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「かぐや姫が虫」がサブカル層に刺さる理由「10万人」が鍵「水曜どうでそうTV」T木考察!

  • 2026.11.3
cocreco『月虫の姫ぎみ』より

絵本らしからぬ絵本ながら、「第17回 ようちえん絵本大賞」(一般財団法人 全日本私立幼稚園幼児教育研究機構選定)受賞、さらに2026年「えほん50」(公益社団法人全国学校図書館協議会絵本委員会選定)への選定、「第31回 日本絵本賞」(主催:公益社団法人全国学校図書館協議会)の最終候補にもなった『月虫の姫ぎみ』。

伝説のバラエティ『水曜どうでしょう』のディレクターたちと関連企画やイベント、YouTubeチャンネル『水曜どうでそうTV』を運営する玉木青さんも、この絵本に魅了された一人。サブカルチャーの視点から、その魅力をうかがいました!

〈『月虫の姫ぎみ』簡単なあらすじ〉

地球に落っこちた月虫のたまごは人知れず孵化し、幼虫はヒトの赤ん坊に化け、ヒトに育ててもらう。虫である赤ん坊はどんどん成長し、やがて美しい姫ぎみとなって多くのヒトから結婚を申し込まれるが、見向きもしない。

ついにある夜、姫は糸をはいてまゆを作り羽化をはじめる……。

cocreco『月虫の姫ぎみ』文:富安陽子 絵:五十嵐大介

“美しい”って何だろう…

──まずは『月虫の姫ぎみ』を読まれた印象を教えていただけますでしょうか?

玉木:すごく、困惑を持って読んだ一冊でした。“美しい”って何だろう、誰のために“美しい”必要があるのだろう、と。五十嵐大介さんが描く姫ぎみは綺麗なんですけど、その正体である虫って、基本的には“気持ち悪い”とも言われる存在じゃないですか。読んだ人に「こう思ってもらいたい」という押しつけがない。この一貫して「読者(=かぐや姫が接する翁や貴公子たち)」に対して「しらんかお」をしているドライさが印象的でした。

cocreco『月虫の姫ぎみ』より

玉木:一通り読んでみると、今度は表紙の姫ぎみの表情が何を意味しているんだろう、と考えてしまった。しかも、帯がかかっている状態だと無表情なんだけど、外すと笑った顔が出てくる。表の顔は、どう見ても人に好かれようとしている顔じゃないんですよね。

かぐや姫って美の象徴でもあると思いますけど、そこに「他人」がいない、あるいは利用して生き延びるためだけに「他人」がいる……、となると“美しい”って誰のためにあるんだろう? とか、いろいろ考えてしまって。だって、かぐや姫がずっと人間に対して無関心なんです。おばあさんなんか出てきもしない。「虫だもの」の一点張りで。ただただ、関係性を拒否した美しさが漂っている。

cocreco『月虫の姫ぎみ』表紙左:帯あり 右:帯なし

──たしかに、いろいろ困惑はするけど、最終的には美しい後味みたいなものが残る不思議な一冊ですよね。

玉木:こういう突き放された魅力って、言葉と絵を組み合わせた絵本だからこそ生まれるものだと思います。実を言うとわたしは大人になってから絵本ってほとんど読んでいなかったんですけど、これは「子どものもの」という視点の外からでも不思議な体験ができる一冊だなと思いました。

サブカルチャー視点から見た『月虫の姫ぎみ』

──玉木さんは伝説のバラエティ番組『水曜どうでしょう』のディレクターさんと協働するなど、サブカルという分野とも親和性の高い方です。その玉木さんがこの絵本を面白いと思ってくださった理由を、ぜひ深掘りさせてもらえればと思っています。

玉木:わたしは学生時代にサークル活動で演劇をやっていて、さまざまな企画イベントをおこなうようになり、その流れで『水曜どうでしょう』のディレクターさんたちと知り合って、さまざまな関連動画コンテンツを作ったりイベントをおこなったりしています。

3年ほど前からは、『ほぼ日』の乗組員として動画コンテンツも作るように。『水曜どうでしょう』や『ほぼ日』が「サブカル」なんだとしたら、多少なりともそうしたことに関わる仕事を続けています。

cocreco玉木さん運営の『水曜どうでそうTV』

──『月虫の姫ぎみ』は、サブカルファンたちにも刺さる絵本だと思われますか? そもそも「サブカルチャー」とはどういうものなのでしょうか。

玉木:たしかに、サブカルチャーって結局いったいなんなんでしょう。

文化的な側面や歴史についてはあかるくないのですが、メインカルチャーと言われるものは、大量の人に支持されることで成り立っています。その一方でメインにないカルチャーは、一人の人がどれだけ濃く支えるか、で成り立っていると思うんですね。メインカルチャーコンテンツが100万人によって100万回再生されるものだとしたら、サブカルコンテンツは10万人が10回再生するもの、とも言える。

つまり、一人の人の心に深く染み込んでいるということ。これってすごく豊かなことであり、わたしは、そういう10万人が深く愛するコンテンツがたくさんある社会ほど、豊かな社会であるとも考えています。

──たしかに、メインカルチャーだけでは社会として何か寂しいものを感じますよね。

玉木:伝説のバラエティと言われて長く支持されている『水曜どうでしょう』も、実はレギュラー放送されたのはわずか6年なんです。だけど終了した後もずっと支えてくれる人たちがいて、それによって新たなファンも増え続けている。これがちょっと他の人気番組とは違うと感じています。

『ほぼ日』を創刊した糸井重里さんも、こうした「コンテンツのサイズ感」についてはよく話されています。仮に『月虫の姫ぎみ』が万人から支持される王道な一冊ではなかったとしても、わたしのように繰り返し読み返す人がたくさんいれば、「メインカルチャー」とはちがった広がりを持つ可能性があるんじゃないでしょうか。そもそも、絵本というものは、「何度も読む」ことが前提の創作物だと思いますし。

100万人でも1000人でもない、10万人が支持するコンテンツ

──ちなみに10万人が10回と言わず、1000人が一人1000回見たり読んだりするようなコンテンツはどうでしょう? それも、玉木さんの考えるサブカルチャーとなりますか?

玉木:カルト的、あるいはマニアックなものもわたしはとっても好きなのですが、「作り続ける」という観点で言えば、すこし不健全かもしれませんね。1000人規模のファンに支えられているコンテンツは、作り手が1000人のうち一人も逃がさないように、顔色をうかがってすがるようになる。そうなると今いる1000人のためだけに作られるようになり、作り手のなかに本来あったはずの動機や、遊び心、挑戦がなくなって「作り続ける」ことがむずかしくなる。

10万人の支持者がいるコンテンツが挑戦したり、変化したりすると、1万人の支持を失うかもしれません。でも同時に、新たな2万人のファンが生まれたりする。こうした動きは「1000人に支えられているコンテンツ」では起きにくいものです。「100万人向け」ではないサブカルと言われるものこそ、実はそうした新陳代謝がとても大事なのかもしれません。

また、お客さん側の視点としても、「わたしたち1000人で支えなきゃ。どんなに生活が大変でも“推し”続けなきゃ」となると、それはたがいにとって不幸です。『水曜どうでしょう』ディレクターの嬉野さんも、「長く付き合ってほしい。そのかわり、いつでも出入り自由」とおっしゃいます。作り手と受け手の両方にとって負担のない在り方を保つのは大切なことだと思います。

『月虫の姫ぎみ』も奇妙といえば奇妙ですから、従来の『竹取物語』を知る人には気に入らないと思う人もいるかもしれません。その一方で、従来の『竹取物語』に納得していなかった人が「虫だったんだ! なら納得」となるかもしれないし、あるいは『竹取物語』をまったく知らない子どもがシンプルに「面白い!」と大好きになるかもしれない。古典を翻案し、解釈して、新しい物語をつくる愉快さは、そういうところにあると思います。

cocreco『月虫の姫ぎみ』より

さまざまな考察ができる魅力

──それが、さまざまな賞からも評価された理由だったと考えられますか?

玉木:五十嵐大介さんの絵と富安陽子さんの文という、“かけ合わせの妙”みたいなものが大きくあったのではないかと思います。絵本らしからぬ絵といい、虫設定といい、一見“奇妙”ずくめのように見えて、この絵本はどこか安心して惹かれるものがあります。

わたしは論評できるほどの知識を持ちませんが、それは、児童文学作家の富安さんが文を手がけているからだと思いました。その安心感が、物語も絵もただ“奇妙”で終わらせない説得力につながっています。『月虫の姫ぎみ』が、たくさんの人を惹きつける入り口を持つ絵本になったのは、この微妙なバランスの絵と文の力だと思います。

cocreco『月虫の姫ぎみ』より

──たしかに、この絵本は人によってさまざまな惹かれ方をすると思います。SF的にも読めるし、はたまた民俗学的にも読めそうだし……。

玉木:自戒を込めて、わたしも「しゃらくさい考察」をしてしまいがちなんですが、とくに最近の考察文化がサブカルを支えていることは事実で、この絵本は、自身の体験に合わせてさまざまな考察的読み方ができる一冊だとも思います。

SF好きなら「“かぐや姫=宇宙人”説は考えたことがあったが、虫はなかった!」と斬新に感じるかもしれない。はたまた思春期に自分をこじらせた経験がある人は、「これは思春期の自分勝手な閉塞感を比喩的に描いている」と思うかもしれないし、自分の感情をおさえて「生き延びるために」親やパートナーに合わせているというような人は、「周囲から解放されて自分らしく生きる物語だ」ととらえるかもしれません。

人によってはフェミニズムやルッキズムの視点で読み解けるだろうし、『竹取物語』を知らない海外の人が読んだら、また全く違う見方があることでしょう。読んだ人の経験の数だけ「この奇妙な物語が言わんとしていることはコレに違いない!」という考察が生まれる。これは子どもや、子を持つ親だけでなく、サブカル好きの大人にも受ける要素だと思います。もちろん「考察」という言語化から離れて、素朴に色彩に感動したり、言葉にできない情感を受け取ったり、ということができるのも絵本の持つパワーですよね。

第1候補にはならないけど第3候補になる絵本

──つまり『月虫の姫ぎみ』はこの先、長く10万人が支持しつづけてくれる一冊になり得る、ということでしょうか?

玉木:それは何とも言えません。そもそも絵本は「親子何代も同じものを読む」というメディアで、「殿堂入り」しているような作品がたくさんある分野だと思います。長い時間をかけて愛され、不動の地位を獲得していく。外野から見ていても、その存在は強敵で、どんな作品が一定の支持を長く集めるのかは、わたしには判断つきかねるところです。

「人が最初に所有する本は、たいてい誰かからもらったものだ」ということにあるとき気づいたのですが、「衣食住」をのぞけば、「最初にふれるものが、“自分で買ったものではない”」というのは、当たり前のようでいて本の特質かもしれないですよね。

とくに、絵本は、誰かが誰かに贈ることが多い。たとえばぼくが甥っ子や姪っ子に絵本を贈るとして、『月虫の姫ぎみ』は、最初にあげる一冊には選ばないと思うんですよ。だけど3冊プレゼントするなら、その中の1冊に入れようかなと思うかもしれない。

ある意味では、この「メインじゃなさ」がこの絵本の強みかもしれませんね。『はらぺこあおむし』と並べて一緒にあげたい一冊ということです。どちらの「虫」がその子に刺さるかは、誰にもわからない。そんなふうに第3候補ぐらいになる絵本がたくさんある社会だったらいいな、というのがサブカル好きな一人の大人として思うところです。

玉木青

1991年生まれ、京都府出身。大学時代に学生劇団を旗揚げ。卒業後は出版社勤務を経て、『水曜どうでしょう』ディレクターとのイベント開催や、コンテンツ配信などを手がける。また2023年より株式会社ほぼ日の乗組員として、映像コンテンツの制作も担当している。

『月虫の姫ぎみ』

cocreco文:富安陽子 絵:五十嵐大介講談社刊 定価:本体1700円(税別)

『シノダ!』シリーズの富安陽子が文を、『海獣の子供』の五十嵐大介が絵を描く、新感覚おとぎ話。奇跡のタッグが生んだ妖しくも甘美な変身譚!

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