1. トップ
  2. 35年前、日本中が耳を澄ませた“裸のアコースティック” 時代の喧騒を切り裂いた“孤高の名曲”

35年前、日本中が耳を澄ませた“裸のアコースティック” 時代の喧騒を切り裂いた“孤高の名曲”

  • 2025.8.29

「35年前の夏、どんな音楽が街に流れていたか覚えている?」

1990年の真夏。まだ街にはバブルの余韻が残り、夜のネオンは煌びやかに輝いていた。ディスコではビートの効いたダンスナンバーが響き、テレビからは派手なアイドルソングやドラマ主題歌が次々と流れていた。

しかしそんな喧騒の中で、あえて静かに、力強く、自分の声とギターだけで勝負した1曲があった。

長渕剛『JEEP』(作詞・作曲:長渕剛)——1990年7月25日発売

彼の23枚目(正確には再デビュー前の『雨の嵐山』を入れると通算24枚目)のシングルであり、同名アルバム『JEEP』に先駆けてリリースされた作品だ。

先行シングルとしての存在感

この曲はタイアップの後押しもなく、純粋に「音」だけで勝負するシングルとして世に送り出された。

当時はテレビドラマやCMの主題歌がセールスを左右することが多かった中で、『JEEP』はそうした文脈から距離を置きながらも、確かな支持を集めていった。

30万枚近いセールスは、派手な仕掛けがなくとも人々が耳を傾けた証であり、何より数字以上に聴いた人の心に刻まれる力を持った一曲だった。

undefined
1989年、映画『ウォータームーン』初日舞台に登壇した長渕剛

言葉とリズムが生み出す独特の高揚感

『JEEP』の魅力のひとつは、長渕剛らしい“言葉のリズム”にある。

「ワークブーツにはきかえ 赤いジャンパーひっかけ」

冒頭のこのフレーズに象徴されるように、韻を踏んだフレーズが続くことで、聴き手の耳に自然と残り、リズムを刻むような高揚感を生み出している。

単に情景を描くだけでなく、まるで日常のひとコマをラップのように切り取った言葉の積み重ね。その無骨さと軽快さが同居する歌詞は、90年当時の音楽シーンにあっても際立つ個性を示していた。

シンプルな編成がもたらす“余白の力”

サウンド面では、全編にわたってアコースティック・ギターが主役。そこにわずかにシンセストリングスが重ねられる程度で、ドラムもベースも存在しない。豪華なアレンジがあふれる中であえて引き算を選んだことで、音の余白が強調され、長渕の声とギターがダイレクトに響いてくる。

この編成は、聴き手にとって「シンプルだからこそ濃い」体験をもたらす。音数の少なさが、かえって言葉や歌声のニュアンスを際立たせる効果を持っていた。

無駄を削ぎ落とした潔さが、長渕剛という存在そのものを際立たせたのだ。

長渕剛の“幅”を示した一曲

1980年代後半の長渕は、俳優としてもドラマや映画に出演し、『家族ゲーム』や『とんぼ』などで見せた存在感は、硬派で不器用な男像と重なり国民的な人気を集めていた。一方で音楽では、フォークの叙情性を軸にしながらも、時にロック的な激しさを、時にバラードの繊細さを見せるなど、その振れ幅を広げていた。

『JEEP』は、そんな長渕の幅広さを象徴する一曲だ。アコースティック・ギターの素朴な響きに、言葉の鋭さと声の迫力を重ねることで、静けさと熱が同居する独特の世界を描き出している。

つまりこの曲は、長渕剛という表現者の“ふり幅の大きさ”を改めて示した作品だったといえる。

残り続ける“素朴さの強さ”

飾り気のないアコースティック・サウンドは、当時のリスナーにとってむしろ新鮮で、騒がしい日常の合間に差し込む“静かな時間”を与えてくれた。

年月を経ても、『JEEP』の余韻は色褪せない。派手さも華やかさもないが、ギターの音色と声の迫力だけで成り立つ潔さは、時代を超えて響き続けている。

シンプルだからこそ強く、飾らないからこそ深い。その静かな強さは、1990年という時代の不思議な揺らぎを象徴しているようでもある。

——35年という時を経ても、あの夏に響いたアコースティックの音色は、耳にした瞬間、不思議と胸の奥に蘇ってくる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。