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「天才と言われるのが嫌らしいけど、やはり天才でした」ジーニアス柿谷曜一朗氏の引退試合、清武弘嗣が惜別

  • 2025.12.15

昨シーズン限りで現役を引退した元日本代表FW柿谷曜一朗氏は、『ジーニアス』との異名で呼ばれた天才選手だった。

その柿谷氏の引退試合が14日に古巣セレッソ大阪のヨドコウ桜スタジアムで行われた。

『YANMAR presents THE LEGEND DERBY YOICHIRO KAKITANI -LAST MAGIC』と題された試合には、元チームメイトら豪華なメンバーが集結。

セレッソ時代の同僚である清武弘嗣(現大分トリニータ)と山口蛍(現V・ファーレン長崎)も参加した。清武は、このようなメッセージをSNSに投稿していた。

「曜一朗の引退試合。彼は天才と言われるのが嫌らしいけど、やはり天才でした。

桜の8番の引退。寂しいけど最後までようさんらしいプレーでした。

改めてお疲れ様でした!またたくさんの先輩達、選手達に会えて楽しい時間でした。素晴らしい引退試合に呼んでくれてありがとう」

柿谷も清武もセレッソのエース番号である8番を背負ったことがある。柿谷本人は天才呼ばわりされるのが嫌だったというが、あらためて天才だと感じたようだ。

一方、山口は、SNSにこう綴っていた。

「曜一朗くんの引退試合

気を使ってくれて96番にしてくれたと思うんやけど、やっぱり6番付けたかったなと思った。笑

久しぶりに会えるメンバーばかりで楽しかったなー

曜一朗くん改めてお疲れ様でした、また色々とよろしくお願いします」

山口はセレッソ時代に主に背番号6をつけて活躍したが、その番号に思い入れがあるようだ。

画像: セレッソ時代の山口と柿谷 (C)Getty Images
セレッソ時代の山口と柿谷

彼は愛犬の名前(クロ)にちなんで、ヴィッセル神戸時代には96番も着用。ちなみに、長崎での背番号は5だ。なお、柿谷氏と山口は1990年生まれの35歳、清武は1989年生まれの36歳。

柿谷氏本人は、「12月14日、引退試合が無事終わりました。参加してくれた選手、スタッフ、サポーターの皆様。心よりお礼申し上げます。いろんな余韻に浸りたいので今日はこの辺で」とのメッセージをSNSに投稿していた。

筆者:井上大輔(編集部)

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