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20年前、日本中が耳を奪われた“タイトル不明曲” 本物の2人組が叩きつけた“記憶に残るCMソング”

  • 2025.8.12

「2005年、どんな曲が耳に残っていた?」

真っ赤な缶とともに流れ出したあのイントロ。TV画面から溢れる“爽快感”に、「この曲、誰?」と振り向いた人も多かったはずだ。

BENNIE K『Dreamland』(作詞:BENNIE K・作曲:BENNIE K、Mine-Chang)――2005年6月8日発売。

コカ・コーラのCMのためにつくられた、いわば“広告のBGM”が、気づけば多くの人の記憶に焼き付いていた。

それは、売れ線の王道でも、みんながカラオケで歌った曲でもない。けれど、テレビから繰り返し流れる“耳の記憶”によって、時代を象徴する1曲になっていた。

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※Google Geminiにて作成(イメージ)

“タイトル未定”でスタートした曲が、全国の耳に焼き付いた

『Dreamland』が最初に登場したのは、CDリリースより約3か月前。2005年3月から放映されたコカ・コーラのテレビCMでのことだった。

CMのために書き下ろされた完全オリジナル楽曲で、放送当初はまだタイトルもなく、視聴者の間では「あのコーラの曲」として認識されていた。

それでも、疾走感あふれるビートと、自然に身体が動くグルーヴに、全国の視聴者は即座に反応した。

「この曲、誰?」という声が飛び交い、テレビの前でざわつきが起きた。

やがて正式に『Dreamland』としてリリースされると、一気に知名度がアップ。ただのCMソングで終わらず、“耳の記憶に残る1曲”として、確かな爪痕を残していった。

シンガーとラッパー、2人の女性が切り拓いた“洗練系ポップ”

BENNIE Kは、ボーカルのYUKIとラップ担当のCICOによる2人組ユニット。

出会いのきっかけはロサンゼルス。帰国後はそれぞれ別で音楽活動をしていたが、再会しユニットを結成。BENNIE Kの由来は、“弁慶と牛若丸”の武蔵坊弁慶。

力強さの象徴としての“弁慶”と、YUKIがはじめてギターをレッスンで習ったのがBEN E.KINGの『スタンド・バイ・ミー』だったことにちなんで名付けられた。

2000年代前半、女性ラップはすでに一定の存在感を持っていた時代だが、BENNIE Kの音楽には、それらとは一線を画す“都会的な洗練”があった。ヒップホップの香りを残しながらも、どこか軽やか。アメリカ仕込みのセンスと、日本語ポップスの耳馴染みやすさを絶妙にブレンドした楽曲たちは、若者を中心に多くの支持を集めた。

YUKIの爽やかな歌声と、CICOの小気味良いラップの応酬――そのバランスが特に冴え渡っていたのが、『Dreamland』だった。

「歌われた曲」ではない「覚えられた曲」

当時のヒットの多くは、カラオケでどれだけ歌われたかが重視されていた。誰かが歌い、誰かが真似して、盛り上がる。そこに“広まり”の方程式があった。

だが『Dreamland』は、そのルートとは明らかに異なっていた。

テレビCMで毎日のように流れ、街中のスピーカーやラジオでも自然に耳に入ってくる。誰かが歌ったというより、気づけば“聴いて覚えていた”。

音楽を取り巻く環境が少しずつ変わり始めていたその時代に、あえてどこにも寄りかからず、ただ音そのものの力で広がった――そんな楽曲だった。

そして何より、それが成り立ったのは、テレビに映っていたからではない。彼女たちの音楽が“本物”だったからこそだ。

あの夏が蘇る、“20年後も色褪せない魔法”

時代が変わり、音楽の届け方も変わった。サブスクで過去の名曲にすぐアクセスできる今、それでも“あの頃の空気ごと蘇る曲”は、決して多くない。

『Dreamland』には、キャッチーでありながら媚びない、ラフでありながら芯のある強さがあった。

聴いた瞬間、なぜか景色が浮かぶ――そんな、記憶をまるごと呼び起こす“音の装置”のような存在だった。

疾走感と軽やかさの絶妙なバランス。

20年経った今、この曲をふと再生したくなるとき、それはきっと、“あの頃の自分”にもう一度会いたくなっている証拠なのかもしれない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。