1. トップ
  2. スポーツ
  3. 200PS級の怪物を「扱いやすく」した!? ホンダ「NSR500」最終進化、ロッシ11勝を支えた2001年型の秘密

200PS級の怪物を「扱いやすく」した!? ホンダ「NSR500」最終進化、ロッシ11勝を支えた2001年型の秘密

  • 2026.10.1

2ストローク500ccの頂点を極めたホンダ「NSR500」。2000年にはパワーを追い求めた結果、扱いづらさという壁に直面する。その反省から生まれた2001年型が重視したのは、ピークパワーではなく「扱いやすさ」だった。バレンティーノ・ロッシが16戦11勝を挙げた、最終進化形の秘密に迫る。

TEXT/RIDERS CLUB

1980年代のWGP(ロードレース世界選手権)は、シーズンを重ねるごとに高速化していた。

当時、ホンダの主力マシンだった3気筒のNS500はすでに完成の域に達しつつあり、さらなるパワーを求めるには限界が見え始めていた。

そこでホンダが開発したのが、最高出力で有利となるV型4気筒エンジンを搭載した「NSR500」である。

1984年に登場した初代NSR500は、燃料タンクをエンジンの下、排気チャンバーをエンジンの上に配置するという、極めて大胆なレイアウトを採用していた。

常識にとらわれず、新しい技術へ挑み続けるホンダらしいマシンだったが、性能を安定して引き出すことは難しく、期待されたほどの結果を残すことはできなかった。

2001 HONDA NSR500
2001 HONDA NSR500

それでもエンジンは150PS近い出力を記録。当時としてはトップレベルのパワーを誇り、NSR500が秘める可能性を十分に示していた。

そして翌1985年、そのポテンシャルが一気に開花する。

車体性能を大幅に進化させたNSR500は、シーズンが始まると圧倒的な速さを発揮。全12戦中8勝を挙げ、フレディ・スペンサーが7勝、ランディ・マモラが1勝を記録した。

その結果、ホンダはライダーズタイトルとメーカータイトルの2冠を獲得。初代の苦戦からわずか1年で、NSR500は世界GPの頂点へ駆け上がったのである。

その後も1987年、1989年にタイトルを獲得するなど、NSR500は最高峰500ccクラスの中心的存在となっていく。

しかし、ホンダが追い求めたのは単純な最高出力の向上だけではなかった。

150PSを超える強烈なパワーを、どうすればライダーがコントロールできるのか。そして、そのパワーをどうすれば確実に速さへ変換できるのか。

2001 HONDA NSR500
ボア・ストローク54×54.5mmの水冷2ストロークV型4気筒499ccエンジン。以前は92年に登場した位相爆発システム、いわゆる“ビッグバン”と等間隔爆発に近い“スクリーマー”エンジンが存在したが、現在は全車スクリーマーを搭載する。ロッシはこのスクリーマーを完全に使いこなしていた。

NSR500の開発では、「パワー」と「扱いやすさ」の両立が大きなテーマとなっていった。

その取り組みが大きな成果となって表れたのが1994年だった。

新たなエースとなったミック・ドゥーハンとのコンビネーションによって、NSR500は全14戦中9勝を挙げてタイトルを獲得。

ここからNSR500の黄金時代が始まる。

1994年から1999年まで一度も王座を譲ることなく、最高峰クラスで6年連続のライダーズタイトルを獲得した。

なかでも圧巻だったのが1997年だ。

この年、NSR500は全15戦で勝利。ドゥーハンが12勝、アレックス・クリビーレが2勝、岡田忠之が1勝を挙げ、シーズン全戦をNSR500が制するという偉業を成し遂げた。

1984年の登場以来、基本形態を大きく変えることなく熟成を続けてきたNSR500。

しかし、その完成度が極限まで高まったからこそ、開発陣は新たな壁に直面することになる。

その象徴となったのが2000年型だった。

さらなる速さを求め、「もうちょっとピークパワーを……」とエンジン性能を追求した結果、NSR500はライダーにとって扱いづらいマシンになってしまった。

2001 HONDA NSR500
実にホイールベースの半分近くを占めるロングなスイングアームも剛性バランスの見直しが図られた。外観上の違いは、SHOWAのロゴの上の空間が埋められたことくらいだがトラクションは向上している。アルミ削り出しのステップホルダーの美しい仕上げにも注目したい。
2001 HONDA NSR500
伸び側/圧縮側の減衰力調整に加え、ガス圧の調整も可能なSHOWA製リヤショック。プリロードの調整は窒素ガスで圧力をかけることによって全長を伸ばすことが可能で、調整ダイヤルを手で回すことができる。

最高出力が高ければ、それだけで速く走れるわけではない。

スロットルを開けたときにどのようにパワーが立ち上がり、その力をライダーがどれだけ自在に扱えるのか。強大な2ストローク500ccでは、その過渡特性こそが実際の速さを大きく左右する。

2000年型NSR500は、そのバランスを崩してしまった。

開発の方向性を見失い、シーズン途中には1999年型をベースとした仕様へ戻すことを余儀なくされたのである。

だが、この苦い経験がNSR500最後の大きな進化につながった。

2001年型でホンダが目指したのは、再びピークパワーを追い求めることではない。

ライダーがスロットルを開けたとき、必要なパワーを必要なだけ引き出せること。強烈な最高出力を誇る500ccマシンでありながら、その力を意のままに操れること。

徹底して「扱いやすさ」を追求したのである。

そしてエンジンだけでなく、車体にも新しい考え方が盛り込まれた。

重要なテーマとなったのが、加速や減速によって起こる車体のピッチングだ。

2001 HONDA NSR500
ブレンボ製ワンピースキャリパーにカーボンローターの組み合わせは従来と変わらないが、昨年からキャリパーの取り付け方法に剛性に優れるラジアルフィットを採用する。インナーチューブの後ろにあるロッドはサスペンションのストロークを検知するセンサーである。
2001 HONDA NSR500
上側2気筒のシリンダー間隔が開いているのは1軸クランクを採用しているためで、上側2気筒の各右側に下側2気筒が存在する。フレームの剛性バランスを見直した結果、左右のフレームを繋ぐブリッジの場所も変更。

車体の動きをただ抑え込むのではなく、ライダーがコーナリングに利用できるようにする。そのためにフレームを見直し、マシンの姿勢変化を積極的に旋回へつなげる方向へと進化させた。

ブレーキングからコーナーへ進入し、向きを変え、立ち上がりでスロットルを開ける。

その一連の動きの中で、ライダーがマシンの姿勢をより自由にコントロールできるようにしたのだ。

2001年型NSR500を駆ったのが、バレンティーノ・ロッシだった。

前年に最高峰500ccクラスへステップアップしたロッシは、2年目となる2001年にその才能を爆発させる。

全16戦中11勝。

2001年型NSR500とロッシの組み合わせは圧倒的な強さを発揮し、最高峰クラスの世界タイトルを獲得した。

2001 HONDA NSR500
2001 HONDA NSR500

重要なのは、NSR500が単純に「最もパワフルなマシン」を目指した結果ではなかったことだ。

2000年にピークパワーを追い求め、その結果として扱いづらさに直面したからこそ、ホンダは「ライダーが使えるパワーとは何か」を改めて考えた。

どれだけ大きなパワーがあっても、それをライダーが引き出せなければ意味がない。

ピークの数字以上に過渡特性を磨き、車体の動きまでライダーの武器にする。

それこそが、長年にわたってNSR500を進化させ続けてきたホンダがたどり着いた答えだった。

そして2001年は、WGP500ccクラスにとってひとつの節目でもあった。

翌2002年から最高峰クラスはMotoGPへ移行し、4ストローク990ccマシンが主役となる新時代が始まる。

ホンダもV型5気筒エンジンを搭載したRC211Vを投入し、最高峰クラスは大きな転換期を迎えた。

1984年の登場から、パワーを求め、車体を磨き、時には失敗しながら進化を続けたNSR500。

その最終期にホンダがたどり着いたのは、意外にも「もっとパワーを」という答えではなかった。

極限のパワーを、いかにライダーが支配できるものにするか。

2001年型NSR500は、2ストローク500ccレーサーが到達したひとつの完成形であると同時に、その思想を次世代のMotoGPマシンへとつなぐ存在だったのである。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ