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30年前、大泉洋を運んだサイコロ。旅先より気になる4人の時間

  • 2026.9.20
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大泉洋-2026年9月撮影(C)SANKEI

2026年9月、札幌で開かれた『水曜どうでしょう祭UNITE2026』に、大泉洋が神輿に乗って現れた。担いでいるのはHTBの役員や局長ら。番組が始まって30年になる年の祝い方として、この少々大げさな出迎えがよく似合う。

1996年の番組の始まりを思うと、いっそう可笑しい。当時の大泉をあちこちへ運んでいたのは、神輿ではなく、サイコロの目で決まる乗り物だった。目的地を選び、予定を立てて楽しむ旅とは、出発の仕方から違っていた。

サイコロの目が旅になる

『水曜どうでしょう』が北海道で放送を始めたのは、1996年10月。第1回の放送で行われた企画が『サイコロ1』だった。サイコロを振って次の行き先を決める。六つの目に旅を委ねるという簡単な仕組みが、大人たちを振り回していく。

普通の旅なら、どこへ行きたいかを決めてから、交通手段を調べる。サイコロの旅では、本人の希望より、出た目のほうが強い。行き先を紹介する人が、行き先に困らされる人にもなる。大泉の反応を楽しむ番組として、これほど分かりやすい仕掛けもない。

『サイコロ1』で松山に着いた大泉が、母親へ呼びかけるように嘆き、帰りたがる場面は、後年、HTB公式サイトのファン投票企画でも候補として紹介された。土地の魅力を気の利いた言葉で紹介するより先に、いまの自分の境遇を訴える。そんな旅人を見ているうちに、知らない街まで妙に身近になる。

旅の成否を、訪れた名所の数だけで測らないところが面白い。予定が崩れたり、思うように帰れなかったりすることも、そのまま番組の楽しみになる。サイコロは旅先を決める道具であると同時に、大泉が話し始めるきっかけでもあった。

旅をしている人と撮っている人

この番組を作る中心には、大泉と鈴井貴之、ディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道がいる。出演者2人と制作陣2人という組み合わせだが、4人で台本のない旅を続けるというところに、『どうでしょう』らしさがある。

旅先の風景を見せる番組でありながら、見続けるほど気になってくるのは、一緒に出掛けている人たちの関係だ。大泉がどんな目に遭い、何を言い、それを周りがどう受け取るか。景色が変わっても、見たい相手は同じ4人になる。

行き先を自分で決められない旅では、思い通りに振る舞うことも難しい。格好のよい紹介だけでは済まないから、困った顔も帰りたい気持ちも、画面の中の出来事になる。大泉の話す力は、そうした都合の悪い時間まで、見る側が付き合いたくなる時間にしてきた。

1996年の『サイコロ1』は、2003年発売のDVD全集第2弾にも収められた。放送を見逃した人や、後から番組を好きになった人も、最初の旅へ戻れるようになった。長く続く番組の入口が、古くなったからと閉じてしまわないのも、この作品の楽しさだ。

神輿に乗ってもいつもの顔ぶれ

2026年の祭りでも、大泉、鈴井、藤村、嬉野のトークが行われた。新作の一部が先行公開され、大泉のライブもあり、3日間で延べ4万人が集まったという。昔の番組を思い出すために集まりながら、まだ見ていない4人の旅も待っている。

サイコロの行き先に振り回されていた大泉が、今度は神輿に乗って迎えられる。扱いはずいぶん変わったようで、立派な登場さえ笑いのある催しにしてしまう点では、同じ番組の時間が続いている。

30年前の旅へ戻れば、大泉も仲間たちも若い。けれど、会いたくなる理由は年齢だけでは変わらない。次はどこへ行くのか。その場所で、この4人は何を話すのか。『どうでしょう』の旅には、行き先を知ってからも残る楽しみがある。


※記事は執筆時点の情報です

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