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韓ドラになった歴史人/名作『朱蒙チュモン』の半生は史料にどう記されているのか

  • 2025.11.24

韓国の人々が今も敬慕する古代国家・高句麗(コグリョ)。その建国の始祖である東明聖 (トンミョンソン)王こそ、俳優ソン・イルグクが主演して日本でも人気を博したドラマ『朱蒙(チュモン)』だ。

高句麗の歴史資料は少なく、ドラマは多分に脚色も含まれているが、史実にも基づいている。その参考となったのが、全50巻で朝鮮半島最古の歴史書とされる『三国史記』(1145年完成)だ。

それによると、東明聖王には鄒牟(チュモ)、象解(サンヘ)、鄒蒙(チュモン)、仲牟(チュンモ)、都慕(トモ)など、数々の名前が存在するが、その中でも一番有名なのが朱蒙だとされている。『三国史記』にも「高句麗の始祖である東明聖王は性が高氏で名前は朱蒙とする」と書かれている。

また、朱蒙は河伯(ハベク)族の娘・柳花(ユファ)と、天帝の子であるという解慕漱(ヘ モス)の間に生まれた子で、東扶余(トンプヨ)の王・金蛙(クムワ)の息子として育てられた。

ドラマではちょっぴり臆病で勇気がない少年だが、7歳にして文武両道。扶余(プヨ)では弓矢の名人を “朱蒙”と尊号していたことから、その名前が付けられたと言い伝えられている。

ドラマ『朱蒙』ではソン・イルググが演じた(写真=(C) All Rights Reserved by MBC 2006/7)

だが、金蛙には7人の王子がおり、王子たちは朱蒙の才能を妬み、あらゆる策を講じて朱蒙を追いやろうと画策。身の危険を感じた朱蒙は22歳で東扶余を出ることを決意し、卒本(チョルボン)にたどり着くと、そこに国を建てた。

時は紀元前37年。国号を高句麗とし、自らの姓を高(コ)氏と定めた。これが高句麗誕生の経緯だ。

高句麗を建国した朱蒙は、松譲(ソンヤン)国、荇人(ヘンイン)国、北沃沮(プゴッ チョ)など、周辺国を次々と征服。国土を広げていった。

だが、紀元前19年、40歳の若さでこの世を去る。そのときに息子の瑠璃(ユリ)王から「東明聖王」の諡を贈られるのだった。

ドラマ『朱蒙』では気弱な青年が数々の運営に翻弄されながらも、強くたくましい英雄として成長していく東明聖王。聡明で知的でリーダーシップに長けた英雄だったことは、間違いないだろう。

【東明聖王の人物データ】
紀元前58年~紀元前19年

主な登場作品()内は演じている俳優
『朱蒙』(ソン・イルグク)
『百済の王クムチョゴワン(イ・ドクファ)

(文=韓ドラLIFE編集部)   

 

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