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『チュノ』はなぜ“路地裏の時代劇”だったのか 三人衆が最後に見つけた自由

  • 2026.10.29

テレビ東京系列の「韓流プレミア枠」で放送中のドラマ『チュノ~推奴~』(2010年)。前編では、『チュノ~推奴~』(2010年)に登場する推奴師三人衆と、史実における「推奴」の違いを見てきた。※この記事には『チュノ~推奴~』の物語に関するネタバレが含まれています。

デギル、チェ将軍、ワンソンが馬を駆り、全国を飛び回る姿はドラマ的なアレンジである。

それでも『チュノ』が強いリアリティを持つ理由は、物語の視線が王宮ではなく、身分社会の底辺で生きる人々へ向けられているからだ。

王宮ではなく「路地裏」を描いた時代劇

『チュノ』の特徴は、王や重臣たちだけを描かないことにある。

もちろん政治闘争は物語の重要な柱だ。しかし、その下で翻弄される人々こそ、このドラマの本当の主人公である。

奴婢。
推奴師。
商人。
旅芸人。
盗賊。

身分社会の底辺で生きる者たちが、泥にまみれながら時代の矛盾と向き合っていく。その意味で『チュノ』は、「宮中の時代劇」ではなく、「路地裏の時代劇」と呼ぶほうがしっくりくる作品である。

細部の時代描写にも、その姿勢は表れている。

作中では朝鮮時代に使われていた古い語彙が取り入れられ、韓国放送時には現代人に意味が伝わりにくい表現に字幕解説も加えられた。

さらに、両班を狙う奴婢たちの秘密組織も登場する。

一見すれば完全なフィクションに思えるが、これは後世の記録に登場する「殺主契」をモチーフにした設定である。殺主契そのものが記録に現れるのは、ドラマの舞台より後の時代ではある。

(写真=2010 KBS All rights reserved)

それでも、奴婢たちが主人に反抗しようとする社会のひずみを描くうえで、史実の要素を巧みに取り込んでいる。

デギルが本当に欲しかったもの

そんな世界で、デギルは人を追う仕事をしていた。逃げた奴婢を捕まえ、報酬を得る。表面だけを見れば、身分制度を支える側に立つ男である。

しかし、彼が稼いだ金の使い道には、別の顔が隠されていた。デギルは密かに、仲間たちが暮らすための家と農地を用意していたのである。ここが『チュノ』という物語を象徴する部分でもある。

デギル自身は、両班としての身分も家も失った。愛するオンニョンとも結ばれることができなかった。そして最終的には、自らの命を犠牲にして愛する者たちを逃がす。

それでも、彼が最後まで手放さなかった夢は、大きな権力でも富でもなかった。仲間たちが、自分の土地を持って暮らすこと。
それだけだった。

最後に残った「自分の土地」

物語の終盤、デギルは追手を食い止めるために戦い、最期を迎える。一方、生き残ったチェ将軍とワンソンは、デギルが用意していた土地へとたどり着く。

それまでの彼らは、誰かを追い続ける人生を送っていた。人を捕まえ、その報酬で生きる。決して一つの場所に根を下ろさない暮らしである。

しかし最後に2人が選ぶのは、馬を降り、自分の土地を耕して生きる道だ。追う者でもなく、追われる者でもない。誰かの所有物でもない。自分の手で土地を耕し、自分の人生を生きる

それは奴婢制度という過酷な社会を描いてきた『チュノ』だからこそ、強い意味を持つ結末である。

疾風のように朝鮮を駆け抜けた三人衆。その旅の果てに残ったものは、金でも名誉でもなかった。「自分の土地で、自分の人生を生きること」。それこそが、彼らが最後にたどり着いた自由だったのである。

文=森下 薫


 

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