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30年前、日本中が心を奪われた“都会のポップ魔法” 渋谷から広がった“幸福なグルーヴ”

  • 2025.11.4

「30年前の冬、あなたはどんな街の音を聴いていた?」

1995年の東京。クリスマス目前の渋谷には、イルミネーションが溢れ、行き交う人々の服装や言葉、そして流れる音楽までが“カルチャー”そのものだった。その空気を象徴するように、軽やかで幸福感に満ちた一曲がリリースされる。

小沢健二『痛快ウキウキ通り』(作詞・作曲:小沢健二)――1995年12月20日発売

この曲は、クォーターミリオン(25万枚)を超えるヒットを記録した。渋谷の街を舞台にしたような明るさと、都会の詩情が混ざり合うこの曲は、まさに“90年代ポップの幸福”を体現した作品だった。

街を歩くだけで音楽が鳴るような時代

『痛快ウキウキ通り』のイントロが流れた瞬間、軽やかなホーンが街のざわめきを彩る。

ジャズやソウルのグルーヴを下地にしながらも、メロディはあくまでポップ。聴く人の心をほんの少し浮かせるような、“都会の午後のきらめき”を音にしたような軽やかさがあった。

この頃の小沢健二は、単なるシンガーソングライターではなく、“音楽で都市を描く詩人”だった。

彼が紡ぐ言葉とサウンドは、どこか文学的でありながら、決して難解ではない。むしろ、日常の小さな幸福を丁寧に拾い上げ、それをリズムと笑顔に変えていた。

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小沢健二-1996年撮影(C)SANKEI

“ウキウキ”という名のフィロソフィー

タイトルにある「ウキウキ」という言葉は、ただのキャッチーな響きではない。それは、小沢健二というアーティストが90年代に提示した“幸福のあり方”そのものだった。

バブルが終わり、不況の影が忍び寄る1995年という時代にあって、彼の音楽は“楽しむことへの肯定”をストレートに示していた。

「どんな時代でも、笑顔で歩ける」――そんな希望を、彼は音楽で見せてくれた。

それは決して派手ではないが、聴く人の心にじんわりと残る優しさを持っていた。

都会の詩とサウンドの融合

『痛快ウキウキ通り』のアレンジは、ジャズやソウルなどのグルーヴィーなサウンドでいながら、どこまでも日本語の響きが活きているのが小沢流。ホーン、ベース、パーカッションが絡み合い、自然体のボーカルがその上を滑るように走る。

この“ゆるやかな高揚感”こそが、小沢健二が描いた“日常のポップアート”だった。「小沢健二=都会的ポップスの象徴」というイメージを決定づけた一曲でもある。

変わりゆく時代に残った、変わらないリズム

1995年の街を包んでいたあのウキウキとしたムードは、今となっては少し遠い記憶だ。スマートフォンもSNSもない時代、人々はもっと“耳で季節を感じていた”。そんな空気の中で、『痛快ウキウキ通り』はまさに“幸福のBGM”だった。

いま聴いても、この曲には不思議な透明感がある。時代を映しながらも、どこか普遍的で、何度聴いても胸の奥を少し明るくしてくれる。小沢健二が描いた“痛快”さは、派手さではなく、生活の中にあるちょっとした希望のことなのだ。

そしてその希望は、30年経った今も、変わらずこの街のどこかで鳴り続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。