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25年前、日本中が息を呑んだ“毒入りボーカル” 異才が叩きつけた一撃が“女性像”を破壊した

  • 2025.7.31

2000年の始まり――日本に、突如、オルガンの不穏な音色と、ゾッとするほど生々しいボーカルが降ってきた。

ド頭から空気を支配するその楽曲は、もはやJ-POPではなく、“事件”だった。

椎名林檎『罪と罰』(作詞・作曲:椎名林檎)――2000年1月26日リリース。

彼女にとって6枚目のシングルにして、“椎名林檎”という存在を決定づけた一曲だ。

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2003年の椎名林檎 (C)SANKEI

甘くない、媚びない、笑わない――「愛」の不穏な実体

この曲がまず異様なのは、冒頭のオルガンの響きと、それに続く椎名林檎のボーカルの入り方だ。

まるで教会の懺悔室に閉じ込められたような、ざらついた静寂の中で――次の瞬間、刺すような声が空気を切り裂く。しかもその歌声は、“高音が綺麗”とか“情感がこもっている”なんて形容では到底足りない。

「今、ほんとうに壊れそうな人」が、すぐ横で息を吐くように歌っている。そんな危うさがある。

それはまるで、ジャニス・ジョプリンを想起させる――いや、誰かに例えてしまうのは失礼なのかもしれない。

あの歌声は、もっと冷たく、もっと知的で、もっと日本的にひねくれている。“林檎”という名の果実の中に、あんな毒が詰まっているなんて――そんな比喩が頭を駆け巡る。

“ベンジーが殴る”音が入ってる、って本当か?

『罪と罰』でギターを担当しているのは浅井健一。椎名林檎が『丸の内サディスティック』(作詞・作曲:椎名林檎)で「グレッチで殴って」と歌った、“ベンジー”本人だ。

そのベンジーが、今度は本当にギターで殴りかかってきた。“言葉”が、“現実”として回収される瞬間が、ここにある。

浅井のギターは、荒削りで無骨。でも妙に色気があって、椎名林檎の“壊れかけたボーカル”と驚くほどの化学反応を起こす。このギターがあるからこそ、『罪と罰』はただの名曲ではなく、“凶器”として完成した。

そして、背後にいる“この音の張本人”

そして忘れてはいけないのが、亀田誠治のベースだ。

このベースが、まあえぐい。沈み込むような低音で全体を支えつつ、時折ゾクッとするようなフレーズを放つ。

椎名の感情とギターの荒さ*“音楽”に昇華しているのは、間違いなくこの人の仕事だ。

地面が揺れるようなグルーヴの正体は、ここにある。

“女”の概念すら壊していく一曲

当時、“女性アーティスト”といえば「癒し」「かわいらしさ」「透明感」なんてキーワードが並んでいた。

そこに現れたのが、刀を携えを、狂気に満ちたような表情を浮かべる椎名林檎。しかもその歌声は、「誰かを愛して、誰かを壊して、自分も壊れてる」というヤバさを丸出しにしている。

『罪と罰』は、「女性らしさ」を表現の枷から解き放った爆弾だと言ってもいいだろう。その影響は、のちの多くの女性シンガーソングライターに連鎖していく。

ラブソングに“暴力”と“神聖さ”を同時に詰め込んだ名曲

『罪と罰』というタイトルは、ドストエフスキー的な知的アイロニーを感じさせる一方で、内容は圧倒的に情緒的だ。この曲の中で語られる“罰”とは何か? “罪”とは誰のものか?

答えは明示されない。だけど、曲を聴いた誰もが「なんとなく、自分のことだ」と思ってしまう。

それが、この曲の“感情汚染力”のヤバさだ。

25年経ってもなお、心のどこかを刺してくる

今、あらためて『罪と罰』を聴いても、感情の質量はまったく薄れていない。

むしろ、説明過剰な現代のラブソングに慣れた耳には、この曲の「わからなさ」「割り切らなさ」が鋭く刺さる。

椎名林檎は、25年前のこの一曲で、「感情は暴力であり、救いであり、罰でもある」ということを、音で証明してしまったのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。