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27年前、ファンを驚かせた再始動による人気バンドの“キャラ変”…3年ぶりの“帰還ソング”

  • 2026.3.22

1999年。世界が「ミレニアム」という未知の数字を前に、期待と不安を交互に呼吸していたあの頃。音楽シーンもまた、アナログの温もりを脱ぎ捨て、冷徹で洗練されたデジタル・サウンドへとその軸足を移しつつあった。情報の速度が劇的に加速し、誰もが「記号」としての自分を演じることを強いられ始めていた時代。そんな1999年3月、私たちはテレビの画面越しに、あるいはラジオのノイズの向こう側に、かつてないほど「生々しい」意思を持った音の塊を聴くことになる。

それは、3年ぶりにそれぞれのソロ活動という名の深い潜航を経て、再び同じ甲板に立った二人が放った、静かな、しかし抗いようのないほど力強い「帰還のしらせ」であった。

CHAGE and ASKA『この愛のために』(作詞・作曲:飛鳥涼)ーー1999年3月10日発売

デビュー20周年という大きな節目を目前に控え、レーベルを移籍した彼らが、39枚目のシングルとして選んだのは、かつてのミリオンセラーをなぞるような劇的なバラードではなかった。そこにあったのは、徹底的に磨き上げられたデジタル・テクスチャーと、一滴の混じり気もない「個」の覚悟である。

体温を持った「孤独」の風景

この楽曲を語る上で、まず触れなければならないのは、その特異な音作りだ。編曲を手がけた十川知司によるアレンジは、当時の音楽シーンに溢れていた安易なデジタル・ポップとは一線を画している。楽曲を支配するのは、余白を意識した緻密なプログラミングと、幾層にも重ねられたシンセサイザーのレイヤーが作り出す、冷たくもどこか優しい、クリスタルのような音の迷宮である。

イントロが鳴った瞬間に広がるのは、都会の深夜を思わせる空間だ。規則的に刻まれるリズム、空間を切り裂くように配置された電子音の断片。それらは決して聴き手の感情を煽ることはない。むしろ、聴き手を深い思索の淵へと誘うような、極めて知的な構成を持っている。

当時、NECのCMソングとしてお茶の間に流れていたこの旋律は、当時の「最先端」を象徴するプロダクトと、不思議なほど共鳴していた。デジタルが日常を侵食し始めたあの時代に、デジタルという冷たい素材を使い、その中心に「消えることのない情熱」を閉じ込めたのである。それは、最先端の技術を駆使して「人間」を描こうとする、クリエイターとしての矜持の表れでもあっただろう。

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CHAGE and ASKA-1999年2月撮影(C)SANKEI

いつものキャラから変わり、選んだ言葉の「重み」

サウンドがどこまでも洗練を極める一方で、そこに載せられた言葉は、これまでの飛鳥涼の作風からは想像もつかないほど、無骨で、直接的であった。

ファンを驚かせたのは、一人称が「俺」、二人称が「お前」という、彼らの楽曲としては極めて稀な呼称が選ばれたことだ。かつての彼らは、比喩や隠喩を何層にも重ね、美しい物語のベールで「愛」を包み込んできた。しかし、再始動の第一歩として彼らが選んだのは、そうした美学という名の鎧を脱ぎ捨てることだった。

「俺」と「お前」という言葉の響きには、格好をつける余裕すら奪われた、極限状態の切実さが宿っている。 それは、3年という歳月を経て再び相まみえた二人が、お互いに対して、そして自分たちの音楽を待ち続けたリスナーに対して放った、偽りのない「個」の対峙であったと言える。

「この愛のために」という言葉は、決して甘い囁きではない。それは、何かを成し遂げるための過酷な代償を払い、それでもなお踏み止まろうとする者の、血の通った宣誓である。飛鳥涼の、深みを増したハスキーなボーカルがその言葉を噛みしめるように放ち、そこにCHAGEの、天を突くような鋭いコーラスが重なる。二人の声が交わるとき、計算されたデジタル・サウンドは一気に体温を帯び、聴く者の胸を激しく焦がしていく。

20年の歳月を経て、再び「はじまり」を肯定する勇気

この『この愛のために』を聴けば、それまでの3年間が決して「休止」などではなく、それぞれが自らの表現を極限まで純化させるための、豊饒な「充電」であったことが理解できる。

彼らは過去の成功体験に寄り添うことを拒み、あえて新たなレーベルで、新たなサウンドアプローチを試みた。 その姿勢こそが、デビューから20年が経過してもなお、彼らを現役の「表現者」たらしめていた根源である。守るべきものが増え、キャリアを積み重ねるほど、人は変わることを恐れる。しかし彼らは、20年という重みさえも燃料に変え、全く新しい響きを持って私たちの前に現れたのだ。

時代を超えて鳴り響く、不変の「パッション」

1999年に私たちが感じていたデジタルへの畏怖は、もはや日常の中に溶け込んで消えた。音楽は所有するものではなく消費するものへと変わり、言葉の重みもまた、指先一つの操作で軽やかに扱われるようになった。

しかし、今改めてこの『この愛のために』を再生してみると、そこにはいささかの古臭さも感じられない。むしろ、音が極限まで整理され、言葉が鋭利に研ぎ澄まされているからこそ、現代の喧騒の中でもその輝きは失われていない。 それは、この曲が流行を追ったものではなく、時代の先を見据え、なおかつ人間の普遍的な感情を掴み取ろうとした「執念」の産物だからだ。洗練された電子のビートの奥底で、今もなお、二人の男の熱い吐息が聞こえてくる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。