1. トップ
  2. レシピ
  3. セツとの結婚後も「ご飯」派にはなれず…武家屋敷に引っ越したハーンが妻に毎朝求めたパンと「飲み物2種」

セツとの結婚後も「ご飯」派にはなれず…武家屋敷に引っ越したハーンが妻に毎朝求めたパンと「飲み物2種」

  • 2026.1.23

朝ドラ「ばけばけ」(NHK)のモデルであるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と妻のセツ。作家の青山誠さんは「ハーンは立派な武家屋敷である松江の新居が気に入ったが、食生活だけは洋食を好み、朝食はパン派だった」という――。

※本稿は、青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

松江の小泉八雲旧居
松江の小泉八雲旧居
セツはハーンと結ばれ、武家屋敷へ

明治24年(1891)、6月22日付の西田の日記に「ヘルン氏、北堀町ニ転寓セラレ」と記されている。湖畔の家からの眺望は気に入っていたのだが、冬場に湖から吹きつけてくる寒風が辛い。

次の冬が来るまでには引っ越しするつもりだった。また、セツが同居するようになってからは家が狭く感じられて、新居探しを急ぐようになっていた。

北堀町は松江城の北側、城の堀と崖がけに挟まれた谷間のような場所である。堀川に沿って通された塩見縄手しおみなわてと呼ばれる道には、立派な長屋門を構えた武家屋敷が建ちならんでいる。

藩政時代はセツの実家・小泉家と同レベルの家格が高い藩士が住む地域だったという。ハーンが借りた家も、藩の番頭を務めた禄高300石の根岸家の屋敷である。県庁職員の家主が遠離地に赴任し、空家となった屋敷を月額3円の家賃で借りたのだった。この屋敷は当時のままに現存しており「小泉八雲旧居」として公開されている。

「北堀の屋敷に移りましてからは、湖の好い眺望はありませんでしたが、市街の騒々しいのを離れ、門の前には川が流れて、その向う岸の森の間から、お城の天守閣の頂上が少し見えます。屋敷は前と違い、士族屋敷ですから上品で、玄関から部屋部屋の具合がよくできていました」(「思い出の記」)

「ばけばけ」には出てこないペット

セツもこの新居が気に入ったようである。家格は違っても武家屋敷の意匠や間取りには共通点が多く雰囲気が似ている。藩士の娘として幸福に暮らしていた頃の思い出に浸っていたのだろうか。

「私共と女中と猫(※註1)とで引っ越しました」とセツは語っている。この頃はセツの他にもうひとり女中が雇われていた。西田をはじめとする友人・知人が引っ越し祝いに訪れた時には、女中に指図しながら家のことを取り仕切るセツの姿を目にしただろう。それを見たらもうセツのことを住み込み女中とは思わなくなる。誰の目にも「この家の奥さん」だと映る。知人たちの認識を改めさせる上でも、この引っ越しは良い機会だった。

(※註1)セツが住み込みで働くようになってまだ間もない頃、ハーンが虐待され水に溺れていた子猫を助けて、一緒にびしょ濡れになりながら帰ってきた。その光景がセツの目に焼きついて忘れられず「その時、私は大層感心致しました」と、思い出話によく語っていた。この時にはすでに彼女もハーンには特別な感情を抱いていたのだろう。

「この住まいが気に入りすぎた」

北堀町は市街地の北隅、中心街からは離れている。それまで住んでいた大橋界隈の繁華な場所と違って、付近は昼間も人通りがなく静寂に包まれていた。落ち着いて執筆に没頭できる環境がハーンにはありがたかった。また、裏山に鬱蒼うっそうと繁る森や家を囲む風流な庭園など、大橋川や宍道湖の眺望に勝るとも劣らぬ美しい眺めがあふれている。

松江市の古写真
松江市の古写真、『島根縣寫眞帖』(写真=国立国会図書館デジタルコレクション)

「私はすでに自分の住まいが、少々気に入りすぎたようだ。毎日学校の勤めから帰ってくると、まず教師用の制服からずっと着心地のよい和服に着替える。そして、庭に面した縁側の日陰にしゃがみこむ。こうした素朴な楽しみが、五時間の授業を終えた一日の疲れを癒いやしてくれる。壊れかけた笠石の下に厚く苔蒸こけむした古い土塀は、町の喧噪けんそうさえも遮断してくれるようだ」(『新編 日本の面影』)

この家がいちばん居心地がよくて安らげる場所になっている。神戸で暮らしていた明治29年(1896)に、松江を再訪した時にはこの旧居にも立ち寄り「我が家に帰ってきた」と喜んだ。2時間以上も滞在して感慨深げに部屋や庭を眺めていたという。

ハーンが愛してやまない“我が家”。彼がここで心地よく過ごせるよう、セツも細やかな気遣いをしていた。

綺麗きれい好きで完璧主義者のセツは、毎日2度は家の隅々まで徹底的に掃除する。塵ちりひとつ落ちていない状態にしておかねば気がすまないのだが、ハーンはパタパタとハタキをかける音が大嫌い。だから彼の留守中に手早く掃除をすませるようにしていた。

小泉八雲旧居
※写真はイメージです
トロロ汁や刺身も食べていたが…

仕事に没頭している時のハーンはハタキに限らず音に過敏になり、微かな音にも神経をかき乱される。彼の思索を乱さぬよう細心の注意を払い、炊事や洗濯も物音たてぬようにやらねばならない。

食事に関しても、松江のような田舎町では、ハーンが求める食材を入手するには色々と苦労が多かったようである。富田旅館に滞在していた頃、トロロ汁や刺身など普通の外国人が絶対に箸はしをつけない料理を平気で食べるハーンの姿を多くの人々が目にしている。しかしそれは「私はこれだけ日本に馴染んでいる」というのを見せつけるためのパフォーマンスだった。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ、1892年(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons)
ご飯よりパン、コーヒー、ミルク

どうしても子どもの頃から慣れ親しんだ食材と味付けを欲してしまう。日本を愛しているハーンだが、食べ物だけは日本料理よりも洋食が好みだった。そのことを恥じていたから、人前でこれ見よがしに日本料理を食べたりするのだ。

しかし、他人から見られることのない家では洋食中心の食事になる。朝はパンとコーヒー、そして、かならず2合の牛乳を飲んだ。昼や夜は卵料理や煮物など日本食のおかずも少し食べるが、主食はご飯よりもパンを好んだ。また、ソーセージやステーキが大好物で、夕食後には必ずビールを2本ずつ飲む。当時の松江ではビールを取り扱っている店が少なく、切らさないよう常に大量のストックを確保しておくよう心がけていたという。

コッペパンとコーヒー
※写真はイメージです
瓶に入った牛乳とカップに入った牛乳
※写真はイメージです
松江の風土は気に入っていた

散歩好きのハーンは、暇さえあれば市中の寺社をめぐり歩いた。京店の借家に住んでいた頃は、大橋を渡って市街地南側の白潟しらかた天満宮や南郊の高台にある洞光寺とうこうじまでよく出かけていた。洞光寺は彼の作品にも登場してくる。松江城下を見渡す境内からの絶景と、低く響き渡る鐘の音をこよなく愛していたという。

北堀町に引っ越してからは、屋敷から堀に沿って東へ10~15分ほど歩いたところにある普門院ふもんいんがお気に入りの散歩コースになっている。住職と親しくなり、家に招いて話を聞いたりもした。この寺は松江城を築城した堀尾吉晴ほりおよしはるが創建した古刹こさつ。ハーンの怪談話の舞台としても知られている。

昔は普門院の付近に「小豆あずきとぎ橋」という名の橋があり、その橋の下には女の幽霊が現れて小豆を洗うという伝説があった。また、橋の上で謡曲「杜若かきつばた」を歌うと幽霊の逆鱗げきりんに触れて恐ろしいことが起こるといわれる。ある夜、その話を聞いた豪胆な侍が「そんなバカなことがあるか」と、「杜若」を歌って橋を渡ってみせた。すると、侍が家に帰ると門の前に美しい女が待っていた。女は「主あるじからの贈り物です」と侍に箱を渡して消え去る。箱を開けてみれば、血に染まった生首が入っていた。侍が驚いて家の中に入ると、そこに頭を捥もぎ取られて死んでいる我が子の姿があったという。

「小豆とぎ橋」があったと思われる付近
「小豆とぎ橋」があったと思われる付近
セツは引越し後も「怪談」を集めた

ハーンの故国アイルランドは土着信仰の影響が色濃く、ハロウィンなど霊魂にまつわる風習が多く残っていた。昔話にも精霊や妖精はよく登場する。乳母からそういった話を聞かされて育ったせいか、日本の怪談や奇談にも強く興味を惹かれる。松江に来てからはこの類たぐいの話を多く収集するようになっていた。

セツにもハーンが好む話の傾向が分かってきたようで、集めてくる話にはしだいに怪談が多くなってくる。北堀町の屋敷に引っ越してから、彼女はさらに昔話を探すのに熱心になり、それに費やす時間も増えていた。

本の題名が「Kwaidan」のワケ
青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)
青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)

母親の幽霊が赤ん坊を育てるため水飴みずあめを買いに来る「飴を買う女」の舞台である大雄寺、境内の亀の石像が夜になると動きだし城下で暴れて人を食う「人食い大亀」の月照寺げっしょうじ、等々、話はいくらでも見つかる。松江は怪談話の宝庫だった。集めてきた話には、欧米人のハーンが理解しやすく面白がるように多少手をくわえて、雰囲気を盛りあげるために口調なども工夫するようになる。それがハーンの創作意欲をかきたて、幾多の名作を生みだす原動力となっていく。

1904年にアメリカで初版本が出版された『怪談』のタイトルは『Kwaidan』だった。標準語であれば“Kaidan”と表記するところだが、標準語の「か」を出雲方言では「くゎ」と発音する。出雲地方で収集した話が大半を占め、その多くがセツの喋しゃべる出雲訛りの強いヘルン言葉で伝えられたものだけに、本のタイトルも出雲弁の「くゎいだん」がしっくりとくるのだろう。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。

元記事で読む
の記事をもっとみる