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参加費1,600万円の瞑想修行へ。9日間のプログラムを経て、私が感じたこと

  • 2025.7.28

ほぼ丸一日を費やしヴェネツィア入り

俳優のヒュー・ジャックマンパタゴニアの元CEOなど、名だたる世界の実業家や政治家、セレブリティたちが会いにいくインドのグル(サンスクリット語で「導く者」の意)がいるという。彼らが主催する参加費1,600万円の瞑想修行(渡航費は別)が存在すると知り、衝撃を受けた。そこには、どんな世界が広がっているのだろう。お金は天下の回りものだとするなら、どんな循環がそこから生まれるのだろうと興味が沸いたのだ。気がつけば、その半年後には自腹を切ってプログラムに参加していた。

2024年某日、私は人生3度目となるヴェネツィアの地に降り立った。フライトチケットはマイルで予約。午前11時に成田を出発し、ウィーン経由で現地入り。到着が22時過ぎだと公共の交通機関が使えないため、事前に空港からの送迎を手配していた。雨が降って海が荒れているためミニバンでサンマルコ広場まで行き、その後、水上タクシーに乗り継ぐことに。ホテルのある小さな離島に着いた頃には23時をまわっていた。およそ18時間の旅路だった。機内でも寝たとはいえ、旅の疲れでぐったり。そのまま就寝した。

開始前日

夕方からプログラムのオリエンテーションが始まるけれど、それまで時間があったので水上ボートでヴェネツィア本島まで出かけた。会期中、朝食と昼食は支給されるので、夕食用にルッコラなどの葉物野菜や苺などのフルーツ、水などを買い込んだ。また瞑想など意識やエネルギーの世界に触れるときに個人的に欠かせないアイテム、塩も購入。良質なエプソムソルトを入手できて気分は上々。ゆっくり準備ができて、前日入りすることにした私、グッジョブ!とまだ余裕をかましていた。

ヴェネツィア本島は、街中を練り歩くのも苦労するほど世界中の観光客で大賑わい。けれど私たちが滞在する離島にはホテルしか存在しない、ヨーロッパ唯一の1島1リゾート。手入れが行き届いた庭、整然と並ぶオリーブの木々、どこを切り取っても美しい敷地。そして本島の喧騒はまったく感じないほど静か。街中にある忙しさから距離を置けるこの環境は、瞑想や内観には向いていると感じた。

開催地であるホテルへはボートでしか辿り着けない。
開催地であるホテルへはボートでしか辿り着けない。
滞在したのはヴェネツィア本島の南に位置する孤島、ローゼ島の「JWマリオット ベニス リゾート&スパ」。白装束の私たちが宿泊者のなかで浮くだろうことは想像に難くなかったけれど、ファイブスターのホスピタリティで居心地は最高だった。
滞在したのはヴェネツィア本島の南に位置する孤島、ローゼ島の「JWマリオット ベニス リゾート&スパ」。白装束の私たちが宿泊者のなかで浮くだろうことは想像に難くなかったけれど、ファイブスターのホスピタリティで居心地は最高だった。

夕方になると当日チェックインの参加者が到着し始め、賑やかな雰囲気に包まれた。オリエンが行われるホールに集まり、簡単な自己紹介を行う。アメリカ、イタリア、韓国中国、マレーシア、そして日本など世界中から来ている。多様な人種の人たちが集まって同じプログラムを受けることに静かに興奮した。対話はすべて英語で行われるため、必要に応じて参加者同士で通訳の方を雇うことになる。私たちは翻訳機をつけ、誰もが慣れ親しんだ母語で参加できた。

オリエン前に瞑想仲間と。全身白で張り切る新入り勢。
オリエン前に瞑想仲間と。全身白で張り切る新入り勢。

プログラムにはさまざまなルールが存在する。その一つが、会期中は白かオフホワイトの服を纏うこと。適した服をもっていなかったので渡伊前に新調した。オリエンテーションにも全身真っ白で挑んだものの、まさかのベテラン勢は柄ものや差し色を使った装いで参加。周りを見渡してみると、同じく初参加の面々だけが気合い入れて全身真っ白、という具合だった。新人あるあるの全力投球。

本格的なプログラムは翌日から。ホテルの敷地内にある教会に早朝5時半に集合するように告げられ、その日は解散となった。この時点でプログラムの全容は知らない。朝から夜まで何をするのか、何時まで行われるのか、その一切をわからず、ただ参加する。概要を把握しないことさえ、プロセスの一部なのだと察した。楽しみと緊張とが入り乱れていた。

Day 1

アメリカ人の先輩たちが天井のガラス越しに自撮りしているのを見かけ、楽しそうだったので真似てみる。言葉を発さず、目配せで僅かなコミニュケーション。
アメリカ人の先輩たちが天井のガラス越しに自撮りしているのを見かけ、楽しそうだったので真似てみる。言葉を発さず、目配せで僅かなコミニュケーション。

瞑想修行が、いよいよ始まる。朝4時過ぎに起き、身支度をして会場となる敷地内の教会へと向かう。星がきれいに見えるほど辺りはまだ暗闇に包まれていて肌寒かった。5時に教会に着くがまだ誰もいない。またもや気合い入り過ぎ、新人らしさ全開。プログラムはチャクラと呼ばれる体内のエネルギーセンターを活性化させるヨガから始まった。その後、日の出の時刻になると朝陽を眺めに島内を散歩する。朝陽は吉兆とされ、そのバイブスを浴びることがよしとされている。このルーティーンはほぼ毎日続いた。寝ぼけた体を動かしながら覚まし、心身を整えた状態で1日を始めることは気持ちがよかった。

白装束以外にも、さまざまなルールがある。9日間は肉魚なしのベジタリアン生活、お酒やタバコなどの刺激物はもちろん禁止。スマホやPCなどデジタル機器の使用、それに伴う外部とのやり取りもNGの完全デジタルデトックス。TVや読書、映画鑑賞などの気晴らしも徹底して控える。実際そんな暇もない。また朝食の1時間以外は「マウナ(サンスクリット語で沈黙)」と呼ばれ、話すことも禁じられていた。話せないことが苦痛で朝食の時に堰を切ったように話す人たちもいたけれど、私にとってマウナは無口な自分が許可されたようで実は心地よかった。そして逆に日頃は話すとき、気張っていたんだな、と気づく。

Day 2

ひとり内観をする時間が幾度となく設けられる。自然界から教わることの多さたるや。
ひとり内観をする時間が幾度となく設けられる。自然界から教わることの多さたるや。

ヨガや瞑想、マントラ詠唱などの実践のほか、私たちはグルであるシュリ・プリタジとシュリ・クリシュナジ(二人は夫婦でこの瞑想プログラムを主催するエーカムという団体の創設者)から直に教えを聴く時間も多い。ノートを書くことは禁止で、話に全集中することが求められる。大切な話であるほどにメモをとりたくなる衝動を抑えながら、話の内容を忘れないように全身に染み込ませていた。眠くなったら、その場で立つように言われる。なんだか学校みたい。

あるとき、動きに意識を向けたウォーキングを行なった。2歩歩き、ひと息つき、再び2歩進む。単調な動きに全集中を向けると、いかに日々馴れ合いで歩いてきたか、惰性で決断してきたかに気づく。本当に動くのか、続けるのか、やめるのか、方向転換するのか、いつだって自分で決められる。立ち止まると呼吸が深まることも発見だった。

早朝のヨガや朝陽を浴びる時間のあとは少しの休憩。静かに朝食会場へと向かう。
早朝のヨガや朝陽を浴びる時間のあとは少しの休憩。静かに朝食会場へと向かう。

プログラムは朝5時から20時まで。ずっと集中しているため、夜には気力も体力も限界値に達している。部屋に戻ると朝食ビュッフェの残りものをつまみ、サッとお風呂に入って、そのままベッドに倒れ込む日々だった。部屋ではときどき洗濯もした。部屋干しだから乾きが悪いときはドライヤーを活用。うっかり金額見ずにホテルのランドリーに頼っていた友人は、9日間で9万円近くの請求がきていた。日本から手洗い洗剤をもってきておいてよかった。

Day 3

珍事が起きた。この日の瞑想は目を閉じたまま立ち上がり、ゆっくりとその場で左回転するというもの。けれどハエが飛んできて顔や手に触れてくる。気が散って集中できない。私の唇が荒れてて、アーユルヴェーダ的処方でギー(バターオイルの一種)を塗っていたせいだった。美味しそうな匂いに釣られてきていた数匹のハエ。図らずも瞑想の修行みがアップ。ちなみに周辺にいた人たちも巻き添えとなり被害者に……。

「マウナ(沈黙)」を真面目に実践していたこともあり、嫌でも内観が日々深まっていた。どんな条件づけや理想を自ら課していたのか、深淵な意識の世界へ潜る。プログラムの途中、グループにわかれて参加者ひとりひとりが気づきをシェアする時間もあり、私たちは日本人10数名くらいで1グループに。ほかの参加者の話を聞くのは面白い。誰かのシェアによってほかの誰かの気づきが深まるということがよく起こっていた。

Day 4

ハードな瞑想ランキング上位に、速い呼吸を続ける火の呼吸があるけれど、この日は火の呼吸とは別の瞑想で失神しそうになった。一切の動きを静止しながら、暗闇の中で蝋燭の灯火だけを瞬きせずに凝視するという瞑想法。目が乾いていき、痛くて涙は出るし、静止するのが辛くて首と肩に変に力が入り、バキバキに痛み始め、最後はなかば酸欠状態に。サレンダー(降伏する)の意味をはじめて身をもって知った気がした。

この日は衝撃的な体験もあった。マントラを詠唱していたとき、世界が走馬灯のようにスローモーションになった。詠唱がゆっくり過ぎてリズム感が掴めないような不思議な感覚。時間が拡張して感じられた。一時的に脳波がガンマ波優位になっていたのかもしれない。後日またこの状態になりたい!と思って意識するも再現はできなかった。

Day 5

ここのところ、朝起きても体がダル重かった。関節に力が入らず、長年抱えてきたものが動き出そうとしているのを感じていた。ときどき全参加者の前で気づきのシェアをする時間もある。この日は勇気を出して手を挙げ、登壇してみた。マイクを握り、私の体験をみんなの前で話すという行為に魂が震えた。自分にとっての真実を話すことが、こんなに大きな喜びだったとは。

午後はオフ。ヴェネツィア本島をみんなで観光。大して興味はなかったけれどドゥカーレ宮殿を見学したり、世界最古というサンマルコ広場の老舗カフェでお茶をしたり、束の間の余暇を楽しんだ。話すことも許されるので、みんな大いにしゃべる。けれどプログラム開始直後ほど、話すことへの渇望はなくなっている気がした。

Day 6

グルと1対1で会う時間が設けられた。1人10~15分くらい。グルに①質問1つ、②お願いごと3つをしていいという。自力では到底叶いそうにない願いがいいよ、とベテラン勢からアドバイスをもらい、絞り出す。質問は「どんな幼少期でしたか?」と投げかけた。常に喜びと共にあったとの回答で、人間には何かしら苦しみがあるはず、という自分の浅はかな思い込みに気づかされる。

夕刻のプロセスは大きな転換点となった。シャバーサナ(屍のポーズ)の最中に、突然ハートがドンっという大きな衝撃と共に50cmほど跳ね上がり(個人的な体感です)、ワイドオープンに大解放。激情型の舞台女優のように嘲笑い、嘆き悲しみ、嗚咽する。涙とともに溢れ出たのは聞いたこともない雄叫びや泣き笑いだった。初めて出す感情や甲高い声に我ながら驚いた。人間って滑稽で愛すべき存在なんだな、と俯瞰する自分もいた。

Day 7-8

日の出前は「神聖な時間(ブラフマムフルタ)」とされ、ヨガや瞑想に適した時間帯とされている。
日の出前は「神聖な時間(ブラフマムフルタ)」とされ、ヨガや瞑想に適した時間帯とされている。

いよいよ瞑想修行も最高潮。「タパス(サンスクリット語で苦行)」と呼ばれる、明け方まで夜通し瞑想するハイライトが用意されていた。夕刻に仮眠をとる。会場内でみんな横になって雑魚寝。眠りにくい環境だけれど、また倒れそうになるは避けたいので必死に寝た。夜通し瞑想は最初の数時間は長く感じたけれど、次第に時間の感覚を忘れていった。圧倒的な穏やかさだった。地球にいる限り、なくなることのない動き。けれど内側にただ静寂がある。そんなことを全身全霊で体験していた。

Day 9

最終日はお祭りムードだった。修行を終え、互いを祝福し合うかのように、クラブで流れるようなノリのいい曲に合わせて踊った。思春期を海外で過ごしてきた私は、言葉の壁を越える音楽ダンスが昔から好きだった。そんなことを思い出し、またパリピ魂に火がついて多国籍な参加者たちと踊り弾けた。ひとりのアメリカ人女性が、私のところにやってきて数日前に私がシェアした内容に響くものがあり、とても感動したと話してくれた。私も彼女には共感するところが多かったので嬉しかったし、何より育った環境が違えどもわかり合える、人間の普遍的な苦しみや解放のプロセス構造に改めて面白みを感じていた。

EPILOGUE

9日間の修行を経て、人生がガラッと変わる奇跡が起きた!とか、わかりやすい変化はない。けれど「感じること」を許せるようになった。嫌な感情・感覚だとしても、些細なことでも、なかったことにしない。それは自分という存在の多様性をすべて丸っと受け容れるような、安心感と心地よさ。当たり前なようで、できていなかったこと。 焦燥感や渇望感が消え、 以前よりは“いま”という瞬間に没入できるようになった気もする。穏やかに揺蕩うような感覚で、余白や隙間が自然と生まれているのかもしれない。粛々と参加費のローンを返済しながら、そんな日々の暮らしそのものに奇跡を感じている。

Profile

山﨑真理子

フランス生まれ、小学校は東京、中高はパリで育つ。大学卒業後2002年に現ハースト婦人画報社に入社。2012年退社ののちフリーの編集者として活動しながら2014年に企画会社、M5(エムサンク)を設立。魂の望む生き方やメソッドを探求し2020年にウェルビーイング事業QUANTA(クォンタ)を設立。意識の言語化、潜在意識のセッション、エネルギーワークも行う。@okiramy_

Text: Mariko Yamasaki Editor: Rieko Kosai

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