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運命の人と添い遂げた60年。 ドリー・パートンと夫カールの愛の歴史

  • 2026.9.1
Jason Kempin / Getty Images

2026年8月25日にこの世を去ったカントリーミュージック界のレジェンド、ドリー・パートンと、夫のカール・トーマス・ディーンは、2025年3月3日にカールが亡くなるまで、約59年間連れ添いました。もしこれを聞いても愛を信じられないとしたら、何なら信じられるというのでしょう!

ドリーとカールは素敵なラブストーリーを繰り広げましたが、ふたりが公の場で一緒にいる姿はほとんど目撃されておらず、現存する写真のほとんどはドリーの個人コレクションからしか入手できません(冗談抜きで、試しにゲッティイメージズで検索してみてください)。しかし、ご安心ください。私たちはすべての事実を明らかにすることを使命としていますので、早速、ドリー・パートンと夫カール・ディーンの愛の軌跡を詳しく見ていきましょう。

1964年6月

1965年に撮影されたドリーのポートレート。 Michael Ochs Archives / Getty Images

皆さん、今回のテーマはひと目ぼれですよ! ドリーとカールは、彼女が18歳、彼が21歳のとき、テネシー州ナッシュビルのコインランドリーの外で出会いました。そして、その日はドリーがナッシュビルに移ってきた日だったのです(彼女は歌手になるために、故郷のテネシー州セビアビルからナッシュビルに引っ越したのでした)。

1989年の『コスモポリタン』誌の特集記事によると、カールは軽トラックでそばを通りかかり、路上に立っているドリーを見つけて「大声で叫んだ」そう。ドリーは最初こそカールのデートの誘いを断ったものの、翌日は甥のベビーシッターをしていた伯母の家に彼を招いたのでした。

「その週は毎日彼が来て、私たちはポーチに座りました。家の中には入れませんでした」「それから伯母が休みを取って、自分で子どもの世話をすることになったのです。それがカールとどこかに出かける初めてのチャンスで、彼は私をまっすぐ両親の家に連れて行き、お母さんとお父さんに紹介してくれました。彼は私を見た瞬間に、これこそ自分が求めていた人だと分かった、と言っていました」と彼女は後に『ニューヨーク・タイムズ』紙に語っています。

数年後、ドリーは『ピープル』誌に対して、ふたりの出会いの後に何が起こったのか、さらに詳しく語りました。「夫と出会った頃、彼が私を夕食に連れて行きたがりました」「彼はドライブスルーの窓口に車を停めて、マクドナルドで食事を買いました。彼は自分が居心地の良い場所にしか行きたがらないんです」

1966年5月

ドリーのレコード会社は当初、キャリア戦略の一環として結婚を1年間待つよう彼女に求めましたが、愛が勝利。ふたりはテネシー州のメディアに報道されないよう、ジョージア州で結婚式を挙げたのでした。

「式に出席したのは母とカールと私の3人だけでした」と彼女は2016年にカントリーミュージック・テレビジョンのインタビューで語っています。「州境を越えてジョージア州リングゴールドに行きました。母が小さな白いワンピースと小さなブーケと小さな聖書を作ってくれましたが、私は『裁判所で結婚しても、結婚したという実感が湧かない』って言ったんです。それで町にある小さなバプテスト教会を見つけて、ドン・デュバル牧師に『私たちを結婚させてください』と頼みました。教会のすぐ外の階段で写真を撮りました」

ドリーは20歳のとき、「Put It Off Until Tomorrow」で初の作詞作曲賞を受賞し、放送音楽協会の年間最優秀楽曲賞も獲得しました。同じ月、ドリーとカールはレッドカーペットデビューを果たしましたが、これは、ふたりが一緒に参加した唯一のイベント。ともにレッドカーペットを歩き、ディナーにも出席したものの、こうしたことはすべてカールの流儀に反するものだったようです。

カントリー音楽専門サイト「The Boot」が報じたところによると、「夕食の後、私たちは外に出て、車を待っていた。その頃、どんな車に乗っていたのかも覚えていない…私たちは車に乗り込んで、家に向かった。カールは私の方を向いて、『ドリー、君が望むものは全て手に入れてほしいし、君の幸せを願ってる。でも、二度と僕にあんなくだらないイベントに行ってほしいと頼まないでくれ!』と言ったの」と、2011年にナッシュビルで行われたイベント、マーティ・スチュアート・ジャムで語ったそうです。

1969年9月

カールがドリーの4枚目のアルバム『マイ・ブルー・リッジ・マウンテン・ボーイ』のジャケットに登場し、このアルバムが全米カントリー・アルバム・チャートで6位にランクインしました。まさに幸運のお守り!

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木こり風のいでたちです。

1973年10月

ドリーが、最もアイコニックな曲の一つである「ジョリーン」をリリース。誰もが知っている有名な曲ですが、本人はこの曲がどうやってできたか、次のように語っています。

「銀行の窓口係が私の夫にひどく夢中になって…夫は彼女がすごく関心を示してくれるので、銀行に行くのが大好きだったんです。それは私たち夫婦の間でちょっとした冗談になっていて、『あなた、ずいぶん銀行に行くわね。私たちにはそんなお金はないと思うけど』と言っていました。だから、全体的には無邪気な曲なのですが、恐ろしい曲のように聞こえるかもしれませんね」

そして、ドリーの超有名なゴッドドーター、マイリー・サイラスも、この曲をカバーしています。

1989年10月

1989年に撮影されたドリー。 Aaron Rapoport / Getty Images

『コスモポリタン』誌のインタビューで、ドリーは理想の男性について語っています。「私はシンプルな人が好きなんです。シンプルさと知性を兼ね備えた人がいいですね」「外見に関しては、もういい歳だし、人生経験も豊富なので、これまでほとんどあらゆるタイプの男性と関わってきました。でも、若い頃は、父が背が高くて痩せていたので、長身で細身の男性に惹かれていました。夫も背が高くて痩せています。サム・シェパードみたいに、華奢な感じが好きなんです」

2012年1月

カール賛歌である「From Here to the Moon and Back」が、ドリーのミュージカル映画『 Joyful Noise 』とのコラボレーション作品である同名のサウンドトラック・アルバムに収録されました。その後、ドリーはこの曲をカントリー・ミュージシャン仲間のウィリー・ネルソンとのデュエットとしてもレコーディングしました。

「美しいラブソングを書く必要があったんです」と「The Boot」のインタビューで語ったドリー。「愛する夫を選んで、『よし、彼について美しい歌を書こう』と思いました。映画の中でクリス・クリストファーソンが演じた私の夫役についての歌だったから、本当にリアルで感動的なものにするために、私が本当に愛していて、人生の半分以上愛してきた人について、本当の気持ちを歌にしようと思いました」

2012年1月に行われた、映画『ジョイフル・ノイズ』のプレミア上映会に来場したドリー。 Jason Merritt / Getty Images

2016年5月

夫妻は結婚50周年を記念して誓いを新たに交わしましたが、これがとにかく素敵。ドリーにその時の様子を語ってもらいましょう。

「見たことがないくらい美しいドレスを着て、夫にもドレスアップさせました。まるでハリウッドスターみたいにハンサムでしたよ。家族や友人が数人来てくれて。大げさなことは何も計画しませんでした。私たちは、ストレスや緊張、大騒ぎなんてどれも避けたかったから。だから慎重に、そして賢く計画を立てました。自宅のチャペルで、ささやかな式を挙げただけです」

また、この特別な日を記念して、カールがふたりの関係について初めて公式声明を発表しました(!!)。「僕が最初に思ったのは、『俺はあの子と結婚するぞ』ということ、次に思ったのは、『なんて美人なんだ』ということ、そしてその日が僕の人生の始まりでした。この50年間は、この世の何物にも代えがたいものです」

2020年10月

ドリーがテレビ番組『エンターテイメント・トゥナイト』で、カールは実在しないのではないかという多くの憶測に回答しました。「長年、多くの人がそう思ってきたのは、彼が全く注目を浴びたがらないからです」「そういう人じゃないんです。なんていうか、静かで控えめな人で、もし表舞台に出たら、一瞬たりとも安らげないだろうと思いましたし、それは正しかったと思います」

2020年12月10日に開催された「Billboard Women In Music 2020」イベントでパフォーマンスを披露するドリー。 2020 Billboard Women In Music / Getty Images

彼女は続けてこう語りました。「私は彼のそういうところを常に尊敬し、素晴らしいと思ってきたので、できる限り彼を世間の注目から遠ざけようと努めてきました。彼は『僕はこの世界を選んだのではなく、君を選び、君はあの世界を選んだ。でも、僕たちの人生はそれとは切り離せる』と言っていました。そして、そうしてきましたし、今もそうしています。56年間一緒にいて、結婚54年になります」

2021年7月

ドリーがインスタグラムに投稿した中で最もアイコニックな動画の一つがこちら。夫の誕生日を祝うためのものです。

ドリーによると、カールはドリーが表紙を飾った1978年の『プレイボーイ』誌がお気に入りだったため、彼の誕生日に「彼を喜ばせ」ようと当時の衣装を再現して自ら写真撮影をすることにしたのだそう。

「今日は7月20日、夫のカールの誕生日なの」と、茶目っ気たっぷりの姿で語ったドリー。「夫は昔からこのオリジナルジャケットが大好きだったから、彼を喜ばせるために何かできないかと考えました。57年経った今でも、彼は私のことをすごく魅力的な女性だと思ってくれているし、それをやめさせるつもりもない。彼も納得してくれるといいんだけど」

こちらが1978年版のオリジナル写真。 Harry Langdon / Getty Images

その後、オリジナルの表紙と2021年に再現した写真を並べて額装したものを見せ、「最初の写真では、私はちょっとぽっちゃりしてたわね」「今はストリングチーズみたい。でも、彼はきっと私をクリームチーズだと思ってくれるでしょう」とコメントしました。

2022年3月

ドリーは2月に発表されたロックの殿堂入り候補を辞退し、声明の中で、カールが彼女にロックンロールをテーマにしたアルバムを作るよう勧めていたことが明らかに。

「ロックの殿堂入り候補に選ばれたことは大変光栄で感謝しておりますが、私にはその資格があるとは思っていません」「私のせいで票が割れるのは避けたいので、丁重に辞退させていただきます。…しかし、このことがきっかけで、いつか素晴らしいロックンロール・アルバムをリリースしたいという気持ちが強くなりました。ずっとやりたかったことなんです! 夫は筋金入りのロックンロール・ファンで、いつも私にアルバムを作るように勧めてくれています」とドリーは声明を発表しました。

ところが! 興味深いことに、協会は最終的に彼女の辞退を拒否し、「アーティストとしての素晴らしい才能に加え、その謙虚さも、ドリーが世界中の何百万人ものファンに愛されるアイコンである理由の一つです」と述べました。

その直後(翌月)、ドリーはNPRのラジオ番組『モーニング・エディション』で、もし自分が選ばれたら、「丁重に受け入れます。ただ『ありがとう』と言って。ファンが投票してくれたのだから、受け入れます」と語りました。

最終的にドリーは殿堂入りを受け入れ、2022年11月の第37回ロックの殿堂入り式典に出席。 Emma McIntyre / Getty Images

2022年12月

ドリーは自分とカールが結婚生活をこれほど長く続けられたのは「ユーモア」のおかげだと思う、と『エンターテインメント・トゥナイト・カナダ』で明かしました。

「私たちはふたりともちょっと変わったユーモアのセンスを持っています。正直言って、そういう夫婦関係においては、ユーモアは最高のものの一つだと思います。たとえ問題が起きたとしても、ユーモアのセンスが抜群なら、取り返しのつかないことを言ってしまっても、たいていはとんでもない方法で切り抜けられます」

また、「彼は芸能界とは関係ないから、趣味は違うけれど、一緒に楽しめることもたくさんあります。だから、運命だったんだと思う。私にとって彼は運命の人だったし、彼にとってもそうだったのです」と語りました。

2022年12月31日、NBCで放送された「マイリーの大晦日パーティ」に出演したドリーと名付け子のマイリー・サイラス。 NBC / Getty Images

2023年1月

『エンターテインメント・トゥナイト』のインタビューで、ドリーは夫がめったに公の場に姿を見せない理由について語りました。「彼はどちらかというと孤独を好むタイプなので、私以外の人とはあまり一緒にいたくないのです」「彼はあまり外に出て人と交流するタイプではありません。長年そうしてきたように、農場で暮らし、土地の手入れをすることが大好きです」

2023年10月

『グッド・ハウスキーピング』誌のインタビューで、ドリーがツアーをやめた理由の一つは、実はカールだと告白しました。ドリーは2022年10月に、大規模なワールドツアーから引退することを発表しています。

「もうツアーはしません」「仕事がたくさんあるし、夫も私も年をとってきているし―彼は私より少し年上なんだけど―なんて言うか、彼と一緒にいる時間が必要なんです」。また、ツアーとなるとかなりの時間を要し「それには全力で取り組まなくてはいけません」「私はこれまでずっとそうしてきました」とも語りました。

ただし、これがドリーの最後の姿ではありません。「1週間ではなく1カ月休むかもしれないけど、夫が病気で本当に私を必要とするか、私が病気にならない限り、引退するつもりはありません。辞める理由はその2つだけです。そんなことが決して起こらないことを祈りましょう」

2023年5月、第58回アカデミー・オブ・カントリー・ミュージック・アワードでパフォーマンスをするドリー。 Theo Wargo / Getty Images

2024年2月

ドリーの永遠の名曲「ジョリーン」の50周年を記念して、カールとのツーショット写真をあしらったグッズを発売しました。

2025年3月

カールが82歳で亡くなったというニュースが流れました。数週間後、ドリーはテネシー州の地方紙『ノックス・ニュース』のインタビューで、「思っていたよりもずっと元気にやっています」「彼とは60年間一緒にいました。だから、これまでやってきたことをいくつか学び直さなければならないでしょう」「でも、彼のことはいつも身近に感じています」と喪失感について語りました。

2025年3月20日にテネシー州ナッシュビルでスタートした、ドリーの楽曲をフューチャーしたエンターテインメントショー『ドリー・パートンのスレッズ:マイ・ソングス・イン・シンフォニー』世界初演に出席するドリー。 Jason Kempin / Getty Images

2025年5月

ドリーがテレビ番組『トゥデイ』に出演し、夫のいない新たな現実について問われ「ああ、あのね、みんながその話題を持ち出すと、すごく感情的になります」「でも、私たちは60年間一緒にいたの。18歳のときからずっと彼を愛してきた」とアンカーのサバンナ・ガスリーに語りました。

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一人の生活について尋ねられると、「生活のリズムや習慣を変えるだけでも大変なことです。でも、大丈夫、仕事にとても熱心に取り組んでいて、それが私にとってうまくいっています。もちろん、彼のことはいつまでたっても恋しいし、ずっと愛しています。彼は私にとって素晴らしいパートナーでした」と語りました。

2025年5月19日、テネシー州ナッシュビルにあるカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム®&ミュージアムにて、ドリーが同館の新展示「ドリー・パートン:探求者の旅」のオープニングに出席。 Jason Kempin / Getty Images

ドリーはまた、ファンから寄せられた多大な愛情に対して、「本当に感謝しています。世界中からたくさんのカードや手紙、お花をいただきました」と述べ、冗談交じりに「カール・ディーンがこんなに有名人だとは知りませんでした」と付け加えました。

2025年11月

ドリーは亡くなった夫との関係について、「私たちの関係は、素晴らしい、昔ながらのラブストーリーです。ほとんどの人は、あんなに長く親密な関係を維持できません。失ったものは大きい。自分で経験してみないと、誰もその意味は理解できないでしょう。彼はいつまでも私の心の中に、そして私の記憶の中に生き続けます」と『ピープル』誌に語りました。

彼女はまた、私生活を極めて大事にした夫は自身の心の支えだと表現し、「カールがいなければ、私はここにいなかったでしょう」と述べました。

2026年3月

健康問題に関する噂が流れた後、ドリーは自身が設立したテーマパーク、ドリウッドの2026年シーズンの営業開始初日を記念する動画の中で(地元テネシー州のテレビ局、WVLT8が公開)、夫の死にどう対処しているか近況を報告しました。

「カールを亡くした悲しみや、その他いろいろな小さな出来事で、すっかり疲れ果ててしまった」「精神的にも、感情的にも、肉体的にも、自分を立て直す必要がありました。でも、すべて順調です。私の活動は止まりませんでした」

彼女はまた、夫の死後「誰とも交際していない」と強調。「カール・ディーンは私を待っていると思います」「もし私が他の誰かと一緒に天国の門に現れたら、彼は気に入らないでしょう。『あのちびっ子は誰だ? 門の外に置いておけ』と言うに違いありません」と述べました。

2026年8月

亡くなる直前の最後のインタビューの一つで、ドリーは『ピープル』誌に対し、最近「健康面でつらい時期」を過ごしていたものの、それでも忙しく過ごしていたことを明かしました。「カールのお世話をしていた時には気にしていなかった健康上の問題に対処しているところです」「まだやり遂げたいことがたくさんあるので、すべてが実現するまで、できる限り働き続けたいと思っています」と語りました。

ドリーとカール・ディーンよ、永遠なれ!

From : Cosmopolitan
Translation : Mayuko Akimoto

※この翻訳は、抄訳です。
※この記事は、2026年9月1日時点のものです。

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