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24年前、大御所芸人が仕掛けた“芸人ユニット”の異例デビュー 芸人たちがJ-POPを揺らしたワケ

  • 2025.12.30

「24年前、関西の深夜はどんな熱を帯びていただろう?」

お笑い番組と音楽番組の境界が、今よりずっと曖昧だった2001年。スタジオの笑い声と、どこか本気の視線が交差する中で、あるユニットが静かに、しかし確かな存在感を放っていた。芸人が歌うことは珍しくなかった時代だが、「企画モノ」で終わらせない空気が、確かにそこにはあった。

WEST SIDE『WEST LOVE SHINE』(作詞:森雪之丞・作曲:Korn)――2001年1月24日発売

企画から始まった、異例のデビュー

WEST SIDEは、吉本興業に所属する芸人であるランディーズ、キングコング、ロザンの3組によって結成されたダンスボーカルグループだ。誕生のきっかけは、関西テレビ放送の番組『紳助の人間マンダラ』。番組内企画としてスタートし、この曲でCDデビューを果たした。

企画を立ち上げたのは島田紳助。彼にとって、音楽ユニットを本格的に企画する初の試みでもあった。バラエティ番組発でありながら、単なる話題先行ではなく、「作品として成立させる」意志が最初から明確にあった点が、このプロジェクトの特徴と言える。

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2000年、学園祭に出演したWEST SIDE。(前列左から)高井俊彦、梶原雄太、中川貴志(後列左から)西野亮廣、菅広文、宇治原史規(C)SANKEI

笑いを脱いだ先にあった、まっすぐなサウンド

『WEST LOVE SHINE』は、軽さやネタ感を前面に出した楽曲ではない。作詞を担当した森雪之丞の言葉選びはストレートで、メロディは王道のダンスポップに軸足を置いている。作曲はバブルガム・ブラザーズのブラザー・コーン(Korn)で、プロデュースには布川敏和が名を連ねた。

こうした布陣が示すのは、「芸人が歌うからこの程度」という発想を最初から排した制作姿勢だ。リズムは明快で、コーラスワークも丁寧に構築されており、当時のJ-POPシーンと並べても違和感のないクオリティを保っていた。

関西という土壌が生んだリアルな熱

このユニットが強く支持された背景には、関西ローカルという環境も大きい。テレビで見慣れた芸人たちが、真剣な表情で歌い、踊る。そのギャップは笑いではなく、「応援したくなる親近感」として受け止められた。

特に関西圏では、アイドル的な人気を獲得し、イベントや番組出演を通じて存在感を拡大していった。身内ノリではなく、地続きのスターとして育っていく感覚が、視聴者との距離を縮めていたのだ。

映像にも刻まれた“本気度”

ミュージック・ビデオの監督を務めたのは井筒和幸。著名な映画監督を起用した点からも、このプロジェクトが一過性で終わることを想定していなかったことがうかがえる。映像は過度に演出過剰になることなく、楽曲の持つ熱量とストレートさを際立たせていた。

24年後に振り返る、その意味

WEST SIDEは長期的な音楽活動へと発展したわけではない。しかし、『WEST LOVE SHINE』が残したのは、「芸人発ユニット」という枠を越えた、ひとつの到達点だった。

テレビから生まれ、テレビの外へ踏み出そうとした本気の一歩。その瞬間の熱は、24年経った今も、関西の夜の記憶として静かに残っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。