1. トップ
  2. 40年前、トップアイドルが魅せた“成熟の過渡期” 10代→20代への変化を宿した旋律

40年前、トップアイドルが魅せた“成熟の過渡期” 10代→20代への変化を宿した旋律

  • 2026.2.10

1986年という年は、日本全体が何か大きな変化の予感に震えていた時代だった。街にはおニャン子クラブの明るい歌声が響き、ハレー彗星の接近に人々が空を見上げた、あの日々。 バブルの狂騒が本格化する直前、そこにはまだ、どこか不器用で真っ直ぐな、青い熱量が残っていた。そんな季節の隙間に、一筋の光のように差し込んだ楽曲がある。

近藤真彦『純情物語』(作詞:売野雅勇・作曲:都志見隆)――1986年2月26日発売

それは、20代という「大人の入り口」に立ったひとりのアーティストが、その瞬間にしか出せない「声」で紡いだ、あまりにも純度の高い物語だった。

undefined
1994年撮影、近藤真彦(C)SANKEI

都会の風が運んできた、孤独と情熱の境界線

1980年の鮮烈な歌手デビューから6年。1986年2月、21歳を迎えていた近藤真彦は、トップアイドルとしての輝きを維持しながらも、より成熟したアーティストへの転換期にいた。 本作は彼にとって19枚目となるシングルであり、これまでの活動で築き上げてきた「熱く、泥臭く、真っ直ぐなロック」という彼の本流をしっかりと受け継いでいる。

多忙な日々の中で、マッチの表情には10代の頃の猪突猛進なエネルギーだけでなく、自らの足で歩む大人の男が持つ責任感や、ふとした瞬間に見せる陰影が混じるようになっていた。

そんな彼の等身大の姿と見事に共鳴したのが、希代のヒットメーカー・売野雅勇が描く詞の世界だった。 売野の手による言葉たちは、単なる幼い恋を綴るのではなく、都会の片隅で揺れる青年のプライドや、守るべきものを見つけた男の独白を、まるで映画のワンシーンのように鮮やかに描き出したのだ。

変わらない熱量の奥に、宿り始めた「物語」

楽曲の骨組みを支えるメロディは、作曲家・都志見隆によって生み出された。都志見が手がけたこの『純情物語』は、これまでの近藤真彦が得意としてきた、一度聴いたら忘れられないキャッチーな旋律を基盤にしている。特にサビに向かって感情がせり上がっていく構成は、近藤真彦の代名詞とも言える「掠れながらも力強く、胸を打つ」歌声の魅力を最大限に引き出す設計図となっていた。

21歳という、若さと成熟が交差する独特の空気感。全力でぶつかっていくような歌唱スタイルはそのままに、その視線には、かつての「マッチ」という愛称が持つ躍動感以上に、一人のシンガーとしての「言葉に情熱を宿す」という深い覚悟が宿っていた

勢いに任せるだけでなく、心の内側にある熱を丁寧に、しかし情熱的に歌い上げる姿。それが、聴く者の記憶にある「かつての自分」の姿と重なり、深い共感を呼んだのである。

また、編曲を手がけた松下誠によるサウンドメイクも、この曲を時代に流されない名曲へと押し上げた要因の一つだ。1986年という時代を象徴する厚みのある音色を使いつつも、その奥底には、どこか冷たく澄んだ冬の空気感が漂っている。この「疾走感」と「切なさ」の絶妙なバランスこそが、楽曲のタイトルである「純情」という言葉が持つ、脆さと強さの同居を見事に表現していた

記憶の断片を繋ぎ合わせる、不朽の物語

1980年代半ば、音楽を聴く手段といえば、まだレコードやカセットテープが主流だった。ラジオから流れてくる新曲を耳にし、レコードショップへ足を運び、手に入れたばかりのジャケットを眺める。 歌詞カードを追いながら、そこに描かれた物語を自分の日常に投影する。そんな丁寧な音楽との向き合い方が、この『純情物語』という作品にはよく似合っていた。

この楽曲がリリースされた2月下旬は、多くの人々にとって「卒業」や「旅立ち」、そして「新しい生活への決意」が入り混じる、人生の節目となる時期である。都会の雑踏、駅のホーム、冷たい風の中で交わした約束。そうした誰もが心の引き出しにしまっている風景を、この曲はそっと呼び起こすトリガーとなっていたのだ。

あれから40年。21歳の彼が放ったこの情熱は、今も色褪せることなく響き続けている。かつてこの曲を聴いて涙し、あるいは勇気をもらった人々も、今はそれぞれの「物語」を歩んでいるだろう。しかし、冬の終わりにふとこの旋律が流れてくれば、あの頃に抱いていた「自分だけの純情」は、決して色褪せることなく蘇るに違いない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。