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朝ドラ【風、薫る】ツヤを見守りながら、現実の厳しさを思い知る回。「きっと夢は叶う」と信じるりんの、お嬢様の立ち位置

  • 2026.6.29

朝ドラ【風、薫る】ツヤを見守りながら、現実の厳しさを思い知る回。「きっと夢は叶う」と信じるりんの、お嬢様の立ち位置

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。近代看護界の先駆者となった2人の女性を主役とする物語。「風、薫る」のレビューで、より深く、朝ドラの世界へ! ※ネタバレにご注意ください

元家老の家系のお嬢様のりんらしさ

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)を原案とし、激動の明治時代を駆け抜けた二人のナースを、見上愛・上坂樹里のダブル主人公として描くNHK連続テレビ小説『風、薫る』の第13週「白日の夢」が放送された。

白日の夢。言葉通りにいえば、目を覚ました状態でみる夢のような空想や想像の世界であるが、それは何を意味するのか。誰が見た夢なのか。

当初からテンポよく進む展開を重ねるうち、ストーリーは早くも折り返しを迎える。「看護」という概念すらよく分からないまま梅岡女学校付属看護婦養成所に入学、バーンズ(エマ・ハワード)の指導のもと帝都医科大学附属病院の見習い看護婦での経験を重ねたりん(見上愛)たちは、少しずつ成長しながらいつしか頼もしさも感じさせてくれる一人前の「トレインドナース」へと成長していた。

週の冒頭、真新しい白衣に身を包んで並ぶりん、直美(上坂樹里)、多江(生田絵梨花)、トメ(原嶋凛)の姿にさらなる成長を感じ取れるところ、りんたちが新たに命じられたのは、「看護婦取締」という役割だ。看護婦とともに患者をみる看病婦、そして帝都医大病院看護科一期生たちの上に立つ存在である。

看護の母・ナイチンゲールからの学びを受け、看護の第一歩として清潔や換気からと、りんたちに教え帰国したバーンズが、日本に職業としての看護「トレインドナース」を根付かせようと撒いて育てた種は、着実に実を結び、今度はりんたちが新たな看護婦たちを誕生させる役割を担う局面が訪れていた。

いっぽう、西洋式の看護を学ぼうと希望に燃え入学した生徒たちにとってしたら、自分達を教えるのは若い日本人の女性たちというのは想定外だったようで、いぶかしげなそぶりも見せるが、
<私たちはナイチンゲール式の看護を学んだ看護婦です>
と、英語できっぱりと宣言する直美の姿は、確実に大きく成長し、自信すら垣間見える説得力ある姿である。

時代は流れとともに変わっていく。最初は病院で患者の世話を焼き、りんたち学生を怪訝そうに見ていた看病婦たちは、過去のものとなりつつあった。看病婦は、主に生きるために仕方なく選択する仕事であり、極端にいえば人権もあまり認められていなかったのではないかとすら思われるような地位の低い存在だった。そんな看病婦たちとりんたち看護婦は、時にぶつかりあいながらお互いを認め合い、補い合うような存在となっていった。これも関係性の成長といっていいだろう。

看病婦にとっては、ちゃんと教育を受け、職業として認められる看護婦の存在は羨ましいものであろうことも読み取れる。そんななか、看病婦のツヤ(東野絢香)が、自分も看護婦になりたいと、りんに訴えかける。

ツヤは、子供ができないことを理由に離縁され、その後生きるための手段として看病婦になったが、看護婦たちの姿、なかでも今は看護の道から離れた喜代(菊池亜希子)の姿に憧れ、いつしか自分も看護婦にという夢を抱くようになったそうだ。りんや直美は院長の多田(筒井道隆)にツヤの願いを届け、半額の受講料で看病婦の仕事の休みや空き時間を利用して授業に参加することが許可された。

「夢は見るものではなく、叶えるもの」昔からよくこう言われる。ツヤの夢が叶うよう、りんたちも協力する日が続く。しかしそこに立ちはだかるのは、明治初期の厳しい現実だ。貧しい育ちのツヤは、満足な読み書きもできないところからのスタートで、講義を記録することも苦労していそうだが、「腎臓」など仕事に関わることは書けたりする。できることを積み重ねていけばきっと夢は叶えられるはず、りんはそう信じて見守る。この立ち位置もまた、元家老の家系のお嬢様のりんらしさを感じる。

「私、間違えてしまいました」と、再びりん

しかし、夢を叶えるということは、やはり簡単なものではない。看病婦の仕事をやりながらの看護科の授業への参加は、当然睡眠時間などを削ることになり、時にふらついたりするような姿もみられた。そしてついに患者への解熱剤投与を忘れるというミスをおかしてしまい、多田から解雇を告げられる。作中のりんだけでなく、我々視聴者にもツヤの思いや努力する姿はよく伝わってきた。ツヤさんがんばれという気持ちを抱きながら見る視聴者も多かっただろう。しかし、努力や気持ちだけではどうにもならないこともある、それが現実だ。

「貧しい人が看護婦になってまっとうに生きていこうとするのに、どうしたら助けられるんですか?」
直美も多田にこう訴えかけるが、トレインドナースの道自体まだまだ敷かれ始めたばかりの時代である。それが貧困をはじめとする社会の構造の問題を乗り越えていくような段階でないことも突きつけられる。

「私、間違えてしまいました……」
りんが失敗するたびに口にしてきた言葉が久しぶりに発せられた。もちろん前述のようにこれはりんの責任ではない。夢を叶えられる環境がまだ整っていないだけだ。

喜代が看護婦の道を途中であきらめた理由、それは「看護は奉仕ではなく、仕事です」というバーンズの言葉によるものだったと、ひさしぶりにりんたちのもとを訪れた喜代の口から明かされた。看護は仕事、当たり前ではあるが、ついついそのラインを感情が超えてしまい、その線引きは実際に難しい部分は今もあるような気もする。

ツヤは、帝都医大病院から去っていく。看病婦から看護婦になるという夢、それがサブタイトルにある「白日の夢」とされるのならば、それはあまりにも残酷だ。しかし、いつか看護婦になるために、勉強をするとツヤは言い残していった。夢は叶えるものであるのかもしれない。「間違い」や失敗でそれが叶えられなかったとしても、その夢を見続ける限り、叶えるための努力はまたすることができる。率直に言えば、ツヤに関する出来事には救いはない。だけど、救いを信じてみたくなる。それが看護を生業とする現在の人々の地位へとつながる。

白日の夢を現実のものとするために。そんな希望を託したくなるツヤの最後の笑顔だった。

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