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「昨日の、単語帳?」定時で帰る後輩を呼び止めた翌日、給湯室で私が聞いたこと

  • 2026.10.4
ハウコレ

付箋の一番上にあったのは、新人の頃の私も何度も確認しに行った締め日でした。翌日の給湯室で口にしたのは、言いかけた言葉とは別のものです。

定時の合図と同時に、斜め向かいの椅子が引かれました。周りの席では、まだ電話の声とキーボードの音が続いています。その背中を今日こそ呼び止めようと、私も椅子から立ち上がりました。

「残っている人」が私の基準でした

後輩は入社2年目で、同じ営業事務の課にいます。席は斜め向かいで、電話の声も独り言も、お互いに聞こえる距離でした。彼女は定時になると、パソコンを閉じて鞄を肩にかけます。締めの週でも、課長が「今週きついね」とこぼした日でも、それは変わりませんでした。

残った私たちは見積の差し戻しを分け合い、退勤の打刻を1時間ずつ遅らせていきます。誰かが「若い子は割り切ってるよね」と笑い、同じ調子で返しました。そのうち、後輩の帰る背中を見送るたびに、頭の中で採点をしていることに気づきました。熱意が薄い。人に任せる前提でいる。そういう項目に、勝手に丸をつけていたのです。

2年目の頃の自分は、残ることでしか安心できませんでした。見積の番号を取り違えて課長に頭を下げた日も、遅くまで残って、それで帳消しになった気でいたのを覚えています。

「私の分は終わっています」

締めの週の、定時の少し前に、後輩が鞄を引き寄せるのが見えました。差し戻しの山はまだ机の上にあります。声に棘が混じるのを、止められませんでした。

「これ、残りどうするの?」

「私の分は終わっています。共有欄にも入れてあります」

共有欄を開くと、彼女の担当分は全部に処理済みの印がついていました。差し戻しの理由も、1件ずつ短く書き添えてあります。抜けを探すように上から下まで見て、見つからないまま画面を閉じました。

それでも、納得はできませんでした。自分の分が終わっていても、周りが残っているなら手伝うものではないのか。そう思う一方で、彼女に手伝ってと言った覚えは、1度もありませんでした。言わずに残っている側が、勝手に期待だけをしていたのです。

「お先に失礼します」

その背中を見送りながら、次に同じ場面が来たら、今度は聞こうと決めていました。仕事ぶりではなく、姿勢の話として。

「あのさ、やる気」まで出ました

数日後、後輩が鞄を肩にかけた瞬間に、笑顔を作って席を立ちました。

「ちょっといい?」

「はい」

振り返った後輩は、鞄の口を閉めきらないまま、こちらに体を向けました。言おうとしていたのは「やる気ある?」でした。冗談の顔で言えば、角が立たないと思っていたのです。

「あのさ、やる気」

そこまで出たところで、視線が下に落ちました。鞄の口から、リング式の単語帳がのぞいています。その横には、黄色い付箋の束が、輪ゴムで留められていました。一番上の1枚には、丸い字で「請求の締めは20日」と書いてあります。新人の頃、何度も確認しに行った締め日でした。

単語帳のリングは使い込まれて、金具の色が薄くなっています。付箋の束は、指で押さえないと広がるほどの厚みでした。見えたのは、それだけです。それでも、言いかけた言葉と目の前の束とを、同じ場所に置くことができませんでした。続きの代わりに出たのは、まるで別の言葉です。

「なんでもない。お疲れさま」

「お疲れさまです」

後輩は鞄の口を閉めて、フロアを出ていきました。自分の席に戻り、開いたままの見積画面を見ていました。

次の日、休憩で給湯室に並んだとき、迷った末に聞きました。

「昨日の、単語帳?」

「はい。仕事の用語です。覚えきれなくて」

それだけでした。彼女は自分から続けようとはせず、私も深くは聞きませんでした。ただ、締め日の付箋が束の一番上にあった理由は、なんとなく分かりました。あの日、彼女が請求の締め日の確認で声をかけてきたとき、画面から目を離さずに「20日」とだけ返したからです。彼女はそれを書きとめて、持ち帰っていた。短く答えた側の記憶が、こんなに薄いことの方に、居心地の悪さを覚えました。

残った時間の長さを、ずっと熱意の目盛りにしていました。共有欄で終わっていると確かめたあとでさえ、目盛りの方を信じていたのです。会社に残ることで安心していた自分と、別の時間を使って覚えていた彼女。やり方が違うだけなのに、片方だけを努力と呼び、もう片方には名前すらつけていませんでした。

そして...

その週のうちに、共有フォルダにファイルを1つ増やしました。支店コードと締め日、差し戻しで多い理由をまとめた一覧です。ファイル名を伝えると、後輩は短くお礼を言って、それきりでした。

それからしばらくして、定時の前に後輩が席まで来ました。

「これ、明日でも大丈夫ですか?」

以前なら、みんな残っているのだから今日やればと、口に出さなくても思っていたはずです。

「うん、それなら明日で大丈夫だよ」

彼女が帰ったあと、自分の画面に並んだ仕事を見直しました。今日中でなくていいものを閉じていくと、残ったのは2件だけでした。その2件を片づけて、いつもより2本早い電車に乗りました。共有フォルダの一覧には、先週、彼女の追記が増えていました。

(30代女性・営業事務)

本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。

(ハウコレ編集部)

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