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30年前、日本中が心を奪われた“夏の代名詞” 売上60万枚を記録した“はじまりの名曲”

  • 2025.8.11

「“あのイントロ”、今でも夏の空気を思い出させるんだよね」

1995年。日常の中に“等身大のリアル”が広がり始めていた時代。ファッションも音楽も、虚飾より、自分にフィットする“本気”を求めるムードが強まっていた。

そんな中、ひとりの少女が、まるで光のかたまりのような存在感で現れる。誰よりも速く、まっすぐに、時代を駆け抜けていくために。

安室奈美恵『太陽のSEASON』(作詞:鈴木計見・作曲:HINOKY TEAM)――1995年4月26日リリース。

この曲は、ヒットした前作『TRY ME〜私を信じて〜』に続く、ユーロビート路線の第2弾シングル。サウンドプロデュースはDAVE RODGERS。

眩しさと強さをまとったこの1曲は、60万枚を超えるセールスを記録し、彼女の“加速する未来”を決定づけた。

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当時の安室奈美恵(中央) (C)SANKEI

“ソロ名義”と“グループ名義”のあいだで立ち上がった存在感

『太陽のSEASON』は、「安室奈美恵」名義でリリースされた初めてのソロシングルだった。

ただし、CDの裏ジャケットにはSUPER MONKEY’S(現・MAX)のメンバーも写り、「NAMIE AMURO with SUPER MONKEY’S」というクレジットが併記されている。

つまりこの1枚は、“ソロのはじまり”と“グループの名残”が交差する、曖昧でありながら決定的な分岐点だった。

ステージにはまだ仲間の姿があった。フォーメーションも掛け声も、一見すると以前と変わらない。

けれど、その真ん中に立つ彼女の存在感は、明らかに“別の物語”を始めていた。

前作『TRY ME』で一気に加速したユーロビート旋風。その勢いを受け継ぎながら、よりシャープに、よりパーソナルな光を放ったこの楽曲は、リスナーに静かに語りかける――「ここからは、あたらしい季節がはじまる」と。

ジャンルを超えて、“体温”で踊らせた声

『太陽のSEASON』は、サウンドだけを見れば王道のユーロビート。海外制作チームによる疾走感のある構成、鋭く跳ねるシンセとキック、クラブライクなグルーヴ。そのすべてが、当時のトレンドを正確になぞっていた。

けれど、この曲がただの“量産型ダンスナンバー”にならなかったのは、安室奈美恵という体温がそこに宿っていたからだ。

10代という若さのなかに宿る、プロ意識と危うさ。声質はまだ少女の輪郭を残しながら、譲れない芯のような強さが感じられた。高揚感に満ちたビートの中で、彼女は“叫ぶ”のではなく、“感情を正確に届けようとする”。その丁寧さが、音の隙間を満たしていた。

だからこそ、この曲は聴く者の感情を自然に揺らす。“カッコいい”だけで終わらない、“まなざしのある歌”として記憶される。

楽曲がどうこうではない。そこに立っていたのが彼女だったからこそ、物語が始まった。

太陽の名前を冠したその瞬間に

1995年の春。街の空気が少しずつ熱を帯びはじめた頃。

安室奈美恵は、自らの名前をタイトルに刻むように、“太陽の季節”という未来に足を踏み入れた。

この作品は、まだ“小室哲哉プロデュース”という巨大な波の前――大ブレイク前夜の一枚だ。爆発的なヒットや社会現象といった言葉がつく作品ではない。だが、なぜか記憶に残っている。

あのイントロ。あの疾走感。そして何より、ステージ中央からまっすぐに放たれる、“ひとりの少女の決意”のような眼差し。

仲間に囲まれていても、もうすでに“ひとりの表現者”として立っていた。

その姿が、“完成に向かう最初の衝撃”だった。

『太陽のSEASON』は、後から振り返ったときに、すべての始まりだったと気づく作品だ。

J-POPの歴史の中でも、彼女自身の人生の中でも、意味が深まっていく一曲として、今も静かに、しかし力強く輝き続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。