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「似合う」のありか。写真と文:長見佳祐 (ファッションデザイナー) #3

  • 2025.12.19

自分ってこういうキャラ、といった自己像は誰しもにあり、それとは別に写真越しだったり、他人からみた自分という“客体像(=客観的にみた自分)”がある。さらに、「あの人、こう在りたいんだろうな」と眼差しを受ける他者からの“想定自己像”。この3つの像が、体の上でひらひらと揺れている。

photo:TOKI sculpture : Keiko Kume

これまでの#1、#2で綴ってきたように、「似合う」は服と人ではなく、それを見た人=観測者(例えば友人やコミュニティ、ショップスタッフ)のうちに起きる、“客体像”と“想定自己像”が近似したときの安心感、調和のようなものかもしれない。似通い合っているのは、装う姿と、そこに在る姿。

この整理は、なかなかもっともらしい。実際多くの場面に当てはまりそうな気もする。でも当然ながら、プロの販売員であればまだしも、日々周りの人の服装にそれほど気を巡らせてはいられない。「なんだか馴染んでいる」「違和感がない」「ちょっと新鮮」という程度のことだ。“想定自己像”との近似とか、考える暇も無い。そんな、秒に満たない判断に作用しているのは、記憶だろう。着用者との思い出に限らない、「こんな人どこかで見た」というあるある。

お笑いコンビ・千鳥の番組『テレビ千鳥』のなかで、「芸能人入り待ちクイズ!!」という企画がある。私服で放送局にやって来る特定のゲストを待ち構えて、どんな姿なのかをクイズ形式で予想するというもの。千鳥のふたりをはじめとする回答者は、当然視聴者よりもゲストのことをよく知っているので、私たちが知らない意外な(あるいは普段のイメージ通りの)ゲスト像を予測する。実際にゲストが登場すると視聴者は、舞台上の人物像がブレるような違和感と、でも確かにこういう人いるなというステレオタイプが混在して同時に押し寄せることとなる。

photo:TOKI

率直にこれをやられたらめちゃくちゃ嫌だろうと思うけど、それはそうと観測者(この場合は視聴者)が抱く「似合う」の機微がよく現れている。

人それぞれ100とか1000とか独自に人物像のスロットを持っていて、目の前の相手がそれのどれかに似通ったとき、認知負担が減る。安心だと感じる。逆に知らない組み合わせを前にすると、どういうキャラなのか処理できず不安になる。これが「似合っていない」と感じるステータスといえそう。この“似合う観”のもとでは、シャツのサイズが体にフィットしているかどうかは問題にならない。大きすぎるシャツのスタイルが手持ちの人物像スロットにフィットしているかどうかだけ。

photo:TOKI

#1の初対面の例でも触れたように、このあるあるの文脈で「似合う」は、相手の自己像をあるステレオタイプに収束させ、コミュニケーションのショートカットを図ろうとする、一種の暴力性を伴っている。それと同時に裏面では、特定のコミュニティ内で相互理解を確認しあう、合言葉として機能したりもする。実際はそのミックスがほとんどだと思う。この緊張含みの表現行為としての「似合う」は、納得感がある。徐々に実像に接近できているとよいんだけど。

ファッションデザイナー 長見佳祐

出典 andpremium.jp

ながみ・けいすけ/1987年広島生まれ。〈HATRA〉デザイナー。衣服を、境界状況的な空間と捉えた「リミナル・ウェア」を提案する。3Dクロスシミュレーション、生成AIをはじめとするデジタル技術に基づく制作手法を確立し、様々なリアリティが溶け合う身体観をデザインする。近年は、渋谷慶一郎氏による『ANDOROID OPERA TOKYO』への衣装提供、石川県の金沢21世紀美術館「DXP2」展でのインスタレーションなど、その活動領域を拡げる。2025年の『TOKYO FASHION AWARD』を受賞。

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