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40年前、CMソングとして流れた“俳優の歌声” アーティスト転身への一歩

  • 2026.1.4

1986年の冬。テレビの中では、ドラマやCMが今よりもずっと“生活に密着した物語”として流れていた。まだ情報が過剰でなかった時代、視聴者は画面の中の人物を、役柄ごと、あるいはCMのワンシーンごと、自然に記憶していった。

そしてふと気づく。「この人、どこかで見たことがある」と。

その感覚とともに街へ広がっていった1曲がある。

湯江健幸『HURRY UP』(作詞:佐藤ありす・作曲:根岸孝旨)――1986年2月21日発売

この楽曲は、俳優としてすでにキャリアをスタートさせていた湯江健幸が、“表現の場を音楽へと広げた最初の一歩”として世に送り出したデビューシングルだった。

先にあったのは、俳優という居場所

湯江健幸(現・湯江タケユキ)は1985年、俳優としてテレビドラマを中心に活動を開始。端正なルックスと、過剰にならない自然な佇まいは、1980年代半ばのテレビドラマにおいて“視聴者の生活圏に溶け込む存在”として映っていた。

まだスター性を強調するよりも、物語の中に自然に立っていることが求められていた時代。湯江の演技は、強く感情を押し出すタイプではなく、視線や間合いで空気を作るスタイルだった。その印象が先にあったからこそ、後に音楽活動へと踏み出した際も、「突然の転身」というより、ひとつの延長線上として受け止められた

『HURRY UP』は、そんな俳優としての土台を持つ彼が、“声”を通して自分を提示した最初の作品だった。

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2025年、舞台「リア王2025」制作発表記者会見に出席した湯江タケユキ(C)SANKEI

CMサイズに凝縮された、一直線の推進力

『HURRY UP』は、湯江健幸本人が出演した森永製菓のアイスクリーム「パリパリバー」のCMソングとして制作された。短い時間で印象を残すことが求められるCMのため、楽曲は無駄を削ぎ落とした構成を持っている。

作詞は佐藤ありす。日常の感情を軽やかにすくい上げる言葉選びに定評のある作家だ。作曲は根岸孝旨。後にベーシストとしても日本の音楽シーンを支える存在となるが、この時点ですでに、安定したポップセンスが楽曲全体を支配している。

メロディは一直線で、過度な装飾はない。その分、テンポが生む前進感が際立つ。湯江健幸のボーカルも、完成された技巧より、俳優として培った“言葉を置く感覚”が前に出ている。過剰に感情を乗せないことで、曲全体が軽やかに前へ進んでいく。

B面に刻まれた、もうひとつの本音

このシングルでもうひとつ重要なのが、B面に収録された『夢も見えないうちに』だ。この楽曲は、湯江健幸自身が作詞・作曲を手がけている。

A面の『HURRY UP』が、外へ向かって走り出すエネルギーを持つポップソングだとすれば、B面はより内省的で、足元を確かめるような温度を持つ楽曲だった。派手さはないが、言葉とメロディの距離感には、本人の感覚がそのまま反映されている。

このカップリングの存在によって、『HURRY UP』というシングルは、単なるCM起点の企画作品ではなく、湯江健幸という表現者の二面性を示す1枚として成立している。与えられた楽曲を歌う立場と、自ら生み出す立場。その両方が、デビュー作の時点ですでに同居していた。

俳優と音楽、その間に立っていた存在

1986年という時代は、俳優が音楽を、音楽が映像を横断することが、今よりも自然に受け入れられていた。ドラマ、CM、音楽番組。その境界はまだ曖昧で、ひとりの表現者が複数の顔を持つことに違和感はなかった。

湯江健幸は、そのちょうど真ん中に立っていた存在だ。歌手として強いキャラクターを押し出すわけでもなく、俳優の肩書きを利用するわけでもない。ただ、目の前の表現に真っ直ぐ向き合っていた。その姿勢が、このシングル全体から静かに伝わってくる。

走り出した先にあった、長いキャリアの入口

その後、湯江健幸は俳優としてキャリアを重ねていく。音楽活動が長く続いたわけではないが、『HURRY UP』は彼の原点として、確かな位置を占めている。

A面で示した外向きのスピード感と、B面で覗かせた内側の言葉。その両方が揃っていたからこそ、このデビュー作は40年経った今も、単なる懐メロでは終わらない。

俳優として始まり、音楽で自分を確かめた一歩。その静かな助走が、この1枚には刻まれている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。