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10歳の冬に羽が生えて鳥人間になった少女の苦しみ。島本理生が描く、性暴力、虐待、宗教2世問題などのテーマを詰め込んだ短編集【書評】

  • 2026.10.24
グレー・ラブストーリーズ 島本理生 / 筑摩書房
グレー・ラブストーリーズ 島本理生 / 筑摩書房

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愛情がもたらす歪な影は、真っ黒でも真っ白でもない。ぱっきりときれいに分かれていないからこそ、世界は複雑で、生きるのは困難で、人々はグラデーションの中でもがき続ける。

島本理生氏が紡ぐ短編集『グレー・ラブストーリーズ』(筑摩書房)は、川端賞候補作となった初期作品「Birthday」を中心に組み立てられている。こちらの短編は、デビューして間もない頃、文芸誌『群像』に掲載されて以来、どこにも収録されていなかった。「読み返してみてあらためて、自分の小説の核になる祈りを込めた話だと感じました」と著者は語る。また、全作品を通して、著者がデビュー直後から追い続けてきた不変のテーマが軸に据えられている。家族の不協和音を描いた「捨て子たちの午後」、記憶が時折抜け落ちる妹の過去に迫る「壊れた妹のためのトリック」など、全6章の短編とあとがきが収録された本書は、読む者の心に鮮烈な痕を残す。

中でも印象深かったのは、第5章で描かれる「鳥人間だった私」だ。主人公の市子は、10歳の冬に鳥人間になった。鳥人間とは、文字通り肌に羽が生え、鳥のような外見になる症例である。顔ではなく身体を中心に羽が生えるため、服を脱がなければ周囲には悟られにくい。「心的な病気」とされる鳥人間について、著者は次のように綴る。

引用----

“虐待を受けている子供が自分の中に別の人格を生み出そうとしたとき、なんらかの要因によって肉体ごと乖離してしまうのが鳥人間だという。”

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苛烈な虐待の痛みに耐えきれないと判断すると、自分とは別の人格が生まれることがある。いわゆる解離性同一性障害(DID)、一昔前は多重人格と呼ばれていた。強いトラウマが生み出した交代人格は、個の性格とジェンダーを持っており、それぞれが独立した存在として一つの身体に混在する。本書で描かれる「鳥人間」は、人格という目に見えないものではなく、肉体が直接的に乖離を起こした症例であり、それゆえに周囲からの視線も含め、あらゆる意味で“見えやすい”。

海水浴やセックスなど、他人に肌を晒す機会は存外多い。たとえば公衆浴場などでも、身体に羽が生えていれば、好奇の目に晒されるだろう。人格の交代は、人によりけりだが隠せる場合もある。統率者がいるケースなら、混乱を避けるためむしろ周囲に隠す(主人格のフリをする)ことが多い。だが、目に見えるものは隠しようがない。傷を抱えた本人さえも「なかったこと」にしがちなものを、敢えて可視化する。著者が選んだこの手法に、思わず舌を巻いた。

市子は、飲み会の場で吉田さんという男性に出会う。市子の2歳下で、肌が白い吉田さんは、物静かで温厚な話し方をする。市子が鳥人間だと知ったあとも、吉田さんは変わらなかった。それでも、市子と吉田さんの間で交わされる会話は、徐々に重みを増していく。そんな中で、市子は折に触れてある衝動に襲われる。

引用----

“なにもかも今日でおしまいになるように、こっぱみじんにしてやりたい。”

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どうせいつか壊れる。強いトラウマを持つ一部の人の中には、そういう恐れが存在する。痛みは時に呪いとなり、影は鎖へと形を変え、傷をつけた相手ではなく、傷つけられた当人をさらに縛る。市子は、常に恐れている。傷ついていないフリをして、諦めたフリをして、本当は恐れている。

本章のタイトルが過去形だったことには、読みはじめる前から気づいていた。それでも、結末を目にした時、あふれてくるものを抑えきれなかった。市子が鳥人間になった理由、「なにもなかった」という言葉の裏側に隠された悲鳴、羽を生やしてまで守ろうとしたもの。そのすべてが残酷で、切実で、私はその一端を知っている。私の身体に、羽は生えていない。でも、私の中には現在、7人の“わたし”がいる。本作の発表まで「10年近く寝かせていた」と、著者はあとがきで振り返る。その年月の重みに、深い信頼を覚えた。

引用----

“世界は、毒だらけ。ささいな利己が無数の人を殺す。”

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多種多様な「毒」を解剖するように描く。同時に、明日を、希望を、人間を、自分を、諦めきれない人々を描く。愛情が与えるもの、奪うもの。消え去った憎しみと、残り続ける悲しみ。それらが溶け合い、絡まり合った物語は、独立した短編でありながら、ある流れを生み出す。市子が迎えた結末から、のちに続く最終章「エスケープ」までの流れは、もはや祈りと言っていい。

歪に落ちるのは一瞬で、ささやかな悪意は呆気なく暴走する。その寸前に自分はいたのだと、本書を読んでハッとする人は決して少なくないだろう。毒に完全に蝕まれる前に、本書に出会えた私は幸運だった。願わくは、「忘れてはいけないこと」を忘れそうになっている人に、本書が届いてほしい。私は、思い出した。あの光を思い出した。もう、忘れない。毒だらけの世界で、グラデーションの色彩をまとい、絶え間なく破裂し続ける光。それらを奪う道だけは、決して選ばないと私は此処に誓う。

文=碧月はる

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