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「ただ着たくて着てる…」スラックス女子=LGBTQの誤解への嘆きにSNSが共感!令和の学校現場が抱える深刻なジェンダー・ハラスメント

  • 2025.10.15

「多様性」の裏で起きていること

スラックス女子=LGBTQの誤解、偏見
スラックス女子=LGBTQの誤解、偏見

近年の「多様性」という言葉の浸透は目覚ましいものがありますが、その裏側で、性的マイノリティであるLGBTQへの「認識の曖昧さ」から生じる新たな課題が浮き彫りになっています。その象徴とも言えるエピソードが、今、SNS上で大きな波紋を呼んでいます。

中学入学時からスラックス制服を選び、髪をショートに切り揃えた中2の少女が、周囲から「最近流行りのLGBTQってやつ?」「男の子になりたいの?」と執拗に聞かれ、うんざりしているという、母親のX(旧Twitter)投稿です。この投稿は瞬く間に数万の「いいね」を集め、多くの共感と、大人社会への苛立ちの声を伴って拡散されました。

この事案が示すのは、服装や髪型の「個人の選択の自由」と、「性的マイノリティのレッテル貼り」という危ういバランスです。制服の多様化が進む教育現場において、いかに本質的な理解が欠けているかが問われています。

「ただそれだけ」を許さない社会の視線

投稿者の「スラックスの制服を着たくて着てるし、ショートヘアにしたくてしてる、ただそれだけなんだけど…」という娘さんの言葉は、まさに現状のジレンマを凝縮しています。

コメント欄には、同じくスラックスを選ぶ娘を持つ親からの共感の声が相次ぎました。一人のユーザーは、「うちの娘もスラックス第一号で、『なんでスカート履かないの?』『男の子になりたいの?』と聞かれてうんざり。ようやくここまで来たけど、もう一歩」と、自身の体験を重ねています。また、「10年前、スラックス採用時に『LGBTのため』と言われてノイズ。痴漢被害や寒さで選ぶ女の子を無視されてた」と、多様性推進の文脈が、かえって個人の選択を狭めてきた歴史を指摘する声も見られました。

ここで問われるのは、「多様性」と「LGBTQ」の境界線です。多様性とは、服装や髪型、趣味などの個人の選択を尊重し、「自分らしさ」を表現できる社会を指します。一方、LGBTQは性的指向・性自認のマイノリティを指し、しばしば差別や精神的負担を伴います。

投稿のケースでは、スラックスやショートヘアが「ただの好み」であるにもかかわらず、LGBTQの「兆候」と短絡的に解釈される誤解が問題の本質なのでしょう。

多様性の推進が「カミングアウト」を強要する逆説

この誤解は、文部科学省が2015年から服装の柔軟化を推進しているにもかかわらず、現場では逆効果を生むケースが散見されることを示しています。例えば、菅公学生服の2021年調査では、約6割の学校がLGBTQに配慮した服装を導入・検討中であり、「女子スラックス採用」が最多(50.1%)となっています。

しかし、「ジェンダーレス制服」がトランスジェンダー偏重ではなく、全生徒の満足を優先し、選択の自由を広げるために導入されたにもかかわらず、世間では「制服の柔軟化=LGBTQへの配慮」という短絡的な図式が広がり、着用者がレッテル貼りされるリスクが高まります。

ある引用リポストでは、「スラックスを選ぶ女の子が『表現する性=男認定』されてスカートしか選べない。『多様性』と言いながら生き辛い社会」と嘆かれています。自由な選択を認めるはずの多様性の推進が、結果として「選択=カミングアウト」の強制を生み、少女たちを追い詰めているという逆説的な状況が生まれているのです。

教育現場の過渡期をどう乗り越えるか

日本では、2025年現在、ジェンダーギャップ指数が148カ国中118位と低迷しており(世界経済フォーラム報告)、学校制服の多様化が進む一方で、根本的な課題は残ります。文部科学省は2022年に改訂した『生徒指導提要』に「性的マイノリティに関する課題と対応」の項目を新設し、教師の理解促進の必要性を明記しましたが、指導の質が追いついていません。

この課題を乗り越えるためには、まず、指導者が正しい知識を持つための教師研修を義務化し、教育の現場で曖昧な認識が広がることを防ぐ必要があります。次に、制服の多様化の目的をLGBTQの配慮のみに限定せず、利便性や防寒も含めた「選択の自由」を強調した広報を行うことで、着用者へのレッテル貼りを解消しなければなりません。そして、生徒たちが自ら多様性を学び、異なる個性を自然に受け入れられるよう、生徒主導の多様性教育の実施も急務と言えます。

真の多様性社会の実現へ

一人の少女の「ただそれだけ」という叫びは、日本社会が真の多様性を実現するために、今こそ表面的な「理解」ではなく、具体的な「知識」と「配慮のアップデート」が必要であることを痛感させる事例です。ネットの議論を一過性のものにせず、継続的な変革のきっかけとすることが期待されます。

(足立むさし)

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