今は遠くになっただけです。

――テレビ越しのおふたりを見ても、空気感は伝わってきます。とはいえ、年齢を重ねるにつれて、いわゆる仕事のパートナーとなると常に一緒にいるのは難しいでしょうし、寂しくなってしまう瞬間もあるかとは思います。

中西:プライベートで「2人でご飯に行こう」と那須くんに言っても「ピラティスが入ってるから」と断られるときはあります(笑)。でも、今はそれぞれの家庭もあるし、まわりの人間関係も変わったから、仕方ないですよね。2人でいる時間は、子どもの時に戻れるんですよ。楽屋でもずっとしゃべっていますね。つい最近も、那須くんが「おもちゃを買った」と言ってきたので「今度持ってきて」と話したし、「最近、こんなゲームが面白いで」とお気に入りの作品をすすめました。

小学校5年生の時、中西は山口県に引っ越す。いとこ・那須と遠距離になっても留守番電話機能を使うなどして遊んでいた
小学校5年生の時、中西は山口県に引っ越す。いとこ・那須と遠距離になっても留守番電話機能を使うなどして遊んでいた

――那須さんとの思い出を振り返る一方、タレントの故・渡辺徹さんとのエピソードも随所で振り返っていました。

中西:きっかけはNHKの番組で、同じ事務所に所属するますだおかだの岡田(圭右)さんが徹さんのレギュラー番組に出演されていたんですよ。別の番組に出演する僕らが岡田さんの楽屋に行ったら、徹さんがいらっしゃって、初対面でしたけど「今度、ご飯行こうよ」と気さくに声をかけてくださったのが最初の出会いでした。

――その後の親交は深く、渡辺さんは常に温かく見守ってくださったそうですね。

中西:東京でまったく仕事がなかったときも「絶対に大丈夫だよ」と励まし続けていただいたし、徹さんに帝国ホテルのカレーをご馳走になった思い出もありますね。プロとは何かを、教わったのも徹さんなんですよ。中川家さん、サンドウィッチマンさん、ナイツさんも出演していた、徹さんがプロデュースするお笑いライブ「徹座」に出演したとき、進行表に出演芸人のエピソードが赤い字でビッシリと書いてあるのを見て「ベテランであっても、これほど準備するんや」と驚いたし、仕事に取り組む姿勢を学びました。

そして、忘れられないのが2019年に出場した「第54回上方漫才大賞」の帰り道ですね。僕らは奨励賞にノミネートされるのみで、優勝を逃してしまったんです。帰りの新幹線でLINEを開いたら、徹さんから「中西くん。今度は自分が本当に面白いと思うネタをやりなさい」というメッセージが届いていて。「まわりの人に伝わらなくてもいいし、那須くんが『ついていかれへん』となるぐらいでもいいから、本当に面白いことだけをやりなさい」というメッセージも見て、当時は新大阪から岐阜羽島まで涙が止まらなかったです。そこから「こうしなければならない」という考えが取っ払われた気もして、徹さんからのメッセージを今も宝物として保存しています。

■これからもずっと相方・那須と「一緒に遊んでいたい」

――小学校から中学校にかけては「人形遊び」を楽しむなど、幼い頃から想像力が豊かだった一面も明かしています。お笑い芸人として、人を笑わせるお仕事にとっても、その力は活きていると思いますか?

中西:そうですね。漫才では、子どもの時からのクセである「これが面白いんじゃないか」の発想がきっかけになっているんです。何かあったら那須くんに「やってみようや」と言って、ネタになっていく。那須くんもこっちが描いている絵をすぐに理解してくれるし、ノッてくれます。テレビ番組のロケでも「面白い」が真っ先にあって、浮かんだものをコメントしているんです。ただ、伝わらなくてめっちゃスベるときもあります(笑)。

――(笑)。オリコンニュースによる「ブレイク芸人ランキング」にランクインするなど、近年は、テレビ番組のロケを中心に人気を集めています。

中西:大阪ではロケばかり行っていたんですけど、東京に来てから、まさか自分たちがロケに向いているとは思わなかったんですよ。ヒロミさんが『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)で、僕らは「ロケがいいんじゃないか」とボソッと言ってくださったのが、最初のきっかけで、その後『笑神様は突然に…』(日本テレビ系)に出演し、『ラヴィット!』(TBS系)で一気に広めてもらった感覚でした。

ロケ中に街行く人に質問するコツについては、「気になる部分を探すこと。服装でも、些細な持ち物でも、とにかくなんでもいいから自分が気になるポイントを探しまくる」と語る。
ロケ中に街行く人に質問するコツについては、「気になる部分を探すこと。服装でも、些細な持ち物でも、とにかくなんでもいいから自分が気になるポイントを探しまくる」と語る。

――ただ、花開いた現在でも、那須さんと「大人になっても一緒に遊ぶ」という思いはそのままに突き進んでいきたいと。

中西:当初は漫才で結果を出したかったし、漫才コンビとして「M-1グランプリ」から売れる人生プランもありました。なかなか結果が出ずに「どうしよう」となったとき、大阪時代から経験のあったロケで日の目を見るなんて、人生どうなるか分かりませんよね。でも、どれほど環境が変わっても、那須くんと「一緒に遊んでいたい」というのは変わりません。そんな思いのまま、いずれ「人生ゴールイン!」みたいにこれからも歩いていきます。

取材・文=カネコシュウヘイ、撮影=後藤利江

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