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30年前、解散前の大人気バンドが放った“洗練されたファンク” 遊び心を脱ぎ捨てた“究極のダンディズム”

  • 2026.3.10

1996年3月。テレビをつければ最新のヒットチャートが踊り、街にはデジタルサウンドが溢れ返る。誰もが「もっと派手に、もっとキャッチーに」と、消費される音楽の速度に身を任せていた時代。その喧騒からわずかに距離を置くように、硬質な輝きを放つ楽曲が届けられた。

それは、巨大なエンターテインメント集団として一時代を築いた彼らが、自身のアイデンティティを改めて定義し直すような、鋭利な一撃であった。

米米CLUB『STYLISH WOMAN』(作詞・作曲:米米CLUB)ーー1996年3月1日発売

当時、通算23枚目のシングルとして世に放たれたこの曲は、かつての彼らが持っていたコミカルな側面や、スタジアムを沸かせる大衆的な開放感とは一線を画していた。そこにあるのは、研ぎ澄まされた美学と、表現者としての「個」が際立つ、冷徹なまでのプロフェッショナルな佇まいである。

張り詰めた弦のように、研ぎ澄まされた音の彫刻

この楽曲を語る上で欠かせないのは、編曲を手がけた有賀啓雄の存在だ。緻密かつ知的なサウンドを構築してきた有賀の手腕は、この『STYLISH WOMAN』において、米米CLUBという多国籍で混沌としたエネルギーを、一本の細く鋭い針へと変質させた。

うねるようなベースライン、正確無比なリズム隊の刻み、そして空間を切り裂くように挿入されるホーンセクション。それらは決して華美な装飾ではなく、楽曲という骨組みを支えるための筋肉として機能している。

音の一つひとつに明確な意志が宿り、無駄を削ぎ落とした先にある強固なグルーヴが、聴き手の身体を内側から揺さぶる。支配しているのは、濃密で張り詰めた空気感だ。音の密度を極限まで高めながら、聴き手の感性を鋭く突くその構成は、まさにタイトルの通り「スタイリッシュ」という言葉の真意を音楽として具現化したものだと言えるだろう。

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1992年、第34回日本レコード大賞での米米CLUB(C)SANKEI

演じ続けることの果てに見つけた、剥き出しの歌声

ボーカルのカールスモーキー石井は様々なキャラクターを演じ分け、ステージという虚構の世界で縦横無尽に振る舞ってきた。しかし、この楽曲での彼の声には、何者かを演じるというフィルターを通さない、剥き出しの艶っぽさが宿っている。

カールスモーキー石井こと石井竜也という表現者が、長年追求してきた「美学」という名の迷宮。その深淵に手を伸ばしたとき、必然的に選ばれたのがこの洗練されたファンク・サウンドだったのではないか。遊び心を完全に封印したわけではない。しかし、その遊びはもはや「笑い」のためではなく、楽曲の完成度をさらに高めるための「毒」として、慎重に処方されているのだ。

集団の終焉を予感させる、あまりにも完璧な均衡

1996年という年は、米米CLUBという巨大なプロジェクトにとって、非常に繊細な時期であった。同年11月に発表される解散へのカウントダウンが、水面下で静かに始まっていたことを、当時の私たちはまだ知らない。しかし、これほどまでに完成度の高い音楽を提示してしまったあと、彼らはどこへ向かうべきだったのか。大人数でのパフォーマンスを前提としたバンドが、そのサウンドを究極までシェイプアップし、個々の技術を結集させて作り上げたこの一曲は、集団としてのラストスパートに向けた、あまりにも美しい「決意表明」のようにも響く。

誰に媚びることもなく、ただ自分たちが信じる「格好良さ」だけを追求する。その傲慢なまでの潔さこそが、多くのフォロワーを生み、今なお語り継がれる理由である。

当時の音楽シーンにおいて、彼らが築き上げた地位は盤石だった。しかし、彼らはその場所にとどまることを拒否し、自らの手でイメージを破壊し、再構築することを望んだ。その挑戦的な姿勢が、この曲の持つ緊張感の正体なのである。

30年の歳月が証明した、朽ちることのない「型」

あれから30年という月日が流れた。音楽を取り巻く環境は激変した。しかし、どれだけテクノロジーが進化しようとも、この『STYLISH WOMAN』が放つアナログな熱量と、人間の肉体が奏でるグルーヴの凄みは、決して色褪せることがない。

今の耳で聴いても、その音像は驚くほどにモダンである。それは、有賀啓雄による計算し尽くされたアレンジと、米米CLUBという異能の集団が持ち合わせていた音楽的素養が、時代の流行を超えた「普遍的な正解」を導き出していたからに他ならない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。