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40年前、女子プロレスラー2人が放った“美しき勝負曲” スポーツの枠を超えた“復活の歌”

  • 2026.2.6

「40年前の今頃、熱い叫びとともに駆け抜けた、二人のヒーローの姿を覚えているだろうか」

1986年。日本中が空前の女子プロレスブームに沸き返り、リングの上で汗を散らすヒロインたちに、少女たちが喉を枯らして声援を送っていた時代。なかでも長与千種とライオネス飛鳥による「クラッシュ・ギャルズ」の人気は、既存のスポーツの枠を完全に超え、ひとつの社会現象として頂点を極めていた。

しかし、その熱狂の裏側で、二人の関係には人知れず変化が訪れていたという。人気のバランスや活動への価値観の相違から、1985年5月、彼女たちはコンビとしての芸能活動を一時停止させていた。ファンがその行方を固唾を呑んで見守るなか、1986年の幕開けとともに、再び二人が公の場へと揃い踏みする瞬間に合わせるようにして、一曲の勝負曲が放たれた。

クラッシュ・ギャルズ『日本美人』(作詞:売野雅勇・作曲:林哲司)――1986年2月21日発売

この楽曲がリリースされたとき、ファンは単なる新曲以上の喜びを感じていた。それは、再び二人が肩を並べてマイクを握る姿が、リングでの共闘と同じように「唯一無二の絆」の証明を象徴していたからだ。

時代を射抜いた“黄金の制作陣”による旋律

『日本美人』という、当時の彼女たちの立ち位置を象徴するかのようなタイトルを冠したこの曲には、1980年代のヒットチャートを彩った豪華なクリエイターが集結している。

作詞は、時代のモードを瞬時に言葉へと変える売野雅勇。作曲には、シティ・ポップの旗手として現在も世界的な再評価を受ける林哲司。さらに編曲には、後に日本を代表する音楽家となる鷺巣詩郎が名を連ねている。

林哲司による洗練されたメロディラインは、二人の力強い歌声にしなやかな大人の気高さを添え、単なるタレントソングの域を遥かに凌駕する音楽作品へと昇華させた。この洗練された響きこそ、激動のさなかにいた彼女たちが提示した、新たな表現の形だったのかもしれない。

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クラッシュ・ギャルズのレコーディング風景。左から長与千種、ライオネス飛鳥(C)SANKEI

激闘と沈黙の果てに掴んだ“本当の強さ”

1986年という年は、彼女たちにとっても再起をかけた重要な季節だった。この時期、二人の間には言葉にできないほどの緊張感と、それゆえの深い理解が共存していた。長与自身、後に「飛鳥じゃなければダメだった」と回想するほど、その存在は特別なものだったのである。

本作で歌われる「美人」という言葉は、決して表面的な華やかさだけを指すものではない。リングで泥にまみれ、互いに葛藤を抱えながらも、再び同じ場所を目指そうとする内面的な誠実さと強さを想起させる

激しい試合で見せる咆哮とは異なる、どこか哀愁を帯びた、しかし凛とした旋律。そのコントラストが、彼女たちの人間的な魅力をより重層的なものにしていたのだ。

時代を越えて鳴り響く“凛とした輝き”

1986年という、価値観が多様化し始めた激動の時代。彼女たちは髪を短く切り、誰にも媚びることなく自らの道を切り拓いていく姿を証明し続けた。

この楽曲は、単にリリース時期の活動を彩る一曲である以上に、彼女たちが掲げた「強さこそが美しさである」という新しいスタンダードを世に知らしめる象徴でもあった。

楽曲の中に漂う、どこか都会的でセンチメンタルな響き。それは、時代のアイコンとして走り続ける二人が、ふと見せた一瞬の素顔のようにも感じられる。

どれほど時間が流れても、彼女たちがリングとマイクを通じて放ったあの「凛とした輝き」は、決して色褪せることはない

冬の風が吹くたびに、ふと思い出す。あの時、私たちは彼女たちの歌声の中に、ただの「人気者」ではない、もっと深く、もっと強い一人の表現者としての誇りを、確かに感じ取っていたのである。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。