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30年前、日本中がぶん殴られた“異形のラブソング” バブル後の現実に鋭い熱を持ち込んだ“本物のバンド”

  • 2025.7.30

「イントロ一発で空気が変わる曲、覚えてる?」

1995年、日本は“希望”よりも“現実”に敏感な時代を迎えていた。

バブルの幻想は完全に過去のものとなり、テレビや街の空気には、どこか乾いた冷たさが漂っていた。

そんな空気の中、“熱”を持ち込んだバンドがいた。ただ明るいだけの熱ではない。黒くて鋭くて、美しさすら痛みを伴うような音。

LUNA SEA『DESIRE』(作詞・作曲:LUNA SEA)――1995年11月13日リリース。

この曲のイントロが鳴った瞬間、何かが切り替わる。

真矢のドラムが鋭く叩きつけられ、Jのベースがうねるように唸りはじめる。音の“物語”が、そこで始まる。SUGIZOのリードは、激情を研ぎ澄ませたような旋律で空間を切り裂き、INORANはサウンドの骨格を丁寧に支える。

そしてRYUICHIのボーカルが乗った瞬間、衝動と哀しみが絡み合ったような“異形のラブソング”が完成する。

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1999年 LUNA SEAボーカルのRYUICHI (C)SANKEI

“凶暴な美”がテレビに流れた、あの衝撃

1995年当時、すでにLUNA SEAはシングル『ROSIER』『TRUE BLUE』で確かな存在感を放ち、アルバム『MOTHER』のヒットによって、ビジュアル系の枠を超えた“本物のバンド”として認識され始めていた。だが、『DESIRE』はその流れを一段深い場所に引きずり込んだ。

音で殴ってくるような曲なのに、どこか美しい。

ラブソングのフォーマットを借りながらも、全編を貫くのは不穏で緊張感に満ちたムード。照明が眩しくても、衣装が派手でも、この曲が流れ出すとスタジオの空気だけが異常に重くなったように感じた。

それでも『DESIRE』は、リスナーの奥にある感情を確実に掴んで離さなかった。

「これは何だ?」という戸惑いと、「やばいくらい聴いてしまう」という吸引力。

そのギャップこそが、この曲の最大の衝撃だった。

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1999年、東京・有明で行った伝説の10万人ライブ (C)SANKEI

バンドが“ひとつの生き物”になった瞬間

『DESIRE』が強烈なのは、5人それぞれの演奏が、完璧に“自分の役割”を果たしている点だ。

真矢のドラムは、まるで音の檻を破りながらも、ギリギリで統率された衝動のように、フレーズを動き回る。

Jのベースラインは、イントロとAメロでとくに存在感を放ち、うねるような低音が、曲全体に重力を与えている。

SUGIZOのリードギターは美しい。だがそれは単なる旋律ではなく、感情をえぐるような鋭さをもっている。

そしてINORANのギターが空間を整え、バンドの温度感を一定に保っていることが、全体の完成度を底上げしている。

RYUICHIのボーカルは情熱的だ。叫びのようでいて、乱れない。激情と理性がせめぎ合う、張りつめた声。

この5人が“それぞれの武器”をぶつけ合うのではなく、ひとつの塊としてぶつかってくる瞬間が、『DESIRE』という楽曲には詰まっている。

“闇が主役”だった時代に生まれた、異端のラブソング

1995年の音楽シーンには、“癒し”や“共感”が流行りつつあった。

しかしLUNA SEAは、その流れに背を向けた。『DESIRE』は、誰にも媚びず、ただ自分たちの“音の衝動”を信じていた。それが結果的に、リスナーの“本音”を突き刺した。

わかりやすくもなければ、甘くもない。けれど耳を離れない。そんな曲だった。

そして今、30年が経った今でも――この曲を耳にすると、心のどこかが“ざわつく”感覚が蘇る。

それはきっと、あの5人が本気でぶつけた感情が、まだ音に焼きついているからだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。