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イブラだけじゃない…スウェーデン代表「歴史上最高のレジェンド」TOP8

  • 2026.6.24

日本代表がワールドカップ2026のグループステージ第3節で対戦するスウェーデン。ヨーロッパでも14位となる人口であるが、過去70年にわたって数々のタレントを生み出してきた。

1940年代から50年代にかけてはヨーロッパ最強クラスの実力を発揮し、母国開催の1958年ワールドカップでは決勝戦まで進出。ペレらを擁するブラジルに敗れて準優勝に終わったものの、北欧の強豪としての評判に恥じない結果を残した。

今回は「スウェーデンの歴史上最も偉大なレジェンド」8名をセレクトしてご紹介する。

フレーデリク・ユングベリ

正確無比な飛び出しのタイミング、そして絶妙なポジショニング。ペナルティエリア内にいつの間にか現れる能力でその名を馳せたのがユングベリだ。

アーセン・ヴェンゲル監督の下、イングランド史上最強のチームの一つで中核を担った彼は、2度のプレミアリーグ制覇を経験。2003-04シーズンに無敗優勝を果たした伝説のチーム「インヴィンシブルズ」の一員としても知られている。また、2002年のFAカップ決勝など大舞台での勝負強さも抜群で、ファンからカルト的な人気を誇るヒーローとなった。

スウェーデン代表としても75キャップを数え、2度のワールドカップ(2002年、2006年)と3度の欧州選手権に出場。スタイリッシュでありながらハードワークを厭わず、恐れを知らないプレーで世界中のファンに愛される存在だった。晩年にはJリーグの清水エスパルスでもプレーしたことで知られる。

トーマス・ブロリン

ブロリンのキャリアは、短くも輝かしく、そして少し悲劇的だった。全盛期の彼は、スウェーデンが生んだ最もエキサイティングなアタッカーの一人であった。パワフルかつクリエイティブで、卓越したテクニックを武器に、シュート、ドリブル、パスの全てで試合を決定づけた。

クラブレベルではセリエAの黄金期にあったパルマで躍動し、コッパ・イタリア、UEFAスーパーカップ、UEFAカップのタイトルを獲得した。また、代表チームでも準決勝に進出したEURO1992で得点王に輝き、2年後の1994年アメリカW杯でも3位入賞の立役者となった。

しかし、度重なる負傷が彼のキャリアを妨げた。イングランドのリーズ・ユナイテッドやクリスタル・パレスでは本来の姿を見せられず。そして28歳という若さで現役を退いたが、一時期の彼はどのアタッカーよりも眩い輝きを放っていたといえる。

パトリック・アンデション

スウェーデンが生んだ歴代最高峰のディフェンダーの一人だ。強靭で安定感があり、戦術的にも成熟していた。欧州トップクラスのストライカーを封じ込めるセンターバックとしての評価を確立した。

マルメで頭角を現した彼は、ブラックバーン、ボルシアMG、バイエルン・ミュンヘン、そしてバルセロナと名門を渡り歩き、同世代のスウェーデン人DFとして最も輝かしい経歴を築き上げた。クラブでのハイライトは、2001年にチャンピオンズリーグを制覇したバイエルンでのプレーであり、当時のUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにも選出されている。

スウェーデン代表では96キャップを記録。1990年代初頭の「黄金世代」の一角として、EURO1992のベスト4進出や1994年W杯の3位入賞に貢献した。スウェーデン年間最優秀選手賞も2度受賞しており、長期にわたって同国のトッププレーヤーであり続けた。

グンナー・グレン

スウェーデンサッカー界が誇る黄金時代の、偉大なる「設計士」だ。優雅なフォワードであり、創造性豊かな攻撃的ミッドフィルダーでもあった。プレーするすべてのチームにおいて、リズムと知性、そしてエレガントな時間をもたらす存在だったという。

ACミランの歴史において最も象徴的なアタッキング・ユニットの一つ、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムと共に結成した「グレ・ノ・リ」トリオの一人。母国での活躍を経てミランに加入した彼は、その卓越したテクニックでイタリアのファンを虜にした。

代表チームにおいても、その重要性は変わらなかった。1948年のロンドン五輪で金メダルを獲得し、1958年の自国開催ワールドカップでも準優勝という快挙の立役者となった。

スウェーデン代表としては通算57試合に出場して32ゴールを記録。37歳まで国際試合のキャリアを続け、当時としては非常に息の長い活躍をしたことでも知られる。

グンナー・ノルダール

グンナー・ノルダールは、欧州サッカー界が目撃した史上最も破壊的なストライカーの一人だ。クリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシが生まれる何十年も前に、彼は現実離れした数字を叩き出していたのだ。

スウェーデン代表としてわずか33試合に出場し43ゴールを記録。1948年五輪では得点王に輝き金メダルをもたらすと、活躍の舞台をイタリアへ移して伝説となった。ACミランでは「グレ・ノ・リ」の主砲として君臨し、現在もクラブの史上最多得点記録を保持している。

セリエAがストライカーにとって最も過酷なリーグであった時代に、5度の得点王を獲得。強靭なフィジカル、完璧な飛び出し、冷静沈着さ、そしてスペースに対する嗅覚を兼ね備えていた。スウェーデンは多くの名FWを輩出してきたが、ノルダールほどの圧倒的な「点取り屋としての権威」を持った選手はいない。

ニルス・リードホルム

エレガンス、スタミナ、そして並外れた知性。それがニルス・リードホルムというフットボーラーだった。ノルダールがゴールを量産し、グレンが創造性を注ぎ込む一方で、リードホルムはスウェーデン代表とACミランの両チームにバランスと洗練さをもたらした存在だ。

攻撃的ミッドフィールダーであった彼は、冷静なパス回し、戦術眼、そして試合のテンポをコントロールする能力で知られていた。ミランでの15年間で400試合近くに出場し、チームが国際的な名声を築き上げる礎を築いた、クラブの象徴的なレジェンドの一人である。

代表では1948年五輪の金メダルメンバーであり、1958年W杯ではキャプテンとしてチームを準優勝に導いた。ブラジルとの決勝戦では35歳という高齢ながらゴールを決め、W杯決勝における最年長得点記録保持者の一人となっている。

また、引退後は指揮官としてイタリアで40年近く様々なクラブを率いた。カウンターやマンツーマンが一般的だった当時の同国において、トータル・フットボールに強く影響を受けたポゼッションスタイルとゾーンディフェンスを作り上げ、数々の後継者を育てた。

ヘンリク・ラーション

スウェーデンが生んだ最も完成され、そして尊敬を集めたフォワードの一人。ストライカーとしての得点感覚はもちろん、知性と謙虚さ、そして献身的なチームプレーを兼ね備え、スーパーサブとしても活躍できる万能プレーヤーであった。

クラブレベルでの全盛期を過ごしたセルティックでは、ゴールを量産して国内タイトルを総なめにし、2003年のUEFAカップ決勝進出に貢献。さらに、ベテランになってから移籍したバルセロナでの活躍も印象的だった。2006年のチャンピオンズリーグ決勝アーセナル戦、ベンチから投入された彼は2つのアシストを記録し、バルセロナを2-1の逆転勝利へと導いている。

スウェーデン代表では100キャップ以上を数え37ゴールを記録。3位になった1994年ワールドカップなど、多くの主要大会に出場した。また、EURO2004で見せたブルガリア戦のダイビングヘッドは、今なおスウェーデンの歴史に残る名ゴールとして語り継がれている。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

画像: (C)Getty Images
(C)Getty Images

スウェーデン代表の歴史上最も有名な、そしておそらく同国史上最高のフットボーラーだ。彼のキャリアは単なる「ゴール」だけでなく、強烈な個性、スペクタクルなプレー、そして不屈の精神によって築き上げられた。

195cmの長身で屈強な体躯を持ちながら、ストリートサッカー上がりのような繊細なタッチ、ボレー、そしてアクロバティックなフィニッシュを見せる。まさに稀有な才能だった。イングランド戦で見せた約30メートルの距離からのバイシクルキックは、サッカー史に残る驚愕のゴールの一つである。

代表では歴代最多の62ゴールを記録し、スウェーデンの年間最優秀選手賞を12回も受賞している。グレンやノルダール、リードホルムのように国際試合でのタイトルを勝ち取ることはなかったが、現代における彼の個人的な影響力は他の追随を許さない。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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