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ロサンゼルスへ、愛を込めて──アンソニー・ヴァカレロの映画製作への情熱とロマン

  • 2025.11.5

90年代に子ども時代を過ごした世代にとって、当時のイヴ・サンローランは夢見る対象ではなかっただろう。サンローランは20世紀半ばから後半を代表するファッションの天才であり、現代女性のワードローブを生み出したデザイナーと言われるが、その頃にはプレタポルテの指揮権をアシスタントたちに譲っており、ブランド自体はまるで戒律を守るがごとく、ブルジョワ的なパリの優雅さに固執していた。一方、90年代の子どもたちにとって、時代は新たな興奮に満ちあふれていた。そこにはヘルムート ラングのミニマリズムと(初期の)マーク ジェイコブスのグランジ、ヴェルサーチェの活気に満ちたグラマラスな魅力、ジャンポール・ゴルチエのユーモアと不遜さ、そしてヨウジヤマモトの脱構築されたシルエットがあったのだ。

とはいえ、10代のアンソニー・ヴァカレロは、イタリア版『VOGUE』の切り抜きを部屋の壁に貼るようなデザイナーを夢見る若者ではなかった。数学の授業中に、ノートにハイヒールのイラストを何度か落書きしたことはあったかもしれないが。彼にとってファッションへの入り口となったのは、音楽とMTVが火をつけたヴィジュアル文化だ。ビョークの「Violently Happy」のMV、そして何よりもブロンド・アンビション・ツアーでゴルチエがデザインしたエターナルピンクのコーンブラを身につけたマドンナの姿が、ファッションに興味を持つきっかけとなった。「正直、学生の頃、イヴ・サンローランのことは気にかけていなかった」とヴァカレロ。来年でサンローランの指揮を執って10年を迎える彼は続ける。「僕にとって彼はもう昔の人で、むしろ香水と結びついていました。彼が常に描いてきた、非常にエレガントで洗練された女性像とね。ただ、当時の顧客たちは彼にとても忠実で、彼もまた、少し時代から取り残されていました。そうであってもすばらしい女性たちを決して見捨てませんでした。彼のそんな姿勢がとても好きです。今は、彼が完璧な女性像を追い求めていた90年代のあの頃より惹かれています。そのDNAを受け継ぎ、現代の女性に纏わせるという発想が気に入っているんです。例えば花をジャージー素材のヨガウェアに組み込むとか。超高級スーパーのエレウォンで見かけそうな女性のためにね」

この日の朝、我々がいたのはエレウォンではなかったが、距離的にも雰囲気的にも、それほど遠くはない。ウェストハリウッドのシャトー・マーモントの庭では、晩春の海霧が鈍色の光をヤシの木に投げかけ、アスレジャーなスタイルの服に身を包んだカップルが、オーツミルクのラテをちびちびと飲んでいる。カラフルなランボルギーニとパーティー好きであふれるこのエリアは、ヴァカレロにとってやや派手過ぎるところもあるが、シャトーが供するいかにもカリフォルニアらしい目玉焼きとスライスしたアボカドの朝食に目がないことは確かだ。

ヴァカレロはシチリア島出身の両親のもと、ベルギーで生まれ育った。現在はウィメンズ・コレクションという半年ごとの大仕事を終えた後の休養と回復のために、年に2度、3月と11月にロサンゼルスで1カ月ほど過ごすようにしている。この習慣は4年前、息子リュカの誕生とともに始まった。コロラド州にいる代理母とは、ヴァカレロの夫であり、サンローランのデザインスタジオで一緒に創作をするアルノー・ミショーとともに契約を結んだ。コロナ禍のカリフォルニアでは待機リストがあまりに長く、選択肢が限られていたからだ(なお、フランスでは代理出産は違法とされている)。リュカが誕生した後、新たに家族となった3人は、彼が生後1カ月を迎えるまでロサンゼルスで過ごし、それからパリへ戻った。その体験は生みの親である代理母も含めて、すべての当事者にとってかけがえのないものだった。それがあまりにも美しい体験だったことから、昨年には同じようにして娘のローラも誕生した。

家庭を築く一方で、ここ数年、ヴァカレロは自身が率いるメゾンのカルチャーにおける影響力も高めてきた。2023年にはサンローランプロダクションを立ち上げ、インディペンデント映画作家の活動を支援する取り組みを開始し、その第1弾として、ペドロ・アルモドバルの短編映画、そしてジャン=リュック・ゴダールの未完の遺作であった短編作品を手がけた。2024年のカンヌ国際映画祭では、サンローランプロダクションによる長編映画3本が公式上映に並んだ。ジャック・オーディアール監督の『エミリア・ペレス』、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『The Shrouds(原題)』、そしてパオロ・ソレンティーノ監督の『パルテノペ ナポリの宝石』である。また、今年の夏の終わりには、ジム・ジャームッシュ監督の『FatherMother Sister Brother(原題)』がヴェネチア国際映画祭で、クレール・ドゥニ監督の『The Fence(原題)』がトロント国際映画祭でそれぞれプレミア上映された。

ヴァカレロはこれらの作品で、衣装のデザインを担当した。この点において、サンローラン プロダクションは、演劇作品や映画のために衣装を手がけてきたイヴ・サンローランの仕事を継承していると言えるだろう。ルイス・ブニュエル監督による1967年の作品『昼顔』でカトリーヌ・ドヌーヴが着た衣装は、サンローランが手がけた中でも特に有名だ。だが、ヴァカレロの主眼は、敬愛するアーティストたちを自身が率いるメゾンと結びつけることにあり、その試みを通じてサンローランを単なるファッションの枠を超えた存在へと押し広げようとしている。「作品を動かすのは監督だ」とヴァカレロは支援する映画について語る。「子どもの頃に成長の糧となった監督、今の自分のヴィジョンを形づくった監督たちです。恩返しというわけではないですが、彼らが自分の仕事を続けられるよう力を貸したいんです。超大作をやるつもりはないし、マーベルには興味がありません。この取り組みは純粋にインディペンデント映画を支援するためのものであり、同時にブランドをより多くの人に向けて、より目に見える形で、長く残せるよう広げていく試みです。ショーやキャンペーンはすばらしいです。でも、こう言ってはなんですが、ある意味1回限りの使い捨てです。映画は20年、30年後も残り続けます。そこにはサンローランの名も刻まれているでしょう」 ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したジム・ジャームッシュ監督は、2021年にサンローランから短編映画の製作を依頼された。『French Water(原題)』と題されたその作品には、ジュリアン・ムーアシャルロット・ゲンズブールインディア・ムーアクロエ・セヴィニーといった豪華キャストが集結した。その後、ヴァカレロはジャームッシュを広告キャンペーンにも起用している。やがてジャームッシュは『Father Mother Sister Brother』の構想を温め始めると、真っ先にヴァカレロに連絡を取った。「私を信頼してくれたおかげで、とてつもなく美しい作品になりました」とジャームッシュは振り返る。「5年間、新作を出していなかったんです。資金調達の仕組みに嫌気が差していたので。私は常に、芸術的な部分について完璧にコントロールしたいですし、それができなければやりません。ですが、予算オーバーの圧力にうんざりしていました。サンローランと仕事をして分かるのは、彼らはただ製作が上手く進むよう手助けしようとしている、ということです。製作に関していちいち口を挟む業界人とは違います。ルネサンス期のパトロンがいるような感じです」

洗練のアティテュード サンローランの色彩豊かなカラーコンビネーションが美しいスタイルを堂々と着こなすグウィネス・パルトロウ。大ぶりのリボンをバックに配したショルダーラインを強調したブラウスとボディコンシャスなスカートが造形美を際立たせ、彼女が持ちうる異彩のオーラが解き放たれる。トップ ¥698,500(参考価格) スカート ¥402,600 サングラス ¥130,900 グローブ ¥275,000/すべてSAINT LAURENT BY ANTHONY VACCARELLO(サンローラン クライアントサービス)
サンローランの色彩豊かなカラーコンビネーションが美しいスタイルを堂々と着こなすグウィネス・パルトロウ。大ぶりのリボンをバックに配したショルダーラインを強調したブラウスとボディコンシャスなスカートが造形美を際立たせ、彼女が持ちうる異彩のオーラが解き放たれる。トップ ¥698,500(参考価格) スカート ¥402,600 サングラス ¥130,900 グローブ ¥275,000/すべてSAINT LAURENT BY ANTHONY VACCARELLO(サンローラン クライアントサービス)

2016年、エディ・スリマンの退任を受けてヴァカレロがサンローランにやってきたとき、メゾンはロサンゼルスのデザインスタジオを閉鎖したばかりだった。スリマンはこの街の音楽シーンやスタイリッシュな若者たちに魅了され、数年前にその拠点を開設していた。ここで明確にしておきたいのは、ヴァカレロにとってロサンゼルスは仕事をする場ではないということだ。彼はこの街に、クリエイティブ面でのインスピレーションはほとんど見いだしていない。「ロサンゼルスはずっと好きな街」だと彼は語る。「天候や、1950年代を思わせる美しい建築物。ただ、それも次第に少なくなっていて、20年の間にこの街はずいぶん変わりました。ただここには、パリにはない生活の質があります。それがあまりにも違うので、ここが必要だと感じるんです。でもやっぱり、創作活動はパリ以外ではできないです」

43歳のヴァカレロは、自らを誇らしげに「オールドスクール」のデザイナーと評する。その意味するところは、TikTokのインフルエンサーに媚びることも、トレンドに迎合することも、自身の功績を一瞬のバズや「イット・バッグ」に結びつけることもしないということだ。こうしたものを21世紀のファッション業界の策略だと感じており、その風潮に対する軽蔑を隠そうともしない。思慮深く静かなヴァカレロは、ジョン・ガリアーノやマーク・ジェイコブスのように世間に知られた強烈な存在感を放つスターデザイナーになることなく、名門メゾンを率いる地位を確立した。彼の定番スタイルはジーンズにTシャツ、くたびれたスニーカーであり、自らが手がけるメンズウェアに身を包む姿などほとんど想像できない。「もう父親なので」と彼は言う。「今さらオレンジのシャツとショートパンツ、みたいな格好をする必要はありますか? 一体、誰のために?」

ヴァカレロは就任当初から、関心を抱く人物たちをメゾンのサークルに招き入れた。その第1陣はアルゼンチン人の映画監督ギャスパー・ノエ、俳優のベアトリス・ダルとシャルロット・ゲンズブールだ。イヴ・サンローラン自身もかつて強固な人脈を築いており、その中心にはカトリーヌ・ドヌーヴ、インテリアデザイナーのフランソワ・カトルーの妻でブラジル生まれの社交界の華ベティ・カトルー、そして英仏にルーツを持つ貴族でジュエリーデザイナーのルル・ドゥ・ラ・ファレーズの3人がいた。ヴァカレロはまた、ゾーイ・クラヴィッツ、クロエ・セヴィニー、グウィネス・パルトロウといった刺激を受けたアメリカの俳優たちや、ヘイリー・ビーバーのような若いモデル、フランキー・レイダーのようなベテランモデルとも仕事をし、親交を深めてきた。「彼女たちはインフルエンサーではなく、本物の価値を持った真のセレブリティです」と彼は言う。「自分の意見を持っている女性、深みのある女性です」と語るヴァカレロは、ひじの内側に貼られてた、脱脂綿を留めているテープを引っ張った。今日、ローレル・キャニオンの貸別荘でビタミン点滴を受けたのだ。なんともハリウッドらしい自分へのごほうびだが、「クールになんてなりたくない。ソーシャルメディアにしょっちゅう登場したり、ポップアップストアに顔を出したりしたくないんです。YSLの顧客がそんなことに魅力を感じるとは思えません。僕は常に、顧客は愚かではなく、高尚な存在だと考えてきました。こういうやり方は実にばかばかしいです。高級ブティックの外に行列ができるなんて、まったくもってラグジュアリーじゃないです。行列に並ばなければならないなんて、ちっとも粋じゃない」。イヴ・サンローランと同様、ヴァカレロの視線は「センスが良さそう」に見られるために来店するのではなく、センスの良さを十分にものにしている女性たちに向けられている。「彼女たちは自分の体を知り尽くし、またトレンドに流されず、滑稽に見えないためにどのアイテムを買うべきか知っています。僕はそういう女性たちからインスピレーションを得る方が多いです。若さにこだわりはありません。いいものを世に出せば、若い人たちもついてきます。でも、彼女たちをワクワクさせるために何かをしているわけではありません」。サンローランのクチュールのアトリエを「まだ」再開していないが、ヴァカレロはファッションの本質的にエリート主義的な一面を考えた上で、ファッションの民主化に向けた極端な動きを嘆いている。「ファッションはもっと手に入りにくいもの、もっとプライベートなものに変わってきているのではないか。少なくとも、僕はそうであってほしいと思っています。僕たちはファッションが万人のためにあり、誰でも一流ブランドの服やバッグを買えるのだと人々に信じ込ませてしまいました。だけれど僕は、ラグジュアリーとはこうあるべき、という昔ながらの流儀に立ち返るべきだと思っています。なぜなら今の状況は、ファッションの魅力を損なわせていると思うからです」

イヴ・サンローランはかつて、女性たちに「クラシックなワードローブの基本」をもたらし、「その時々の流行から逃れられる」ようにしたと語った。彼が考えたワードローブは、その名を世に知らしめた中性的なブランドコードに基づくタキシード、ピーコートやサファリジャケットにトラウザーズ、パンツスーツ、ブレザー、トレンチコートなどで構成されていた。ヴァカレロはアーカイブを読み解きながら、今の時代を生きる洗練された女性たちのためのユニフォームとして、スマートに無駄をそぎ落とした、クールで魅力的な服を打ち出すことで同じような主張を展開している。「サンローランは実に多くのものを網羅していたから、自分が面白いと思ったものを見つけて、現代風にアレンジするのは簡単です。サンローランは、決してこれ見よがしなものではなく、常に着る人とその人の雰囲気によって定義される、ひねりの利いたリアルクローズを大切にしてきました」

ヴァカレロのキャンペーンに何度か起用されているセヴィニーは、彼のデザインがイヴ・サンローランに親しみと敬意を込めているように見え、心を打たれるという。9月初旬に開かれたヴェネチア国際映画祭で、彼女は黒いサテンのバブルスカートに合わせて黒いレースのボディスーツを着た。ヴァカレロの2018年春夏コレクションで発表されたこのルックは、1990年のサンローランの秋冬ショーでモデルのヤスミン・ガウリが着ていた服にインスパイアされたものだ。「ヴァカレロの服は本当に官能的です。名前はあえてあげませんけれど、最近のミニマリストのスターデザイナーたちには、それが欠けています」とセヴィニーは言う。「ミニマリストは女性の体を讃えたりしません。前回のコレクションを見ると、ほかの人たちが試さないようなフォルムが展開されていました。色の組み合わせや大きなビーズなども、イヴ・サンローランがいつもやっていたことですし、彼のコレクションにはいつもそこはかとなく、暗さやゴスっぽさがあって現代的に感じられます」

6月下旬の午後、ヴァカレロはパリの美術館ブルス・ドゥ・コメルスの広間でサンローランの2026年春夏メンズコレクションを発表した。この建物はかつて穀物や商品を扱う取引所だったが、現在はサンローランの親会社であるケリングのオーナー、フランソワ=アンリ・ピノーのアートコレクションが収められている(同日、数ブロック離れたポンピドゥー・センターではビヨンセルイ・ヴィトンのメンズのショーに出席し、たちまちこのショーで最大の話題となった。一方、ヴァカレロはこのような状況を敬遠する方だ)。会場にはフランス人のアーティスト、セレスト・ブルシエ = ムジュノによるサウンド・インスタレーション作品が設置され、水盤に漂う磁器のボウルが無造作に音を奏でている。哀愁を帯びたピアノと弦楽器のサウンドトラックが流れる中、ヴァカレロのモデルたちはシャープなショルダーと引き締まったウエストが特徴のつややかなビッグシルエットのスーツに身を包み、両手をポケットに入れ、大ぶりなサングラスを鼻にかけた姿で水盤の周りをゆっくりと円を描きながら歩いた。

プラム、バーントオレンジ、シャルトリューズといったカラーパレットは、3月に発表されたウィメンズの秋冬コレクションのカラーブロックを少し控えめにしたような印象。大転換させるのではなく、ひとつのショーから次のショーへ、ジェンダーの枠を超えてアイデアを吹き込むのがヴァカレロ流だ。

彼は次のように振り返った。「僕がショーで見せてきた男性像は、女性たちと比べて少し弱かったと気づきました。女性は力強い一方、男性は何だか彼女の息子であるかのように感じられたんです。そこで、ふたりを同等にしようと思いました。今はもうティーンエイジャーではなく、女性と釣り合う恋人か友人です。女性と夕食をともにし、会話を楽しむことができる相手になりました」

ショーノートに挟まれていたのは、1950年頃にアルジェリアのオランで撮影されたイヴ・サンローランの古い写真だ。そこには、裾を折ったタック入りのショートパンツをはいたイヴ・サンローランが、細い太腿を露わにした姿が写っている。ヴァカレロによると、この写真が出発点になり、そこから想像を膨らませたという。もしもイヴ・サンローランがゲイの楽園と言われた70年代のファイアー・アイランドでひと夏を過ごしたら、どんなふうだったろう。イヴ・サンローランはファイアー・アイランドを一度も訪れていないし、なんならヴァカレロも訪れたことはないが、そこは問題ではない。昨シーズンのコレクションでは、イヴ・サンローランとロバート・メイプルソープ、すなわち欲望を芸術へと昇華させたアーティストと、欲望を称賛したアーティストの出会いが描かれた。そのコレクションに登場した、ブラックレザーで作られたメンズのニーハイブーツを、今日の招待客の何人かが着用している。4500ドルという価格にもかかわらず、売り切れ続出らしい。

ヴァカレロは、イヴ・サンローランの作品におけるふたつの重要なテーマを「セックスと距離感」と表現する。「セックスと恥じらい。首もとにリボンを結んだシャツを着ていても、リボンを引けばたちまちモデルは鏡の前で裸となり、その姿をヘルムート・ニュートンに撮影されるんです」。ヴァカレロは、表面に表れるものと、彼が「ノン・ディット」、すなわち語られないものと呼ぶものとの間に横たわる緊張感を重んじている。その緊張感は、イヴ・サンローランが衣装を手がけた映画『昼顔』でもはっきりと描かれている。ヒロインであるブルジョワの主婦セヴリーヌ・セリジーは、セックスレスの夫婦生活から抜け出すために、午後は娼館で客を取っている。その美しさといかがわしさに等しく魅了されたイヴ・サンローランは、白い襟とカフスを合わせた慎み深いブラックドレスからブラックエナメルのトレンチまで、セヴリーヌを演じるドヌーヴが着る服のデザインを通じてこのふたつの分裂を表現した。ヴァカレロは言う。「このイヴ・サンローランの二面性に、僕は心を惹かれます。とてもセクシュアルでありながら、常にセクシュアリティに対して冷徹であること。セヴリーヌを手に入れられると思っていても、実際には手に入れられないように」

ヴァカレロは、危険な状況がもたらすスリルについてしばしば語る。夜のパリに漂う、ライトアップされた建物のオレンジ色の輝きに潜む危険。ロサンゼルスに刻まれた危険と悪名高い犯罪の歴史。アベル・フェラーラが描く危険なネオ・ノワール映画の作風。アンジェリーナ・ジョリーの魔女のようなスタイルに潜む一種の危うさ。ドラッグに溺れた70年代のナイトライフに漂う危険な空気。それらはどう見ても、メゾンの創設者イヴ・サンローランと響き合う感性だ。「イヴ・サンローランが71年に『スキャンダラスな』コレクションを発表したとき、誰もがショックを受けました。40年代の娼婦たちの姿そのものでしたから」。そのコレクションで発表されたグリーンのフォックスファーのコートは、メゾンのアイコンとなっている。「ジェシカ・ラビットは90年代に僕たちがよく見たキャラクターですし、マドンナは豊かな胸の真ん中に十字架をあしらっていました。そういう悪趣味はファッションにおいても重要で、そこを超えたところに何かが生まれるんです」(イヴ・サンローランは、蚤の市で戦時中のファッションを探し回った友人のパロマ・ピカソが、この『スキャンダラスな』コレクションのインスピレーションになったと語っている)。

肌やボディラインを称え、レザーやレースの新たな活かし方を幾度となく探求するヴァカレロの服について語るとき、セックスは避けて通れるのだろうか。ヴァカレロの名をファッション界に知らしめたのは、自身の名を冠したブランドから発表した、胴体に斜めの切れ込みが入り、スリットが腰骨まで伸びた白いシルクのイブニングドレスだ。ドレスは一世を風靡し、彼の親友でモデルのアンニャ・ルービックが、2012年のメットガラで着用した。

ルービックは、ヴァカレロがこのドレスの制作中に、1990年代を代表する話題作『氷の微笑』について語った場面を振り返る。「多くの人が彼の服を見て『セクシーだね』と言います。でもそれこそ、彼が望んでいることではないし、彼が実際に作っているものを言い表していません」とルービックは断言する。「服が挑発的に見えるのは、派手で目立つからではないです。むしろ、かなり抑えられているからこそ挑発的なんです。彼の服はプロポーションに強いこだわりがありますけれど、デザインを理解していなければ、その奥にある美しさやディテールには気づけないかもしれません。服が人を支配することは決してないです。大胆で自信に満ち、堂々としていれば、それだけで女性は、どこへ行ってもセクシーになれるんです」

ヴァカレロ自身は、奔放なティーンエイジャーのグループにいながらも、その中では最もおとなしいタイプだった。「楽しかったです。バカなこともたくさんやりましたけど、やる側よりは、そっと見ている側でした。ドラッグだったり、デートだったり、いろいろやりましたけれど、90年代のクールなやり方で、今ほどハードではありませんでした。今、ティーンエイジャーでいる方がよっぽど怖いと思いませんか?」

彼の両親はシチリア島南部のアグリジェントからベルギーに移住し、父親はウェイターとして、母親は事務員として働いた。幼少期の頃を思い出すと、とても懐かしい気持ちになるという。愛情にあふれた家族と、自分のやりたいことができるという感覚。彼は一人っ子で、両親を独り占めできる感覚に喜びを感じるとともに、兄弟がいなかったからこそ友情を育む才能を開花させることができたと考えている。成長するにつれ、彼は両親や祖父母とともに毎年シチリア島を訪れた。その頃に聞いたイタリア音楽は、今でも彼に甘く、ほろ苦い想いをもたらすという。今、彼は毎年夏になると、バロック様式の巨大建築とアーモンドのグラニータで有名なシチリア島ノートの郊外にある邸宅で過ごし、こうした思い出と戯れる。旧友たちを招待して、大がかりなバザーを開いたりもするという。

ヴァカレロが成長する過程で、セクシュアリティを話題にする者はいなかった。家族も、友人でさえも。「これもある種の『ノン・ディット』、語られない事柄でした。自覚していても気にすることではなくて、友人と日々を過ごす中であえて『僕はゲイだ』とも言わない。それは両親も同じで、何も聞かれませんでした。両親は分かっていたでしょうけど、あえて言葉にはしませんでした。だから、説明する必要がなかったのはちょっと良かったと思います。両親はカトリックで、僕も洗礼を受けているんです」。ヴァカレロは、カトリック教徒であること、そして自分自身であることを両立させる術を、マドンナの中に見いだした。「宗教を批判しながらも、何かを信じ続けるということは、マドンナにとって常に皮肉めいたものだったと思う。でも、その姿勢はなんとなく理解できました」

ヴァカレロは昔からファッションが好きだったが、ファッションを仕事にすることは考えていなかった。「ブリュッセルにはファッションが存在しない。弁護士や医師といった職業が重んじられる現実的な街です。まったくシックな場所ではありません。あまりに退屈なところだからこそ、ベルギー人のデザイナーが多いのかもしれませんね。ただ、僕自身はアントワープに憧れたことは一度もないです。ブリュッセルとアントワープはブレントウッドとウェストハリウッドみたいに電車で30分しか離れていないですけど、おかしなことにまるで別世界なんです」

イマジネーションのその先に ヴァカレロが見守る側で、一際目を惹く鮮やかなブルーのレースのドレスに、可憐なビジューのネックレスを纏うグウィネス。新たな扉を開く、彼の映画製作への進出は、個人的な探求であると同時にブランドの繁栄を後押しするものでもある。「ショーやキャンペーンを行うのはすばらしいことですが、それらはすぐ消費されてしまいます。ですが、映画は20年、30年後も残り続ける。そこにはサンローランの名も刻まれているでしょう」ドレス ¥2,156,000 ネックレス ¥271,700 ストッキング 参考商品/すべてSAINT LAURENT BY ANTHONY VACCARELLO(サンローラン クライアントサービス)
ヴァカレロが見守る側で、一際目を惹く鮮やかなブルーのレースのドレスに、可憐なビジューのネックレスを纏うグウィネス。新たな扉を開く、彼の映画製作への進出は、個人的な探求であると同時にブランドの繁栄を後押しするものでもある。「ショーやキャンペーンを行うのはすばらしいことですが、それらはすぐ消費されてしまいます。ですが、映画は20年、30年後も残り続ける。そこにはサンローランの名も刻まれているでしょう」ドレス ¥2,156,000 ネックレス ¥271,700 ストッキング 参考商品/すべてSAINT LAURENT BY ANTHONY VACCARELLO(サンローラン クライアントサービス)

ヴァカレロは18歳のとき、自分が何をすべきか分からず、とりあえずロースクールに進学した。90年代に人気を博した法廷もののコメディドラマ『アリー my Love』のファンだったことも、その理由のひとつだ。「トイレで歌うのがかっこいいと思ったんです」とヴァカレロは語る。ドラマの中では、男女兼用の広いトイレで弁護士たちがバリー・ホワイトの曲に合わせて口パクで歌い、踊るシーンが繰り返し出てくる。「僕はそんなふうに、弁護士の仕事をファンタジーのように見ていました。でも実際はまったく違いました。ものすごく嫌でした」。2年後、彼はロースクールをやめ、ブリュッセルの美術学校ラ・カンブルに入学した。近年、ラ・カンブルの卒業生たちはフランスのファッション界を牽引していて、ヴァカレロをはじめ、パコ ラバンヌのジュリアン・ドッセーナクレージュのニコラス・デ・フェリーチェ、シャネルマチュー・ブレイジーなどが名を連ねる。一方、アントワープには王立芸術アカデミーがあり、80年代に「アントワープ・シックス」と呼ばれるデザイナーたち(ドリス・ヴァン・ノッテンやアン・ドゥムルメステールなど)を輩出したが、少なくともヴァカレロの想像した通り、当時のアントワープには彼があまり得意としない理知的なミニマリズムのオーラが漂っていた。「ラ・カンブルに通っていたオリヴィエ・ティスケンスが、98年の『フローズン』のMVで、当時、ゴシックスタイルにハマっていたマドンナの衣装を手がけていたのを覚えていたんです。それで、ファッションの学校に行く勇気が持てたんです。知っての通り、僕はマドンナのファンなのでね。ティスケンスがブリュッセルを出てマドンナの衣装をデザインできるなら、僕にも希望があると思いました。マドンナ、オリヴィエ・ティスケンス、ラ・カンブル。すべてはこんなふうに始まりました」

ファッションスクールを卒業後、ヴァカレロはローマに移ってフェンディのデザインチームに加わり、カール・ラガーフェルドのスケッチを毛皮のコートに仕立てる仕事をこなした。その一方で、自身のブランドを立ち上げ、パリで活躍したバイヤーのマリア・ルイーザ・プマイユの支援をいち早く受けるとともに、ルービックのようなモデルたちの支持を得るようになった。2013年、ロエベのクリエイティブ・ディレクターに転身したジョナサン・アンダーソンの後任として、ドナテラ・ヴェルサーチェはヴァカレロをディフュージョン・ラインであるヴェルサスのトップに起用した。当時、サンローランは見果てぬ夢のように感じられたが、ヴァカレロはかつて、自分のブランドをあきらめてもいいと思える唯一のメゾンはサンローランだと語っており、実際、エディ・スリマンの後任にヴァカレロが抜擢されたときに自らのブランドを手放している。

「ほかの選択肢は考えなかった」と語るのは、当時サンローランの社長であり、現在はケリングのブランド開発担当副CEOを務めるフランチェスカ・ベレッティーニだ。「ヴァカレロの作品は時代と驚くほど深く呼応し、鋭く、そして普遍性があり、いつ見ても衝撃的でした。しかし、私が求めたのは、服を超えてブランドの価値を真に体現できる人でした。歴史をなぞるのではなく、自らのやり方で再解釈できる人。彼はサンローランの本質、つまり自由、洗練、そして欲望を重んじています。私が望んだのは革命ではなく進化であり、ブランドを長期的に育てるために必要な、絶対的な明快さと一貫性でした」

ヴァカレロと私は、サンセット・ストリップの一角、庶民的なショッピングセンターの2階に店を構える穴場の寿司レストラン、SUSHI PARKで夕食をとった。彼がロサンゼルスで一番気に入っているレストランだ。グルメ評論家からは見向きもされないこの店の寿司は絶品で、長年にわたりストリートウェアを着こなす羽振りの良い寿司愛好家や、デートで訪れる映画スターたちの支持を集めてきた。時折、店の外の望遠レンズが客を狙っていることについて、彼はこう語る。「僕のせいかもしれない。ここにヘイリー・ビーバーを連れて来たのは僕で、彼女がその後キム・カーダシアンケンダル・ジェンナーを連れて来たんです。そこから、パパラッツィがうろつくようになりました」

サンローラン プロダクションは、デザインスタジオという枠を超えた活動の中で最も野心的なものだが、ヴァカレロの動きはこれにとどまらない。グルネル通りのサンローランのアクセサリーとバッグを扱う店があった場所にバビロンという書店をオープンし、さらに彼の興味を引くアーティストや写真家に焦点を当てた小さな出版社、SLエディションを立ち上げた。さらに今年初めには、サントノーレ通りにあるリニューアルしたサンローラン リヴ・ドロワの旗艦店の地下に、SUSHI PARKの支店をオープンした。パリのサンローランの店舗はほの暗い照明とダークな内装ではるかに洗練されているが、SUSHI PARKの支店の料理は本店の味をほぼ再現している。ちなみにサンローランのレストランということで、開店の告知はピエール=アンジュ・カルロッティによるショートフィルムで行われ、ローデス・レオンとパレスチナのシンガーソングライター、セント・レヴァントが出演した(お土産が必要な人には、サンローランのロゴが入ったこのレストランの黒檀の箸が495ユーロでオンライン購入できる)。

「彼は何か気に入ったものを見つけると、ほかの人に教えてあげたり、投資したり、守ったりしたがるんです」とクラヴィッツは言う。ヴァカレロとの出会いは、17年に彼がサンローランの広告キャンペーンへの出演を依頼したときだった。「彼は、自分が好きなものをブランドに注ぎ込みたいと思っているんです。サンローランはコミュニティであり、私たちは皆、互いを理解し、支え合い、成長するのを見守っています。毎年新しい顔ぶれ、つまりインスタグラムで話題の人たちだけだったら、魂のこもっていないコミュニティになると思います」

自称内気なドゥニは、サンローランのランウェイショーを見に行ったことがあるが、終わるや否や逃げるように帰ってしまった。ヴァカレロがヴェネチアのホテルでダルのために開いた誕生日パーティーに彼女を招待してから、ようやくふたりは友情を育むようになった。「彼が共同プロデューサーとしてだけでなく、衣装デザイナーとしても私の映画に参加したいと言ってくれたと知ったときは、驚いたし、とてもうれしかったです」と彼女は言う。「俳優と一緒に登場人物を作り上げるのに、衣装ほど適した方法はないです。服や靴から始めれば、少しずつそのキャラクターが浮かび上がってきます」

もちろん、すべての冒険的な試みが首尾よく終わるわけではない。『エミリア・ペレス』はセンセーションを巻き起こしたが、タイトルにもなった主役のエミリアを演じたカルラ・ソフィア・ガスコンの偏見に満ちたツイートがソーシャルメディアで出回り、糾弾された結果、アカデミー賞最有力候補という話はあっという間に消えてしまった。ただ、ヴァカレロはガスコンの一件について、サンローランが専門外のプロジェクトに関わることで生じる危険性を浮き彫りにしたという見方を否定する。「映画のプロデュースにはリスクや危険がつきものであり、それもすべて含めて僕はワクワクするんです。今のファッションは、皆、怖気づいていることが歯がゆいです。アーティストや歌手、俳優は自分たちに価値をもたらしてくれる存在だからと、自分たちが関わりたいと思う人たちをブランドは値踏みします。もちろん僕も、人種差別をする人とは関わりたくありません。そんなのは当たり前です。でも、映画を撮るにあたって、すべての人をコントロールすることはできません」

サンローラン プロダクションは現在、定期的に投資の可能性のある脚本を受け付けているが、ゲンズブールのミュージックビデオでヴァカレロが監督デビューを飾って以来、彼の意にかなう新たなプロジェクトはまだ現れていない。「僕が求めるレベルは結構高いので、新しくときめいた話はないですね」。ラグジュアリー業界が確実に不振に陥る中で、サンローランの世界はヴァカレロの思惑通りに拡大を続けている。前例のない成長を何年も重ねてきた同ブランドだが、25年上半期の売上高は約10%減となった。ケリング最大のブランドであるグッチの売上高が約25%減というニュースがなかったら、もっと大きな話題になっていたかもしれない。不安定な地政学、インフレ圧力、関税、低迷する中国経済など、不振の理由はさまざまだろう。9月、ケリングはフランスの自動車メーカー、ルノーの経営に携わり、その再建に貢献したルカ・デ・メオを新CEOに迎えた。ファッション業界出身ではないものの、むしろその経歴こそが抜擢の理由になったとみられる。

ヴァカレロはサンローランのビジネスという点で、プレッシャーはまったく感じていないと語る。「ひとつのシーズンが悪かったからとか、CEOが判断を誤ったからという理由でデザイナーを代える風潮は、少しばかげています。物事がうまくいかなくなると、すぐにクリエイティブ・ディレクターのせいにされます。僕たちはアートを生み出し、何かを築き上げているんです。ただ、僕たちはあまりに高いところまで昇りつめました。そこから多少の揺り戻しがあるのは当然のことです」。こうした消費者とラグジュアリーブランドの行き詰まり感を反映してか、昨年は多くのブランドのデザインスタジオで慌ただしい交代劇があった。デムナ・ヴァザリアはグッチへ、ピエールパオロ・ピッチョーリバレンシアガへ。マチュー・ブレイジーはシャネルへ、ルイーズ・トロッターボッテガ・ヴェネタへ、ジョナサン・アンダーソンはディオールへ、ジャック・マッコローとラザロ・ヘルナンデスはロエベへ移った。ダリオ・ヴィターレはヴェルサーチェへ、シモーネ・ベロッティはジル サンダーへ、マイケル・ライダーはセリーヌへ、グレン・マーティンスメゾン マルジェラへ、そしてハイダー・アッカーマンはトム フォードへ移籍した。だが、ヴァカレロは動かない。

「ほかのメゾンから来ないかという打診をされたこともありましたが、僕にとってサンローランは究極のメゾンなので受けませんでした」と彼は言う。「今日、人々が目にするものはすべて、サンローランがしたことにつながっています。危うさ、ブルジョワジー、見せないことで見せること、男らしさと女らしさ。僕にとってシャネルとサンローランは文化そのものであり、フランスの遺産です。それなのに、なぜほかの場所に行く必要があるのだろうか? お金や名声のため? 名声なんてどうでもいいです。芸術的な面を完全にコントロールできるメゾンにいられてとても幸せですし、ほかの場所に行ってそれを失うリスクを冒すつもりは毛頭ないです」

ヴァカレロとミショーは昨年、ブレントウッドの丘の中腹にある、ミッドセンチュリーの巨匠クレイグ・エルウッドが設計した邸宅を購入した。中空に浮かぶガラスの箱のような家からは、ダウンタウンのきらめく光から太平洋まで見渡すことができる。現在は、モダニズム建築の傑作をリノベーションすることで知られるマーモル・ラジナー社により、大規模な改修工事が進められている。仕事が頭を離れることはほとんどないが、ロサンゼルスでは主に「何もしないこと」を中心とした生活を送っているとヴァカレロは言う。家でゆっくり過ごしたり、本を読んだり、映画を見たり、ハイキングをしたり、ビーチに行ったり(ただし泳ぐことはない。ヴァカレロは水に入るのが嫌いだ)。今のところ、ロサンゼルス滞在を理由にリュカに学校を休ませることに抵抗はないが、これが永遠に続くわけではないことは理解しているつもりだ。「僕がちょっと怠惰な親になれる最後の年です。4歳児が学校で学ぶことで、そんなに重要なものはないだろう? うちの子は旅行したり、アメリカで英語を話したり、道で子どもたちと遊んだりすることで、より多くのことを学んでいる。学校では、バナナをナイフで切ることを学んでいるだろうけど」

この記事が出る頃には、ヴァカレロ一家はおそらくロサンゼルスでの生活リズムに戻っているだろう。パリ・ファッションウィークが終わったばかりのはずだ。私たちが語り合った7月の時点で、彼は自身にとってある意味定番色と言えるブラックとネイビーで、よりハードな服を作ろうと考えているようだった。最近、彼のウィメンズウェアはソフトで誘惑的だったが、今、彼の頭の中では再び危険なアイデアが舞い踊っている。ショーについては、かつて夜のチュイルリー公園で男たちが行っていたように、女たちが互いを品定めするような演出をトロカデロ広場で展開することを思い描いている。

「これまでよりもタフなコレクションになります。政治的なことは決してやらないようにしているんですけれど、世界で起きていることから目を背けているわけではないです。政治的なことをやるにしても、しっかりとしたつながりがなければなりません。今、僕には娘がいます。まだ1歳ですが、この子にはこれから強くなってほしいです」

人々は気に入るだろうか。ヴァカレロは自らのヴィジョンに揺るぎない自信を持つデザイナーであり、その自信の裏には、顧客が時間をかけてそれを理解し、受け入れてくれるだろうという確信がある。顧客に合わせにいくのではない。それぞれのタイミングで、顧客の方から自然と良さを理解し、歩み寄ってくるだろう。「このビジネスの極意は、欲望を生み出すことです。だが、流行を追えばファッションを台なしにしてしまいます。あるブランドが何かで成功するたびに、どのブランドも同じことを繰り返す。バッグもコートも似たり寄ったりだ。僕が言いたいのは、消費者が明日何を必要とするか分からないときにこそ、成功が訪れるということ。なぜなら、実際は何も必要ではないからです。本当に必要なのは食べること、家賃を払うこと、子どもにとって良い親であることだけ。でも、必要だと『思い込ませる』こと─それこそが、ラグジュアリーの魔力です」

Sittings Editor: Yohana Lebasi Hair: Lorenzo Martin Makeup: Georgie Eisdell Grooming: Jenna Nelson Manicure: Ashlie Johnson Produced by AL Studio Set Design: Mary Howard Tailor: Susie Kourinian for Susie’s Custom Designs

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