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19年前、日本中を魅了した“強烈なカメレオン俳優” 自分を消してキャラに命を灯す“憑依型のカリスマ”

  • 2025.6.4

純朴な少年が見せた、底知れぬ可能性

松山ケンイチが初めて注目を集めたのは、2003年のデビュー映画『アカルイミライ』や2004年の『ウイニング・パス』だったが、本格的なブレイクは2006年の映画『デスノート』における“L”役だろう。奇怪な姿勢、無機質な声色、そして無垢でありながら狂気をはらんだ眼差し。彼の異質なオーラに、多くの視聴者が釘付けになった。

一見素朴な青年に見えるが、スクリーンの中ではまるで別人に変貌する。“役に寄せる”のではなく、“役に憑依する”。そんな演技スタイルを見せつけたのが、若干21歳の彼だった。

日本中を魅了した“強烈なカメレオン俳優”

以降の松山は、まさに八面六臂の活躍を見せた。『人のセックスを笑うな』での無気力な大学生、『デトロイト・メタル・シティ』でのメイクと人格が正反対な二面性、そして『GANTZ』や『ノルウェイの森』では異なるタイプの青年像を見事に演じ分けていった。

どんなジャンルでも、どんな役柄でも、自分の“色”を感じさせない。それでいて、観客の記憶には強烈な印象を残す。“カメレオン俳優”という言葉が今ほど一般化する前から、彼はその実力を静かに証明し続けていた。

俳優という“職人”としての成熟

2010年代以降は、演技の幅に深みが増していく。『聖の青春』では病を抱えた天才棋士を体重増加までして演じ切り、大河ドラマ『平清盛』(NHK)では“泥臭く”戦い抜く人物像を丁寧に描いた。

スター性や華やかさとは対極にあるが、松山ケンイチの芝居には、常に“人間らしさ”が宿っていた。それは観る者の心にスッと入り込み、どんな時代の空気とも共鳴する、不思議な存在感だった。

自分を消してキャラに命を灯す“憑依型のカリスマ”

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(C)SANKEI

松山ケンイチは、かつて自身の演技論について、“役に入ると自分が消える”と語っていた。それは、自分自身を前面に押し出すのではなく、物語の中で“生きる”ことに徹するという姿勢の表れだろう。

あの一風変わった“L”から19年。今や彼は、日本映画界を代表する実力派俳優のひとりとなった。だが、その根底にあるのは、当初から変わらぬ“無垢な眼差し”と“なりきること”への真摯な覚悟なのだ。


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