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25年前、日本中が驚いた“本気すぎる企画曲” テレビから生まれた“アーティストの原点”

  • 2025.8.4

2000年の春、日本は世紀をまたぎ、新しい時代に足を踏み入れていた。インターネットが日常に浸透し始め、携帯メールが若者文化の中核を担い始めた頃。

そんな時代に、土曜の夜に放送されていた音楽バラエティから、一曲の“異質な空気”をまとったシングルが生まれた。

KinKi Kids『好きになってく 愛してく』(作詞:堂本剛・作曲:堂本光一)――2000年3月8日リリース。

それは、バラエティ番組の企画曲でありながら、アイドルの枠を越えた“音楽的出発点”として位置づけられる重要な作品だった。

テレビの中で始まった「本気の制作」

この曲が生まれたのは、フジテレビ系音楽バラエティ『LOVE LOVE あいしてる』の中。

1996年にスタートしたこの番組は、KinKi Kids(現・DOMOTO)と吉田拓郎がMCを務める異色の音楽バラエティとして、独自の存在感を放っていた。番組の主題歌として長く使われていたのは、吉田拓郎作曲の『全部だきしめて』。

だが番組3年目を迎えた1999年、吉田拓郎の発案で“KinKi Kids自身による新たなテーマソング”を作るプロジェクトが始動する。

その条件は――堂本剛が作詞を担当し、堂本光一が作曲を担当すること。

これまで番組を通じてギターを教わってきた2人にとって、これは次のステップだった。“演奏する”から“創る”へ――アイドルではなく、音楽を手がける表現者としての挑戦が始まった。

プロジェクトは1999年5月にスタートし、翌年完成を迎える。それが、KinKi Kidsの9枚目のシングル『好きになってく 愛してく』だった。

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※Google Geminiにて作成(イメージ)

番組発、セルフメイド――“ただの企画曲”では終わらなかった

この楽曲は、“番組タイアップ”という出自を持ちながら、それ以上の意味を帯びた。この楽曲の価値は、2人が初めて“作り手”として名を連ねた表題曲である点にある。

堂本剛が詞を書き、堂本光一が曲を書く。2人による共作の起点がまさにこの1曲だった。

バラエティの一企画でありながら、2人のアーティスト性が最初に可視化された瞬間。

音楽の才能を“番組の中で育ててもらった”からこそ生まれた、一歩目の証明だった。

この一歩が、“KinKi Kidsらしさ”を生んでいく

『好きになってく 愛してく』を境に、KinKi Kidsの音楽には少しずつ“自分たちの言葉と音”が加わっていくようになる。翌2001年には、今も多くのファンに支持される代表曲『愛のかたまり』(作詞:堂本剛・作曲:堂本光一)がリリースされる。

“自分たちで曲を作って届ける”という経験が、後の創作スタイルにも確かにつながっている。あの1曲がなければ、『愛のかたまり』も、生まれ方は違っていたかもしれない。

“教わる側”から“届ける側”へ 番組が見守った成長の記録

KinKi Kidsの2人にとって、『LOVE LOVE あいしてる』は単なる出演番組ではなかった。

吉田拓郎というレジェンドと同じ空間を過ごし、音楽の手触りを体で学んできた。その学びの集大成として、「じゃあ、曲を作ってみよう」と与えられた課題。

それが、堂本剛の詞と堂本光一の曲で構成された、まぎれもないKinKi Kidsの“作品”だった。

テレビ番組の中で、アーティストとしての扉が静かに開いた。

その事実こそが、この楽曲を“ただの主題歌”にとどまらせなかった最大の理由だ。

今なおこの曲が語られる理由

25年経った今でも、『好きになってく 愛してく』はDOMOTOへと名前を変えたKinKi Kidsのキャリアの中でも特別な曲として語られることが多い。

それはヒットしたからでも、企画が話題だったからでもない。

「2人の音楽の原点がここにある」と、ファンも本人たちも感じているからだ。

与えられた役割をこなすアイドルではなく、自分たちで考え、悩み、作って届ける存在へ。

その変化が、たしかに始まった証がこの曲だった。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。