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流行写真通信 第43回:瀧本幹也の宇宙と内面を横断する40年分の観測写真

  • 2026.8.22

「太陽の光が地球に届くまでには約8分20秒かかるんです。茅ヶ崎の海で、満月の光が地球に到達するまでの時間を調べたら、1.3秒だった。そんなに違うんだと」と語るのは瀧本幹也。9月2日から11月8日まで神奈川県の茅ヶ崎市美術館で開かれる「瀧本幹也 LUNATION 朔望—海から天体を読む」は、彼にとって公立美術館では初となる大規模個展。広告、コマーシャルフィルム、映画の撮影と第一線で手を動かし続けながら、『MONGOLIAN TRIBE』『LAND SPACE』『GRAIN OF LIGHT』といった作品を発表してきた瀧本は、月をテーマに据えた構成で彼の作品群を再提示する。

この展示の始まりは一枚のキービジュアルだった。2021年、同館で開かれたデザイナー藤原大の展覧会のために、瀧本は藤原から茅ヶ崎の風景で何かできないかと相談を受ける。

 EBOSHI-IWA photo by Mikiya Takimoto

「普通に撮るとただの風景写真になってしまうなと。それで、一番わかりやすい茅ヶ崎のシンボルは烏帽子岩なんじゃないかというところに行き着いて。そうであれば僕がよく撮っているような、上から俯瞰する視点で撮る。そうすると烏帽子岩らしからぬ、どこかの大陸なのか、島なのか、はたまた細胞なのかみたいな見え方ができるんじゃないかと」

瀧本からのそのプリントを受け取った同館学芸員の藤川悠の反応が、この展覧会の伏線になる。

「藤川さんが『え、どこ? これは?』と。しかも海に近いところに建っている美術館なので、写真から風が吹いてきたような感覚を覚えたと。『普段いつも目にしている烏帽子岩なのに、何を撮っているのかしばらくわからなかった、でも凄まじいパワーを感じた』とおっしゃっていて。それがきっかけですね」

依頼が届いたのは1年半ほど前。当初は建築写真展という案も出たが、茅ヶ崎で新作を撮る方向に落ち着く。ただし、と瀧本は考えた。

「茅ヶ崎の海をそのまま撮っても仕方がないなと。海って何だろうと考えていた時に、潮の満ち引きは、月にかなり大きく作用されている。もちろん風とかいろんな要因もあるんですけど、大きくは月の満ち欠けによって変わるものなので、月をひとつのテーマに据えたら全体がまとまるだろうなというところから構成を進めていったんです」

月という軸を見つけたことで、二十数年分のシリーズが一本の線に繋がった。「いろんなシリーズの寄せ集め的な展示になりそうでしたが、月の満ち欠けに気づいたのは結構大きかったですね」

その線は、彼の原点まで遡る。展示には11歳の瀧本が撮った天体写真が展示される。それは1986年、彼が小学5年生の時。ハレー彗星が近づき、スペースシャトル・チャレンジャー号が事故を起こした年だ。

「望遠鏡にカメラを取り付けたことが自分の写真のきっかけなんです。大きな赤道儀に大きな鏡筒をつけて、その軸を北極星の方向、地球が回転する軸に向けないと追尾していけない。だから僕の写真はスナップというよりは観測なんですよね。三脚を据えて、対象をすごく観察して撮る。表情を狙ってバシャバシャ撮っていくのではなくてね」

もうひとつの原体験は、名古屋の実家の近くで起きた。マンション建設の工事で遺跡が出土し、1年ほど発掘調査が続いたのだという。

「眺めのいい丘で、大昔の人もこの景色を見てたんだな、遠くに見える山はきっと変わらずあの形だったんだろうな、と想像することを小学生の頃にしていたんですね。大きな時間、光、ミクロとマクロのサイズ感。そういうものが幼少期からずっと興味をそそる対象としてあったんです」

展示される初期作『MONGOLIAN TRIBE』(1997)は、助手時代にモンゴルで撮ったものだ。ヒッチハイクを目論んで行ってみたら車も道もなく、草原しかない。

MONGOLIAN TRIBE #58 photo by Mikiya Takimoto

「馬を借りたんですよ。モンゴルの太い馬にリュックを背負って機材も積んで、一カ月かけてゲルを渡り歩いた。英語は通じないし僕も喋れないので、小さなモンゴル語の辞書だけでやりとりして。現代文明が閉ざされたところの人類のDNA的なことを撮れないかと思ったんですよね。人類学のようなテーマですね。日本人とモンゴル人は遺伝子的にはかなり近いのに、現代文明のあるなしでやっぱり顔つきが違う。100人を撮るまで帰らないと決めていました」

被写体の民族名を手書きで記録したノートが残っている。カザフ族、ウイグル族、トルゴート族。ゲルの入り口から少し入った位置に座らせ、黒い布を垂らして光を正面から揃える。すべて自然光だ。そして夜が来る。

「今までの経験で、一番星がきれいに見えたのはモンゴルなんですよ。周りに本当に何も明かりがないので、地平線から星が上がってくるのが見える。普通は大気があると下の方はぼやけているんだけど、スパンと上がってくる。『宇宙に一番近いところで生活している人類』という感覚をその時に覚えたんですよね」

この展覧会カタログに寄稿し、会期中に対談トークを行う東京都写真美術館学芸員の伊藤貴弘は、瀧本の写真を強く意識したのは写真集『SIGHTSEEING』を手にした時だったと振り返る。

「世界の名所を撮りながら主役を人々に据えた構成に、既知のイメージを問い直す視線を感じ、鮮烈な印象を受けました」

その「問い直し」が最も大きなスケールで駆動したのが『LAND SPACE』(2011)だろう。ケネディ宇宙センターのスペースシャトルと、太古から続く地球の営みを対比させた代表作である。

SPACE #28 photo by Mikiya Takimoto

「空を入れるとどうしても風景になってしまうので、なるべく高いところまで上って、大地をスキャニングするような撮り方をあえてしているんです。別の惑星に見せたい、『これ本当に地球なの?』という感じにしたかった。だから撮っている人の個性みたいなものはなるべく排除しているんです」

発表は2011年。東日本大震災と重なった。噴火口の写真は地震を、海は津波を想起させ、あらゆる表現が自粛された年だ。

「よくよく考えたら、あのNASAの建屋は福島の原発の建物にすごく似てるんですよ。シャトルのオレンジ色のタンクは炉心に見えるとか。ただ、地球の営みと人類の愚業のようなものの組み合わせは、坂本龍一さんの活動を通していろいろ聞いていた時期でもあったので、そういうことをすごく考えながら生まれてきたものかもしれない」

『GRAIN OF LIGHT』(2014)の露光時間は8分20秒。太陽で生まれた光が地球に届く時間である。「その時間シャッターを開けて、海にキラキラしている光の粒を集積させた。だから“光の粒”という意味なんです」。海を高い位置から捉えるのも同じ理屈だ。坂本龍一が設立した森林保全団体more treesとルイ・ヴィトンが協同した森林再生プロジェクトの森の撮影で、木の正面はどこかと考えた末に「葉は全部太陽を向いているんだから、正面は上なんだ」と結論し、森に高所作業車を持ち込んで俯瞰から撮影した。その視点が、そのまま海面に向けられている。

GRAIN OF LIGHT #12 photo by Mikiya Takimoto

キヤノンからデジタルカメラでの新作展を依頼された時、彼は一度断っている。フィルムカメラ一辺倒だったからだ。だが新燃岳の噴火を撮りに行った経験が判断を変える。「暗くて4×5では撮れないんだなと。デジタルだったらこれが撮れるだろうなと思って」。ガスマスクをつけて下りたインドネシア・イジェン火山の青い炎は、そのまま星雲に見えたという。

「地球は太陽みたいに質量の大きな星になれなかった、恒星のなり損ないの星なんですよね。この青い炎は未練の光だなと思った。でもそれを撮ることで、何万個かの星の集合体の星雲のように見えてくる」

何を撮っても天文写真的に見えてしまうのでは、と意地悪な質問をぶつけてみた。「天文写真的に撮ろうというよりも、どう撮ろうかと考えた時に自分の好みがそこなんで、アプローチの仕方の思考がそっちに働いてくるんだと思いますね」

FLAME #02 photo by Mikiya Takimoto

高い視座から地球を俯瞰していたその目線が、コロナ禍で反転する。広告撮影では大勢のスタッフに囲まれて撮影することが多いため、家族に感染しないようにと彼は仕事を続けながらビジネスホテルに寝泊まりし、自主隔離を繰り返した。終わりの見えない隔離生活で精神的に追い詰められ、気分転換に西伊豆の旅館に移った朝、河原一面の菜の花に出くわす。

「うわ、自然って、花って綺麗だなと思って。それまで大自然を無機質にスキャニングするような撮り方をしていたのに、純粋に生命力に感動したんです。おじさんが一人、菜の花の中に入っていって、泥まみれで寝転がって半泣きになって時間を忘れて撮ってるわけです(笑)」

同じ時期、半年延期されたKYOTOGRAPHIEの会場となった京都の寺院で、彼はもうひとつの体験をする。コロナ禍で観光客の消えた寺に座り、自然と目を閉じた時に見えてきたのは、あの遺跡発掘の記憶と同じものだった。

「1000年前の京都でも同じ場所に座って、こういう景色が見えていたのかなと想像したんです。花はミクロとマクロのサイズ感の旅で、『PRIÈRE』(2024)は時間軸の旅みたいな。それまで大きな宇宙を撮ろうとしていたものが、小さな精神宇宙の方に向かっていって。上から撮るアングルだったものが、地面に転がって空を見上げるようになった。社会に起きたことと自分の写真のテーマが合致していったんですね」

そして新作『LUNATION 朔望』。満月の光が地表に届く1.3秒を露光時間に設定して撮られた海の連作は、縦位置の画面を繋ぐことで脈動するグラフのような姿を見せる。

3-LUNATION-CHIGASAKI#01
LUNATION: CHIGASAKI#01 photo by Mikiya Takimoto
4-LUNATION-CHIGASAKI#02
LUNATION: CHIGASAKI#02 photo by Mikiya Takimoto

「海が脈打っている生き物のような。一度たりとも同じにはならないし、生命の象徴のような写真ですね」

波打ち際に月光が反射し、砂を攫っていく形を捉えた一点は、人が走っているようにも、生命の誕生のようにも見える。「月の光を撮っているんだけど、月が作り出した形とも言える」。展示ではそれら4点のプリントを額装せず、明治期に作られた開化堂の茶筒を壁から突き出させ、頂にレンズを組み込んだ。望遠鏡であり、顕微鏡でもある装置だ。

さらに展示のために彼は掛け軸を作り、俳句を詠み、落款を彫った。中国・杭州での映画の撮影がきっかけだったという。

「自分の名前の瀧という字はさんずいだから水で、水の上に月が立つと書いて瀧になるんだと。自分の名前は面白い、これは何か水と月に縁があるなと思いましたね」

展示の最後には、平安時代末期の経筒が置かれる。乱世に寺が焼かれる中、未来の誰かに向けてお経を残すために土に埋められた容器だ。「経筒はタイムカプセルなわけです。未来の誰かに向けての」。その中に俳句を納めるつもりだという。写真も、本も、経筒も、残すための器という点では変わらない。「写真もタイムカプセルだ」と瀧本はいう。「残すことが大事だと改めて思った」と。だからこの展示はプリントだけでなく、本であるカタログにも格段のこだわりを見せる。

メインビジュアルからカタログ、会場VIまでを手がけたアートディレクターの中島雄太は、瀧本の写真をこう捉える。

「瀧本さんと初めて仕事をご一緒したのは、私がまだ前職に在籍していた頃です。雑誌のタイポグラフィにまつわる撮影や、坂本龍一氏のCDジャケットにおける物撮りなど、被写体そのものと正面から対峙することを要請される現場が多かったと記憶しています。第一印象として今なお強く残っているのは、光およびモノの佇まいに対して一切の妥協を許さぬ姿勢と、肉眼で捉え得る以上にディテールを精緻に再現してみせるその手腕でした。当時まだ若かった私にとって瀧本氏は、写真家とディレクターという2つの職能のあいだを自在に往還する在り方の輪郭を、はじめて実感させてくれた存在でした。瀧本さんの独自性は、ご自身の世界観を一方的に押し付けるのではなく、共に手を動かす作り手をきちんとリスペクトしながら、その関係のなかで全体を静かに高みへ引き上げていく――そのバランスの取り方の卓越性だと、今回の仕事を通して感じました」

その展覧会カタログがまた常軌を逸している。定価を原価が超えている。しかもカバーとなるアクリル板の小口の青は瀧本自身が手作業で塗っている。

「鏡面仕上げで塗ると接着できないから、ざらっとした面だけ残して塗装する。でもざらっとさせると塗料が中に滲んでいっちゃう。それをどう解決するかを何回もやって、自分は何やってんだろうと思って(笑)。写真だけじゃないところに思いっきりエネルギーを注いで、その時々にこれしか見えないぐらい集中する。実はそういった作業はすごくリフレッシュできますね」

東京都写真美術館の伊藤は日本の写真史の中での瀧本の位置をこう指摘する。

「日本の戦後写真を象徴するアレ・ブレ・ボケの粗いモノクロームと、瀧本さんの端正なカラーは対極に位置します。先行世代の批評的な問いは引き受けつつ、その視覚言語はまったく異なるかたちで、見慣れた世界を精緻に描き直しているように映ります。『なにを撮るのか』ではなく『なぜ撮るのか』という問いを、現代において引き受け直す。その実践の強度にこそ、他にない魅力を感じます」

会場構成が固まりつつある段階で、瀧本は自身の写真をどう捉え直したのか。

「一貫して変わってないなと。社会だったり自然だったり人との関係性だったりを、ある一定の距離感を保ちながら観測しているようなところが自分の特徴なのかと。ただ、コロナ渦で写真がガラッと変わったのは自分でも驚きがあって。それまでは感情を打ち消すような、無機質で冷徹な視点の撮り方をあえてしていたのが、写真に温度が入ってきている。頭で論理的に考えて撮りたい絵を具現化していくのではなくて、偶然に身を委ねる、撮りたい衝動に駆られることの方が今は優先度が高くなってきていますね」

瀧本幹也の写真は青いと定評がある。「タキモト・ブルー」とも呼ばれる青への執着はどこから来るのか、と最後に訊いた。

「地球の大気が青いじゃないですか。昔アフリカで生まれた人類が見ていた空色の感覚がDNAに入っているんだろうなという感じがあります。青は落ち着くというか、地球を感じる。意外と青に生命を感じるところがあるんですよね。自然とそうなっていくことが多いので、別に執着しているわけじゃないですよ(笑)」

原点回帰の展覧会にしては、ずいぶん早くはないか。そう水を向けると、彼は「もうちょっと年をいってからやるものですよね。早めに出しすぎちゃったなと」と笑った。だがこれは集大成でも回顧展でもない。公立美術館におけるデビューショーである。

「ここからまだやれなかったこと、もっとやりたいことが見えてきました。自分の作品が他にもたくさんあるとわかったというか、もっと広いところでも埋め尽くせるなと。自分は多作なんだなと気づきましたね。夢は大きく。まだまだ道半ばです」

11歳の時に望遠鏡にカメラを括りつけて以来、瀧本幹也がやっていることは変わらない。天の極に軸を合わせ、対象が動く速度に自らを同期させ、待つ。その追尾の対象が、月から地球へ、地球から足元の花へと移り変わってきただけだ。しかしクールなモダニストが次第にエモーショナルに世界を捉え直していることに観客は気づくだろう。海辺の美術館で、彼は40年分の宇宙と内面の観測記録を大スケールで見せてくれるのだから。

瀧本幹也
瀧本幹也ポートレイト

Information

瀧本幹也 LUNATION 朔望—海から天体を読む

日時:2026年9月2日(水)〜11月8日(日)
会場:茅ヶ崎市美術館
住所:神奈川県茅ヶ崎市東海岸北1-4-45|地図
HP:https://www.chigasaki-museum.jp

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