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ザ・タイガースのオリジナルメンバーは全員、80歳手前で健在!「集まると昔話か健康の話です(笑)」【79歳・森本太郎さんのターニングポイント#4】

  • 2025.12.22

ザ・タイガースのオリジナルメンバーは全員、80歳手前で健在!「集まると昔話か健康の話です(笑)」【79歳・森本太郎さんのターニングポイント#4】

グループサウンズの黄金期を牽引したザ・タイガース。その中で森本太郎さんは、仲間から厚く信頼される存在でした。当時のGSでは珍しい自作曲「青い鳥」は今も多くのファンに親しまれています。衝撃的な成功の日々と解散、音楽プロデューサーの活躍など、森本さんの人生のターニングポイントについて伺いました。第4回は、タイガースの“同窓会”とこれからのこと。

「タイガースのメンバーになれてよかった」と思いました

——解散から10年が経った1981年、「ザ・タイガース」のメンバーが再集結しましたね。

「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」に「ザ・タイガース」として出演したのをきっかけに、サリー、トッポ、ジュリー、シロー(岸部四郎さん)と僕の5人で「ザ・タイガース同窓会」ができました。

解散10年目の節目だし……という感じで。ただ、芸能界を離れていたピーは参加しなかったので、再結成ではなく、「同窓会」です。

——『色つきの女でいてくれよ』のヒットもあって、「同窓会」の活動は幅広い世代から注目されました。

まず、沢田が曲を書いた『十年ロマンス』(作詞・阿久悠)をリリースしたんですけれど、歌詞にタイガース愛が詰め込まれていて、ファンの皆さんは懐かしさを覚えたはず。僕は好きな曲ですね。

その後、同じ阿久悠先生の作詞で僕が作曲した『色つき~』を出したら、コーセー化粧品の「春のイメージソング」に採用されたんです。あのころは化粧品のCMソング=ヒットする、という時代でしたから、一般の人たちの間にも浸透したんだと思います。

——その後も何度か、メンバーが集まってのライブが開かれていますね。

2011年、2012年は沢田のライブツアーにサリーと僕、芸能界に戻って来たピーも参加して全国を回りました。

2013年の「ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム」にはトッポも加わって、オリジナル・メンバー5人が揃った再結成のステージになったんです。

——沢田さんが「今回はみんな5人でライブのいろいろなことを決めて、みんなで頑張って作り上げてきました」と超満員の観客席に向かってうれしそうに話す姿が印象的でした。

僕は曲の構成とかコーラスとか、音楽的なことを主に担当しました。

結局、みんなバンドが好きだし、「ザ・タイガース」が大好きなんですよ。いい曲にたくさん恵まれたことも幸せだと思っています。

——森本さんご自身のライブでも、「ザ・タイガース」の楽曲を演奏したり、メンバーが出演されたりしていますね。

「森本タロー 喜寿 バースデーライブ」(2023年)には、サリー、ピー、ジュリーがゲスト出演してくれることになって。テーマは「素晴らしい仲間たち」に決めました。

アンコールで沢田と2人きりで『青い鳥』を歌ったときは、胸が熱くなりましたね。つくづく「タイガースのメンバーになれてよかった」と思いました。

——ライブ以外にも、メンバーで集まる機会はありますか?

サリー、ピー、ジュリー、僕の4人でたまに食事会をするんですが、だいたいが昔話か健康の話です。

ところが、それぞれの記憶が噛み合わないことが多い。誰かが始めた昔話に、「えー、そうだっけ?」ってなって、話がややこしくなる。

それでもとにかく楽しいんです。メンバーとは京都のころから60年の付き合いですからね。この先も、友達付き合いは続きます。

——食事会で「ザ・タイガース」再結成の話題が出ることはありますか?

いまのところ、誰も言い出さない。でも、みんな高齢者もいいところですから、先延ばしにしている場合でもない(笑)。

最近、GS仲間から「全員が健在なのは『ザ・タイガース』と『ヴィレッジ・シンガーズ』くらいだね」と言われました。シローのことは残念でしたけれど、オリジナル・メンバーの5人は全員、80歳手前で健在ですからね。

『シーサイド・バウンド』が始まると、みなさん、スタンディングで歌う!

——森本さんご自身は現在も精力的にライブを開催されていますが、健康のために実践していることはありますか?

栄養を考えた食事と適度な運動で免疫力を高くすること。老化は仕方ないけれど、老化を遅らせる努力はできますから。

僕はスマホの歩数計をつけて、毎日4000~6000歩を少し早めのスピードでウォーキングしています。ちょっと足りなかったら、元気を出して近所をもう1周、1000歩くらい歩こうかな、と意識して習慣にしています。

——「ザ・タイガース」のころから、森本さんの怒っている姿が想像できません。心の安定のために心がけていることはありますか?

京都に帰ったら、必ず母のお墓参りに行くことにしているんです。

母は95歳で亡くなったんですが、ものすごく優しい人で、僕は怒られた記憶がほとんどありません。

——お母さまの優しい人柄を受け継いだんですね。

そんな母の墓前でいつも「僕を産んでくれてありがとう」「タイガースの時代に産んでくれてありがとう」とお礼を言って手を合わせるんです。お墓参りをすると、心が落ち着くし、癒される。気持ちがいいんですよ。

——最近では、11月に開催された79歳を祝う「バースデーライブ」も早々にSOLD OUT。行けなかったファンの悲鳴がネットに散見されました。

ライブハウスに足を運んで下さるファンも古希を迎えたであろう方が増えてはいるんですが、皆さん、若い。すごくおしゃれで、素敵です。この日を楽しみにして、『シーサイド・バウンド』が始まると、スタンディングで歌っているんですから。

そんな姿を見ていると、こんな時代が来たんだな、とうれしくなるし、そういう年齢の重ね方をすべきだな、と僕は思います。

ほんとうに好きなことがあったら、やり続けてほしい。目標を持ち続けることが、萎れないためには大切だと思います。

——では、「森本太郎ライブ」はまだまだ続きますね。

僕ら演者は、見に来て下さるファンの方がいないとダメなんです。

沢田も最近、ステージから「みんな元気でいてや」って呼びかけてますから。

皆さんが元気でいて下さって、見に来て下さる限りは、別に何歳までと決まっているわけではないのでライブは続けるつもりです。

森本太郎さんのターニングポイント④
ほんとうに好きなことがあったら、やり続けてほしい。目標を持ち続けることが、萎れないためには大切だと思います。皆さんが元気で見に来て下さる限り、ライブは続けるつもりです。

森本太郎さん Profile

森本太郎●ザ・タイガースの元メンバー
ギタリスト・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー
1946年、京都生まれ。1967年に「ザ・タイガース」のギタリストとして『僕のマリー/こっちを向いて』でデビュー。ザ・タイガースの8枚目のシングルに収録された『青い鳥』では作詞作曲を担当し、自作の一曲として高く評価されている。解散後は、「タローとアルファベッツ」「森本タローとスーパースター」などのバンド活動やソロ活動、作詞作曲、音楽プロデュース業を精力的に展開。1981年のタイガース再結成にも参加し、現在も幅広く音楽活動を続けている。愛称は「タロー」。
森本太郎 公式サイト

撮影/橋本哲

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