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40年前、ヒットメーカーが放った“夜の色香漂う旋律” 少女から大人の女性へ昇華した“瑞々しい歌声”

  • 2026.2.10

「40年前の冬の終わり、あなたはどんな香りに包まれていましたか?」

1986年。街には洗練された空気が満ち始め、人々はまだ見ぬ「どこか遠く」の情景に静かな憧れを抱いていた。バブル前夜の煌びやかさが少しずつ色濃くなる中で、深夜のラジオや街角のスピーカーから流れたのは、ミステリアスな旋律だった。

杏里『オリエンタル・ローズ』(作詞:吉元由美・作曲:小田裕一郎)――1986年2月21日発売

それは、都会の喧騒の中に咲いた一輪の深紅の薔薇のように、聴く者の心を一瞬で奪い去る力を持っていた。海辺の開放感とは異なる、夜の静寂の中に潜む熱情を映し出したこの一曲は、彼女が歩むべき新たなアーティスト像を指し示す、重要な道標となった。

都会の静寂を塗り替える、赤く艶やかな異国の旋律

1986年という年は、日本のポップスシーンがより都会的で、世界基準のサウンドを模索し始めた幸福な時代だった。 杏里といえば、すでに大きなヒットを飛ばし、誰もが認めるポップ・クイーンとしての地位を確立していた時期。しかし、この時期の彼女は単なるヒットメーカーに留まらず、より深みのある「大人の女性の物語」を紡ごうとしていた。

冬から春へと移り変わる冷たい空気の中でリリースされたこの楽曲は、そんな彼女の進化を象徴する一枚だった。

リゾートの眩い光ではなく、ネオンに照らされたアスファルトの艶やかさを感じさせるサウンド。それは、自立した女性たちが夜の街を颯爽と歩き始めた、当時の空気感に完璧に調和していたのだ。派手な演出で飾るのではなく、抑制された音作りの中に確かな体温を感じさせる構成が、当時のリスナーにとって非常に新鮮で、どこか背伸びをしたい年頃の若者たちの心にも深く刺さった。

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1988年、杏里のコンサートより(C)SANKEI

職人たちが織りなす、洗練された音のドレス

この楽曲の持つ独特の質感は、選び抜かれた制作陣の手腕によって生み出されている。作詞を手がけた吉元由美は、後に杏里の数々の名曲を支えることとなる名手。彼女の描く言葉は、単なる歌詞の枠を超えて、まるで香水のように聴く者の周囲に立ち込める「ムード」を作り上げる。情熱的な愛をストレートに叫ぶのではなく、視線や吐息の隙間に宿る微熱を言葉に変えていく。 その繊細な感性が、楽曲に深みのあるグラデーションを与えているのだ。

そして、小田裕一郎の端正なメロディが確かな生命力を楽曲に与える。彼は80年代を代表する数々のアーティストに楽曲を提供し、日本中の耳を虜にしてきた稀代のメロディメーカー。杏里への楽曲提供では1983年の『CAT'S EYE』が思い出される。

今作でも、一度聴けば忘れられないキャッチーなフックを随所に散りばめながら、どこか異国情緒を感じさせるミステリアスなラインを完成させた。さらに、入江純による高度に洗練された編曲が加わることで、楽曲は単なる歌謡曲の域を脱し、時代を先取りしたハイエンドなポップスへと昇華された。

少女の季節を脱ぎ捨てて、凛と咲き誇るその歌声

杏里というヴォーカリストの最大の魅力は、その類まれなる「声の響き」にある。透き通るようなハイトーンを持ちながらも、どこか憂いを含んだ中音域の響きは、聴く者の孤独にそっと寄り添う優しさを持っている。この曲において、彼女はそれまでの瑞々しい歌唱に加え、少しだけ「影」を含ませた、艶やかな表現を聴かせてくれた。

それは、少女から大人の女性へと脱皮する瞬間の、一瞬の煌めきと危うさが同居したような声。力強く歌い上げるサビでの伸びやかさと、Aメロで見せる囁くようなニュアンスの対比が、物語のドラマ性をより一層際立たせている。デジタルなシンセサイザーの音色と、彼女の肉声が持つアナログな温かみが絶妙なバランスで共鳴し、聴く者を異国の夜へと誘う。この曲を聴くたびに、私たちは彼女が持つ表現者としての懐の深さを再確認することになるのだ。

時代を超えて、今も心に灯る情熱

40年という長い歳月が流れた今でも、この曲のイントロが流れた瞬間に、あの頃の景色が鮮やかに蘇るのはなぜだろうか。それは、この曲が描いた世界が、特定の時代に縛られない普遍的な美学に貫かれているからに他ならない。流行がどれほど移り変わろうとも、誰かを想う夜の切なさや、自分らしくありたいと願う女性たちの凛とした美しさは変わることがない。

この曲は、まさにそんな永遠に色褪せない感情の結晶なのだ。今、改めてこの曲を聴き返してみると、そこには当時の熱気だけでなく、未来を見つめる冷静な眼差しも含まれていることに気づかされる。冷たい風が吹き抜ける都会の片隅で、静かに、しかし力強く咲き誇る一輪の薔薇。その情熱的な調べは、これからも季節が巡るたびに、私たちの心のどこかでそっと鳴り続けていくのだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。