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35年前、日本中が胸を焦がした“夏バラードの極致” バブル崩壊の空虚に寄り添った“痛みのラブソング”

  • 2025.7.22

1990年、音楽がまだ「ラジカセ」とともにあった時代。レンタルビデオや週刊誌が情報源の中心だった。

そんな35年前の夏、日本中のラジオや海辺、深夜の車内でそっと流れていた1曲がある。そこには、「恋の余韻」だけで、胸が締め付けられるような夏があった。

サザンオールスターズ『真夏の果実』(作詞・作曲:桑田佳祐)ーー1990年7月25日リリース。

この曲が、なぜ今も多くの人の胸に夏を巡らせるのか振り返ってみたい。

“恋”というより、“痛み”に近いーーサザン流・夏バラードの極致

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(C)SANKEI

『真夏の果実』は、サザンオールスターズにとって28枚目のシングル。ボーカルの桑田佳祐がメガホンをとった映画『稲村ジェーン』の主題歌として書き下ろされた。

波音のように静かに始まり、やがて胸を締めつけるような旋律へと続くこの曲。イントロのメロディが流れてくるだけで、私たちを夕焼けに染まる海辺へといざなってくれる。

サザンといえば、『勝手にシンドバッド』や『チャコの海岸物語』『C調言葉に御用心』など、巧みな言葉遊びとエネルギッシュなサウンド 奏でたかと思えば、『いとしのエリー』や『Ya Ya(あの時代を忘れない)』など、美しいバラードも得意とし、その変幻自在さが魅力のひとつ。(すべて作詞・作曲:桑田佳祐)

中でも『真夏の果実』は“大人の恋の終わり”をまっすぐに描いた作品として、映画の枠を飛び越え、やがて時代をも飛び越えていくこととなる。

夏が美しいのは、決して永遠ではないからーーそう語るようなメロディと歌声が、聴く人それぞれの「ひと夏の記憶」と静かにリンクしていった。

なぜこの曲は、30年以上経っても色褪せないのか?

『真夏の果実』の持つ魅力を一言で表せば、それは「感情の余白」だ。

言葉が直接的ではないぶん、聴き手が自分の想いを自由に重ねられる。

“泣ける曲”ではなく、“泣いてしまった時にそっと寄り添う曲”ーーそんな立ち位置で、リスナーの人生に静かに溶け込んできた。

また、この曲のリリースが1990年であったことも、大きな意味を持っている。

当時の日本はバブルの崩壊とともに、世の中は派手さの中にどこか空虚さを感じ始めていた時代だった。そんな時代に、サザンが「静かな別れ」を描いたことは、エンタメのトーンを変えるほどのインパクトを持っていた。

それまで「夏=はしゃぐ」だった価値観に、「夏=終わりを感じる時間」という美意識を提示したのが、『真夏の果実』だったとも言える。

数字では語れない、けれど誰の記憶にも残る名曲

この曲は、サザンとしても代表的なバラードとして今なお語り継がれ、後年さまざまなアーティストによってカバーされるなど、「楽曲の完成度」と「感情の普遍性」を兼ね備えた作品として、J-POP史に確かな足跡を残している。

カラオケでこの曲を歌えば、静まり返った空間に切なさが満ちていく。ドライブのBGMとして流せば、助手席にいたあの人の記憶がふと蘇るーーそんな曲はそう多くない。

“サザンの夏”は、私たちの“終わらない夏”

『真夏の果実』は、ある意味で“誰のものでもない恋”の歌だ。

登場人物の具体性を排したことで、聴く人の数だけ違うストーリーが生まれる

海辺で流した涙、窓越しに見た夜空、最後に交わした言葉。

「もう会えないとわかっているけど、どこかで再会を夢見てしまう」ーーその儚さを、桑田佳祐は静かに紡いだ

35年経った今も、そしてきっとこの先も、

『真夏の果実』は、私たちが“本当の夏”を思い出すたびに、どこからともなく聞こえてくるのだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。