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27年前、「叫び」を裏切った“静けさの衝動” 儚いのに刺さるワケ

  • 2025.12.8

街灯が白く瞬き、吐く息が細い光みたいに消えていった1998年2月。人々はどこか心の奥に、静かに燻る不安を抱えていた。そんな張りつめた空気の夜に、胸の奥をそっと締めつける一曲が響いた。

黒夢『MARIA』(作詞・作曲:清春)――1998年2月11日発売

退廃と耽美のあいだを揺れ動く黒夢が放ったこのシングルは、華やかさや熱量ではなく、むしろ“静けさの中で燃える衝動”をそのまま閉じ込めたような作品だった。

闇に浮かび上がる、黒夢の“孤独の輪郭”

『MARIA』は黒夢の12枚目のシングルであり、当時の彼らがまとっていた鋭さと脆さが、そのまま音像として刻まれている。清春の書くメロディは細い糸みたいに張りつめ、触れれば切れそうで、しかしその儚さが逆に強い存在感を放つ。

ギターは金属質なのに過剰に歪まず、音と音の間にある“沈黙”が曲を支配していく。そこへ清春の湿度あるハスキーな声が乗り、冷たい夜気にひっそりと灯る炎のような緊張感を生み出している。

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1997年11月、新宿アルタ前で行われた黒夢のライブより(C)SANKEI

人時のベースが生む、うごめくような深いグルーヴ

黒夢の音を語るうえで欠かせないのが、人時のベースだ。『MARIA』での彼のプレイは一見シンプルに聴こえるが、実際は低音域をじわりとうごめかせるような“うねり”を持っている。

音量は暴れすぎず、フレーズも過剰には装飾されない。それなのに、ラインの下でずっと“渦”のように揺れ続けている。

そのうねりは、曲全体の空気をわずかに湿らせ、ときに体の奥に染み込むように響く。深く沈む低音のニュアンスは、冷たい質感の中に“血の通った動き”を与えていて、清春のボーカルの冷ややかな質感を下から、熱と影の両方で支えている。

つまり『MARIA』の奥行きは、ギターの硬質さや清春の声だけでは生まれない。人時が生み出す、静かにうごめく低音の波が、曲全体の世界観を“生き物のように”動かしているのだ。

静けさの奥に潜む、美しく危険な緊張

『MARIA』が放つ最大の魅力は、曲全体を包む“静かな緊張”だ。音は暴れない。叫ばない。それなのに、張りつめた刃物のように鋭く刺さってくる

清春の歌声は深夜の吐息のようで、寄り添うというより、どこか突き放す。その距離感が、聴く側の感情を逆に強く刺激していく。音数の少なさ、硬質な響き、人時の低音の重さ、そのすべてが、黒夢の“孤独の美学”を形づくっていた。

バンドの転換期に漂った、言葉にならない空気

1998年という時期は、黒夢にとって活動形態が揺れ動いていた転換点の真っ只中だった。その空気は楽曲にも否応なく影を落としていて、どこか“張りつめた静寂”が漂っている。

『MARIA』が強く耳に残るのは、曲そのものが持つ緊張感と、黒夢という存在への期待が重なり合っていたからだろう。派手なダンスナンバーやポップがランキングを賑わせる中、黒夢はまるで違う温度で、独自の世界を築いていた。

余韻として残る、夜の匂い

『MARIA』を聴いたあとに残るのは、説明しづらい余韻だ。

冷たいのに、どこか熱い。距離があるのに、なぜか近い。それは黒夢というバンドの持つ“孤立した美しさ”が、音の隙間から滲み出ているからだろう。人時の低音がつくる深い底面と、清春の声が描く細い光。その対比が、今聴いても色褪せない緊張と温度を生み続けている。

夜の街がふと静まる瞬間、どこか遠くで『MARIA』の残響だけが息をしているような気がする。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。