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「ソニー契約切ってくれないかな」売れない絶望時代が2年→最後の1曲で大成功した【国民的女性歌手】とは?

  • 2025.9.25
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出典元:photoAC(※画像はイメージです)

2023年12月2日放送のTBS『人生最高レストラン』に出演した、ある国民的歌手が下積み時代を赤裸々に語りました。

高校卒業後、単身で米ニューヨークへ渡ったものの、思うように結果が出ず、長く険しい道のりが続いたといいます。チャンスは得てもデビューには至らず、やがて「あてどもない制作期間」に疲れ果て、「もうソニー契約切ってくれないかな」とまで思ったという衝撃の告白に、スタジオは驚きに包まれました。

あてどもない制作期間に疲労困憊…契約解消を思わず願った国民的歌手とは?

さて、ここでクイズです!

高校卒業後に単身ニューヨークへ渡り、2年間の“あてどもない制作期間”を経て疲労困憊し、“もうソニー契約切ってくれないかな”と願った経験を持つ国民的歌手とは誰でしょう?

ヒント…

  1. 2004年に『光の中へ』でCDデビュー
  2. 2007年に『奇跡を望むなら...』がUSEN年間総合チャート1位を獲得

「誰にも届かなくて」

正解は、歌手のJUJUさんです!

JUJUさんは高校卒業後、知り合いもいないまま単身で米ニューヨークへ渡りました。「ニューヨークに行ったらどうにかなる気がする、っていう何の根拠もなかったんですけど」と笑いながら当時を回想。

「行ったときに武者震いして楽しかったのは最初のうちで、だんだん現実が見えてくるというか。道端で歌っている人がめちゃめちゃ聞いたことがないぐらい歌がうまいとか、レベルが違うし、私は今まで歌えるような気がしていたけど、全然ダメだな、っていうのを思って。でも、私にしか歌えない歌が絶対どこかにあるだろうなと思って、歌うのはやめなかった」と語りました。

ニューヨークで日本人DJのDJ Hiroさんと出会ったことが転機となり、プロデューサーに引き合わされたのは渡米から10年後。2004年に『光の中へ』でCDデビューしたものの「誰にも届かなくて」と回顧。「そこから闇雲にリリースし続けるのはただの消費と浪費になるから、プロデューサーに“本当に必要な歌を探しましょう”って言われて」と制作方針を転換します。

「“もうソニー契約切ってくれないかな”って思った」

そのあとも「私はニューヨークにいて、DJ HiroとE-3って人と曲作りをしていて、毎週日本からお題が飛んできて、“今、日本ではこういうのが流行っているから、こんなタイプの曲を今週は4曲上げてください”って。毎週お題が来て…」という状況が2年ほど続いたそうです。

「あてどもない制作期間があって、私も疲れ果てて“もうソニー契約切ってくれないかな”って思った」ほど精神的にも追い込まれていたと告白しました。

しかし、会社側から「最後の1枚を出しましょう」と提案されたシングル『奇跡を望むなら...』が転機に。「“JUJUはバラードじゃない!”って変な頭があったんです、当時。(それでも)言い争う気力も残ってなくて、(プロデューサーが)“この曲だ、って言うなら、この曲で誠心誠意向き合います!”って」と覚悟を決め、結果的に同曲は2007年のUSEN年間総合チャートで1位を獲得し、大ヒットとなりました。

エピソードを知るとより好きになるかも!

JUJUさんが明かした下積み時代のエピソードは、華やかな成功の裏にある孤独な努力と葛藤を浮き彫りにします。

ニューヨークでの挑戦、長く続いた制作の日々、そして『奇跡を望むなら...』の大ヒット。すべての経験が、現在のJUJUさんの圧倒的な表現力につながっていることがわかります。夢を追う過程で立ち止まりたくなったときでも、諦めずに向き合い続けることの大切さを教えてくれるエピソードです。