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35年前、演歌の女王が“名前を隠して”放ったCMソング 「こぶし」を封印した繊細な歌声

  • 2026.3.9

1991年という時代を思い返すとき、私たちの記憶にはどのような色が浮かぶだろうか。情報が溢れ、消費が加速する狂騒の裏側で、人々は「自分だけの居場所」や「穏やかな時間」を密かに、しかし切実に求め始めていたのかもしれない。そんな時代、夜のテレビから不意に流れ出してきたのは、これまでのどんな流行歌とも異なる、あまりにも潔く、あまりにも官能的な旋律だった。

SAYURI『ウイスキーが、お好きでしょ』(作詞:田口俊/作曲:杉真理)ーー1991年2月21日発売

それは、単なる宣伝のための音楽という枠を遥かに超えていた。一瞬で空気を塗り替え、聴く者を都会の喧騒から切り離して一軒のバーのカウンターへと誘うような、魔法の力を持った一曲。日本中の夜に「大人の休息」という概念を浸透させた、歴史的価値を持つ名曲の誕生であった。

都会の孤独を優しく包み込む、魔法の一滴

1991年、サントリー「クレスト12年」のブランディングを目的として企画されたこの楽曲は、リリースの瞬間から唯一無二の佇まいを見せていた。当時のヒットチャートを賑わせていたのは、派手なデジタルサウンドや激しいダンスビート、あるいは高揚感を煽るロックバラードが主流であった。しかし、この曲にはそうした「賑やかさ」が一切ない。代わりに用意されていたのは、グラスの中で氷が触れ合う音さえ聞こえてきそうな、徹底的に磨き上げられた静寂である。

楽曲の幕開けを飾るギターの音色と、ゆったりと腰を下ろすようなベースの響き。それらが重なった瞬間、私たちは気づかされる。この曲は、誰かと騒ぐためのものではなく、自分自身を慈しむための音楽なのだと。当時の人々が感じていた、豊かさゆえの精神的な渇き。それを癒やすのは、刺激の強い何かではなく、こうした抑制の効いた「贅沢な余白」であった。

深夜の薄明かりの中で、琥珀色の液体をゆっくりと回す。そんな、取るに足らないけれど何物にも代えがたい「自分だけの時間」の価値を、この調べは鮮やかに肯定してみせたのである。

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石川さゆり-1998年撮影(C)SANKEI

演歌の女王が纏った、もうひとつの気高い輪郭

この楽曲を語る上で欠かせないのは、「SAYURI」こと石川さゆりの存在だ。彼女は当時、すでに日本を代表する演歌歌手としての地位を不動のものにしていたが、この作品ではそのイメージを脱ぎ捨て、一人の「表現者」としてマイクに向かっている。あまりにも豊富な経験を積んだ歌手が、いつもとは違う名前で挑んだこの世界観。そこには、歌い手としての凄まじい覚悟と、音楽に対する飽くなき好奇心が凝縮されていた。

彼女が放つ声は、これまでの作品で見せていた力強い「こぶし」をあえて封印し、吐息に近い繊細な表現へとシフトしている。語りかけるように、あるいは独り言を呟くように歌われる旋律。その危うくも凛とした響きは、当時のリスナーが抱いていた「大人であり続けることの疲れ」や「ふとした瞬間に訪れる孤独」を、優しく抱きしめるような包容力を持っていた。

演歌という伝統芸能で磨かれた表現の深みを、ポップスやジャズの洗練された文法へと転換させたその手腕。それは、日本の音楽史における「歌声の化学反応」の最良の例といっても過言ではない。彼女の歌唱によって、楽曲は単なるCMソングであることをやめ、一人の女性が夜の深淵で見せる「本音」のドキュメントへと昇華されたのだ。

言葉と音が織りなす、贅沢な「沈黙」の味わい

この楽曲を支えるクリエイターたちの仕事もまた、職人的な美意識に貫かれている。作曲を手がけたのは、類稀なるメロディセンスで知られる杉真理だ。彼が描いた旋律は、洋楽的な洗練を感じさせながらも、どこか懐かしく、日本人の琴線に触れる哀愁を湛えている。サビに向かってなだらかに上昇し、そしてふわりと着地するメロディラインは、聴く者の感情を無理に揺さぶるのではなく、静かに、でも確実に心の温度を上げていく。

そして、その旋律に寄り添う田口俊による歌詞が、楽曲に「物語」としての深みを与えた。直接的な愛の告白や、説明的な描写を極限まで削ぎ落とし、ただ情景と問いかけだけを残した言葉の数々。「お好きでしょ」という、相手との距離を測るような絶妙な言い回し。その言葉の隙間にこそ、聴き手は自分自身の記憶や、誰かの面影を投影することができるのだ。

斎藤毅による編曲もまた、一音一音に意志を感じさせる仕上がりだ。過剰な装飾を排し、楽器同士の対話を重視したアンサンブル。ストリングスが描く柔らかな曲線と、端正なリズム隊が刻む一定の鼓動。それらが完璧な均衡を保つことで、楽曲には「永遠に続く夜」のような、時間を止める力、あるいは時間を忘れさせる力が宿った。 派手さはない。だが、一度耳にすれば決して忘れられない。そんな「引き算の美学」が、この1枚のシングルには詰まっている。

時代を超えて響き続ける、夜への招待状

あれから35年。音楽の流行は目まぐるしく移り変わり、私たちのライフスタイルも劇的に変化した。今や人々はスマートフォンを片手に、24時間絶え間なく情報の波にさらされている。1991年のあの夜に漂っていた、ある種の「不自由さゆえの豊かさ」は、今では手に入れるのが難しい贅沢品になってしまったのかもしれない。

しかし、だからこそ今、この曲を再生する意味がある。ふと目を閉じ、あのイントロに身を預ける。すると、どんなに騒がしい現代の日常も一瞬にして色褪せ、目の前には静かな夜の光景が広がる。

35年前、夜の深淵に灯されたこの小さな光は、今も消えることなく、迷える大人のための優しい案内灯として輝き続けている。この曲を聴くとき、私たちはいつだって、あの頃の、少しだけ真っ直ぐだった自分に再会することができるのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。